空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第2章 第29夜

 
 雨宮翔吾はなぜかまた我が物顔でうちのお風呂を使っている。
 自宅に帰ってから入ればいいのに。そう思わないのだろうか。

 台所に立つとシャワーの音と鼻歌が聞こえてきた。
 なんでそんなご機嫌なの? おかしいじゃない? このシチュエーション。


 首を傾げつつ居間に戻ると、テーブルの上で携帯電話が震えていた。
 わたしのじゃない、あの人の。

  
  “着信:海原真奈美”


 あ……。

 身体の中心が鷲掴みされたようにぎゅうっとなった。
 帰って来てコールに違いない。だってあの人は昨日も今日もここにいるのだから。

 
 あの人にとってわたしは何? 愛人?
 母のようになるのは、わたし? それとも――


 携帯を握りしめて浴室へ向かった。

 相変わらず高々な鼻歌が聞こえてくる。


「雨宮さん! 電話鳴ってます! 出てください」


 浴室の扉を強く叩きながらそう叫ぶと中から「えっ?」と驚きの声。
 シャワーが止まる音がして小さく扉が開かれた。髪から水が滴って、濡れた逞しい筋肉のついた身体が目に入る。

 携帯画面を見せつけるようにすると、雨宮翔吾は形の整った眉をひそめてブラウンの瞳を隠すように目を伏せた。

 なに? その顔?


「あとでかけ直すから、放置しておいて」

「――でも!」

「いいから。こんな状態じゃ出られないし」


 バタンと無情にも目の前で扉が閉められる。

 なんであんな困ったような表情をするの?
 まるで海原さんを避けているような態度も……。


 髪をタオルで拭きながら雨宮翔吾が居間に戻って来た。
 ゆうべのワイシャツじゃない。さっきは気づかなかったけど……きっと会社で替えたんだろう。
 胸元のボタンが大きく開かれていて、よりセクシーさを強調しているところがいやだった。

 こたつのテーブルの上の携帯はもう震えていない。
 わたしはそれを目で訴えてから立ち上がった。


「早くかけ直してください。邪魔しないよう向こう行ってますから」

「いや、別に……」

「かけたら早く帰ってください」


 寝室に入って後ろ手で襖を閉める。
 声が聞こえないよう布団にもぐり込んで頭まで被った。
 耳を両手で塞いで小さく亀のように丸まって……大丈夫、こうしていればいつかは終わる。


「……俺、え? 彼女の家にいる」


 ……?

 彼女の家にいるって……彼女は海原さんでしょ?
 なんで聞こえるの? 聞かないように耳を塞いでるのに。


「あーあーあー」


 布団の中で声をあげる。電話の邪魔にならなようセーブしながらずっとあげ続ける。
 こんなことならお風呂に入っていればよかった。浴室まではさすがに聞こえないはずなのに。
 ああ! もう! 布団の中暑いし! また汗かいちゃいそうだ。


「あついよーあついよー」


 何言ってるんだか……意味わからない。でもそのくらいでいいんだと思う。
 雨宮翔吾の声が聞こえなければそれでいいんだからなんでもいいのだ。発声することによって耳が自分の声音を拾うから余計に聞こえづらく……。


「あついよーあついよーばかー」

「ばかはおまえだ。暑いならなんで頭まで布団被ってるんだ」

「ひゃっ!」


 バサッと思いきり布団をはがされた。
 うずくまっていたわたしの身体が居間の光に照らされて露わになっている。
 
 怒ったような呆れたような表情の雨宮翔吾に見下ろされ、わたしは恥ずかしくて顔から火が出そうだった。


「で……んわ……」

「もう終わった」

「じゃ、帰って……」

「そんなに俺にこの家にいてほしくないの?」


 眉を歪めてわたしに悲愴感漂う表情を見せてくる。

 いてほしくないんじゃない……あなたの居場所はここじゃないだけ。
 亀の体勢から起き上がってベッドサイドに座り直すと、雨宮翔吾のつま先が視界に入ってきた。


「……はい」


 顔を見ないで返事をすると、頭の上で小さいため息が聞こえた。
 ここまで言えばわかってもらえるよ、ね。


「わかった、帰る」

  
 諦めたような回答。
 それを聞いてほっとした反面、寂しさも湧き上がってきた事実。
 でもそんなのは今だけ。いつもみたいにひとりになるだけだもん。

 きっとこの人の位置からわたしのつむじが開いているのが丸見えなんだろうな。

 そんなことを考えながら目頭が熱くなるのがわかった。
 最初から近づかないでくれればよかったのに。
 ほっといてくれたら、ひとりが当たり前でこんなことで寂しくなったりなんかしないはずなのに。

 わたしはこれからずっとひとりなのに――


「ほら、立って」

「えっ?」


 ぐいっと右の二の腕をつかまれて立ち上がらされた。
 その途端、目の前に胸元が大きく開いた雨宮翔吾のワイシャツ。


「ひとりおいて帰れるわけないだろう?」

「は?」

「一緒にウチに連れて行く。これが帰る条件。さっさと着替えて必要な物用意して」

「は? ええっ?」

「ああ、もうめんどくさいからそのカッコにコート羽織ればいいよ。タクシー拾うし」


 待って! 待ってよ?
 わたしの頭の中は『?』マークだらけ。
 だっておかしいでしょう? この家にいてほしくないからってなんでわたしがこの人の家に行くことになるの? 全く意味がない。何を考えているの?


「パジャマは俺のがあるし、下着だけ自分の持って行って。帰りは俺が車で送るから私服も要らない」

「ちょっ」


 わたしの下着が入った引き出しを雨宮翔吾が豪快に開ける。
 そこからブラだのショーツだのを適当に出してベッドの上に放り投げた。


「やだっ! やめてっ!」

「雪乃に任せてたら時間がもったいない。俺だって早く帰って家でくつろぎたいんだ」

「あ……」


 そうだ……昨日はここにいたし、今日だって帰ってない。申し訳ない気持ちが押し寄せてきた。
 だけどそれとわたしがついていくのは話が違う。

 そんな感傷的な気持ちになっていたのに、目の前で押入れを勝手に開けてボストンバッグを出され、下着を詰め込まれている状況に気づいてハッと我に返る。


「やだ! やめてください! 触らないで!」

「何を今さら? ゆうべ身体を拭いて下着も替えてやったのに……」


 そんなっ? 全然気づいていなかった!
 そういえばこの人が家に来た時と違うパジャマ着てたかも……って! 何考えてるのーっ!


「ほら、たくさん入れたからもう大丈夫。行くぞ」


 ポンポンとボストンバッグを叩いて満足げに微笑む雨宮翔吾。
 肩にコートをかけられて腕を引かれる。


「ちょ……行きませんったら!」

「却下」

「はあっ?」


 グイグイとすごい力で腕を引かれ、足がもつれそうになる。
 もう転ぶ寸前と言っても過言ではない。そんな引かれ方をしてわたしは狼狽した。
 このままじゃ力ずくで連れて行かれてしまう。そんなのはいけない!


「いやです! 離してください! もう熱も下がりましたから!」


 腰を落としてその場にしゃがみ込む。これなら動かそうとしても動かせまい。
 驚いて振り返った雨宮翔吾のスキをついて居間の床にべったりお尻をつけて座り込んでやった。


「熱、下がったの?」

「はい」

「でも、まだぼーっとした顔つきしてるし、ほっとけない」

「ぼーっとした顔つきは生まれつきです! ほっといてください!」

「随分強情だな?」


 子どもみたいな押し問答を続けていると、観念したのかわたしの腕が開放された。
 明らかに怒りの色を含んだ雨宮翔吾のブラウンの瞳が煩わしそうにわたしを見据えている。
 そんな目で見るならさっさとひとりで帰ればいいのに。なんでわたしになんか構うのだろうか。


「なんでそんなに拒絶する?」


 困惑顔の雨宮翔吾がしゃがみ込んで小さく息づき、わたしの顔を覗き込む。
 顔を見られたくなくて背けると、大きな両手がわたしの頬を包んで自らの方へ強引に向けさせられた。


「話している人の目をちゃんと見ろ」


 見れるわけがない、見たくない。
 こんななんの惑いもなさそうな目でなんでわたしを見るの?
 ずるい……ずるいよ。自分ばっかり間違ってないって澄ました表情で。


「言いたいことがあるなら言え。みんな聞くから」

「……」


 目を逸らしたいのに逸らせない。
 逃げ場をなくしたわたしは堪えきれず、目許に涙を浮かべてしまう。
 そんなみっともないわたしをこの人はじっと見据えて何も言わずにいる。わたしが口を開くのを待っているつもりなんだ。

 かさついた唇が割れるんじゃないかって思うくらい強く噛む。
 逃げたいのに逃げ出せない状況にわたしの心が折れた。


「ずるいよ……ずるい……雨宮さん……ずるいもん」

「――どうして?」

「彼女……いるくせにぃ……」


 ギュッと瞼を閉じると熱い涙が両目から零れ落ちた。



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Date:2013/02/08
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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