目が覚めたらカーテンの隙間から日の光が部屋に射し込んでいた。
今、何時なんだろう? 少しだけ身体が動くようになってる。
窓の上の壁にかけてある時計を見ると、九時半を過ぎてるっ?
か! 会社に電話しなきゃ!
どうしよう! 無断欠勤になっちゃう。もう三十分も過ぎて……。
――起き上がった時、手に紙のようなものが触れてそれがカサッと音を立てた。
“もう一日休むと伝えておくから安心して寝てて”
「……あ」
少し急いだような筆跡のメモ……。
あの人はここから仕事に行ったの?
夜、ずっとわたしの傍に? どうして? 帰るって言ったのに――
今日休んだら明日は土曜日だから週明けまで休みになる。
伝えておいてくれるなら助かった……けど、なんとなく後味悪い。
あんなに拒絶したのに結局あの人のお世話になって甘えてしまっている事実。自分がいやになる。
枕元に置いておいた体温計で熱を測ると三十七度五分まで下がっていた。
少しだけ身体が軽くなった気がする。
元々熱に弱い方だからこのくらいの熱でも少しはだるいけど、昨日に比べたら全然だ。
冬眠明けのクマみたいにのっそり起き上がって(冬眠明けのクマなんかお目にかかったことはないけど)居間へ向かう。
こたつのテーブルの上にもメモ用紙があった。
そのメモを押さえるように風邪薬がのっている。
“冷蔵庫にうどんが入ってる。鍋に汁作ってあるからゆでて食べて”
冷蔵庫ーっ!
食材が何も入ってない中身を見られた。恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
倒れる前日に部屋の掃除をしておいてよかったと思った。そうじゃなかったらとっ散らかっていたはず。
お風呂を沸かして素早く入り、髪をよく乾かしてから冷蔵庫を開けるとうどんとかまぼこと葱が切り刻んだ小皿が入ってた。しかも卵とか買ってあるし……買い物行かなきゃと思ってたのに……ううー。
だらしない女だって思われたかな? そうだよね……こんな冷蔵庫の中身。
飲みかけの牛乳にほとんど残ってないマーガリン、チーズに食べかけのヨーグルト……乳製品ばっかり!
「……べつに、いいじゃん」
ふと、現実に戻った。
別に雨宮翔吾になんと思われようと関係ない。
だらしない女と思われようがどうだっていい。だってただの同僚だもん。
ただの同僚に冷蔵庫の中身見られたって考えるのもいやだけど……まるで自分の裸見られたような微妙な心境になる。
台所の窓の縁に置いてあるわたしの歯ブラシ立てのコップの中になぜかブルーの歯ブラシが一本追加されていた。
なにこれ? まるで同棲してるカップルのシチュエーションじゃない。
捨ててやろうかと思った、けどそのままにしておいた。と、いうかなぜか手が動かなかった。
浴室には案の定、髭剃りとシェービングクリームが置いてあるしっ!
なんなのっ! 人んちの風呂勝手に入るとかっ? しかも自分のもの置いて……。
そんなに髭生えるような顔してないくせに……こんなもん必要なわけ?
だけど、それも捨てられずそのまま見過ごしてしまう自分。弱すぎる。
メモ通り雨宮翔吾が作った汁にうどんを湯がいて入れて卵を落として食べた。
……悔しいけど美味しい。
この人の味付けは母のものに似ている。それもなんだか解せなかった。
美味しいせいか食欲はなかったのに全部食べてしまった。そんな自分にも腹が立ってしょうがない。
テーブルの上に置いてあった風邪薬を飲んで、食べた食器はシンクに戻して再び眠る。
二日も仕事休んじゃった……迷惑かけちゃったな。
週明けは頑張って挽回しないと。
**
玄関の鍵が開くような音で目が覚めた。
あれ? そういえば鍵……今朝、あの人出て行ってから施錠の確認していない。
鍵、かかってないはず。
まさか、今度こそドロボウ?
だいぶ体力が回復されたから身体も思うように動く。
静かにベッドから下りて、寝室と居間の襖から静かに玄関の様子を伺う、と。
「起きてたの?」
両手にスーパーの袋を持った雨宮翔吾が台所の方からこっちの様子を伺っていた。
昨日されたキスを思い出したら恥ずかしくて急に顔が熱くなる。
思わず両手で頬をペチペチ叩くけど、そんなんで赤みが取れるとは思えない。だけどこの人に見られたくない。
ん? でもなんで今日もここに来るの?
「あ、ちゃんとうどん食ったんだ。えらいえらい。今、野菜スープ作るから待ってて」
すうっと雨宮翔吾が台所の方へ消えてゆく。
うちは玄関を開けたらすぐに台所のシンクがあって居間があって……って! 部屋の構造なんて今はどうでもいい!
「雨宮さん!」
慌てて台所の方に向かうと、スーツの上着を脱いでそれを炊飯器の乗った小さな引き出しの上に置いているところだった。
“ん?”と不思議そうな顔をこっちに向けて目をパチクリさせている。
その目反則! ずるい!そんな魅力的な顔されてもーっ。
「お腹空いた? 今、りんごすりおろしてあげるからそれ食べて待ってて」
「いえ! あの……」
「だいぶ動けるようになったね。係長が心配してたよ」
シンクの方に向き直って雨宮翔吾がりんごをすりおろしている。
しゃりしゃりといういい音が聞こえてきて甘い香りが漂ってきた。
「月曜は絶対仕事行きます……」
「熱が下がったら、ね」
「あの、なんでうちの鍵……」
「ああ、鍵開けっ放しじゃ危ないからね。朝、雪乃の鞄の中から持って行ったんだ」
当たり前のように言う。
それじゃ今日の朝から帰りはここに戻ってこようと思っていたってこと?
おかしいじゃない。この人の帰る場所はここじゃない、海原さんのところでしょう?
「ほら、できた。これを食べて待ってて」
すりおろしたりんごを透明の小さな器に入れて渡される。
これ、よく父が小さい頃やってくれた。そして母も真似してやってくれた。風邪をひくとこれが定番なのかもしれない。
雨宮翔吾がキッチンに立っている間に体温を測ってみたら、熱はすっかり下がっていた。
まだ身体の節々は少し重だるいような感じはするけどスムーズに動けるようになっているし、楽になってる。
ひとりで薬も飲まず横になっていた時は身の置き所もないくらい気だるかったのに……雨宮翔吾のおかげだと認めざるを得なくて、負けた気がした。
だけど同時に感謝の気持ちもわいてきて、複雑な心境だったんだ。
出された野菜スープは父の味によく似ていた。
なんでかよくわからない。もしかして同郷なのかもしれない。
だけどそんな理由で似るのだろうか。懐かしい味がして少し胸が痛む。
「おいしい?」
少し疲れた表情で雨宮翔吾がわたしの前で野菜スープを食べながら尋ねてきた。
こくりとうなずくとうれしそうに微笑む。
その笑顔、胸の奥にある硬くてどうにもならないしこりみたいな
感情を疼かせるからやめてほしい。
わたしへ向けないで。見せる相手が違うでしょう?
そろそろ言ってもいいかもしれない。海原さんのところへ戻ってよって。
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