第3話おもちゃは所詮おもちゃ!
「ゆーちゃん!」
理工学部の学舎から手を振りながらでく男が向かってきた。
でく男改造計画は着実に進みつつある。瓶底眼鏡はスクエアタイプで紺のアンダーブローのものに変えた。洋服も一緒に買いに行き、自分の好みのものをチョイスする。
登山用と言わんばかりのリュックもおしゃれなショルダータイプの革の鞄に変更。走ってくる姿はそれなりに見える。
だけどその呼び方は御法度だ。ギッと鋭い目で睨みつけると捨てられた子犬のようにしゅんっと肩を落とした。あーおもしろい。
わたし達の結婚は内緒になっている。もちろん名字も変更していない。でく男が卒業するまでは誰にも言わないこと、それがわたしが嫁ぐ条件にした約束である。
なので校内ではなるべく他人のフリをしたいのだが、でく男はわたしのことを彼女だと仲のよい友達には紹介しているらしい。
それもやめてと言ったが「それだけは譲れない」と、でく男らしからぬ強い口調で言われてしまったので仕方がない。
「今日ね、サークルで飲み会があるんだ。ゆー、優月さんも来ない? 順ちゃんが誘えばって」
「高木先輩もオタ、じゃなかった、鉄道サークルなの?」
オタクサークルといいそうになって口をつぐむとううん、と首を振った。
高木先輩はスキーサークルで今日の飲み会は合同だという。さすがに高木先輩に鉄道は似合わない。そしてなぜスキーサークルと鉄道サークルが合同で飲み会をするのかもよくわからない。共通点見あたらなすぎ。
必要以上にべたべたしないという約束で飲み会に参加することにした。だけど知り合いが誰もいないわたしは肩身が狭くて居場所に苦労した。
居酒屋の一室を貸し切り、長いテーブルが四列びっしり学生で埋まっている。一番奥の目立たない角っこに陣取ったわたし。その左隣にはでく男が座った。だけどでく男はあちこちから呼ばれ、わたしはその都度ひとりぼっちになった。だけど大丈夫。お酒さえあれば。未成年だけど!
お酒は飲まないよう言われていたが、こっそりとウーロンハイを三杯胃に納めている。かなりいい気分になっていた。このお店の食べ物がおいしくて、酒が進む。
「君、新顔だよね。何学部の子?」
急に空席だった目の前に人の気配を感じて顔を上げると見たこともない男の人だった。高木先輩ほどではないけれどなかなかおしゃれな部類にはいると思う。悪く言えばチャラい感じの人。
「文学部れすー」
あれ、「です」って言ったつもりが変な語尾になってる。少し飲み過ぎたのかもしれない。
その男の人は、服部と名乗った。でく男と同じ理工学部の人で学年も一緒だった。スキーサークルの人らしく、スキーはするのか聞かれた。過去に何回かしたことがあると答えると、スキーサークルに勧められた。
こういう人とつきあってたら、きっとスキーも楽しいだろうなあ。ゲレンデで転んでも「しょうがないな」って抱え起こしてもらえたり、きゃー!
実際この人との会話はおもしろかった。今見ているドラマの話や、好きな映画のこと。今上映しているこれがお勧めとかいろいろ教えてくれた。 結構趣味が合うようで、過去に見た映画もかぶっていたりして盛り上がった。自然に増えてゆく酒量。
服部先輩がトイレに席を外した時、急に寂しさを覚えた。でく男がいなくなっても何も感じなかったのに。
きょろきょろ周りを見回すと、でく男が清楚な感じの女の子と楽しそうに話している姿を見つけた。鼻の下を伸ばしてでれでれとしている。お酌をされ、うれしそうに頭をかいたりしている。何となくおもしろくない。
でく男が少し見れるようになったのはわたしのおかげなのに。
飲み会は二時間程度で終え、二次会に流れるチームとそのまま帰宅するチームに無言で別れていった。
「もしよかったら連絡して」
服部先輩がこっそりとメモ用紙をこっちに差し出した。それを広げてみると、アドレスと電話番号が書いてある。
よければ送ると言われたが丁重にお断りした。帰る家が黛家だってばれたらまずいことになるから。タクシーで帰ると言ったら「そっか、じゃあまたね」とあっさり引き下がってくれた。
そうよ、こういうのがいいのよ。
今まで行った合コンでは、アドレスを教えてだの家まで送るだの結構しつこくされた。教えるまで引かない、そんな人もいた。メアドだけ教えてすぐに変更してやった。
服部先輩はこっちの連絡先をしつこく聞いたりしない。そして引け際もいい。なんてスマートなんだろうか。一見チャラそうに見えたけど中身は違うようだ。偏見を持ってごめんなさい。
もらったアドレスをしっかり握りしめて、去っていく背中に一礼した。
**
それから服部先輩とはメル友になった。
おいしいスイーツのお店を教えてくれてさりげなく誘ってくれる。
生クリームがふんだんに使われたフレンチトーストは甘すぎず口当たりがよい。ふんわりしていてわたし好みだった。
またおいしいお店を探しておくよ、と黛家の最寄り駅まで送ってくれた。なんていい人なのだろうか。
「どこいってたの? ゆーちゃん」
家につくなり心配そうな表情ででく男が玄関まで出迎えてくれた。家では本当にだっさいジャージを着ている。これが一番楽で暖かいらしいのだ。家の中のことまでは干渉しないことにした。
「友達と、お茶」
「ふーん」
納得してなさそうな口ぶりで唇をとがらせたでく男はわたしの鞄を受け取ってくれた。まるで仕事から帰ってきた夫を出迎える妻のようだった。かいがいしい。だけどわたしにとってでく男は夫であり、召使いでもあり、おもちゃでもある。
「最近服部くんと仲良くしてるみたいだね」
わたしの前を歩きながらぼそりとでく男がつぶやいた。
別に隠す必要もないだろう。それに服部先輩と出かけていたのを知ってて聞いているのならかなり意地が悪い。文句があるなら面と向かって言えばいい。
「うん」
「お友達なの?」
「そうだよ」
「なんか、やだな」
目の前のでく男が急に止まって、その背中にぶつかりそうになった。
振り返ったでく男は泣きそうな顔でこっちを見ている。そんな顔を見たら泣かせてみたい。再びドSの血が騒ぎ始めた。
「何がやなの?」
「ぅ、僕、だって」
悔しそうに唇を噛みしめて俯くけど、背が高いから簡単に顔をのぞき込めてしまう。
「光太郎さんにだって異性の友達、いるでしょ? それと同じだよ」
「そっ、それとはっ」
「お・な・じ」
ギッと睨みあげると、ぐっと息を呑むでく男。そして潤んだ目をわたしに向けた。いいぞ、泣け泣け。
「僕だってゆーちゃんのアドレス、知りたい、よ」
そこかよ!
考えてみたら、でく男とアドレス交換したことなかった。携帯の番号は知っているけどメールする機会なんてなかったから。携帯のキャリアも違う。
「光太郎さん、メールとかする人?」
「うん! アドレス知ってればするよ!」
ぱああっとその表情が明るくなる。そこにひっかかっていたのか。
自分の妻のアドレスを他の男が知っているのに自分は知らないなんてってとこだろうか。
結局泣かせることはできなかったけど、メールアドレスは教えてあげることにした。その表情がさらにうれしいものへと変化してゆく。
「毎日メールするね!」
「家で一緒なのに。必要最低限だけで」
そう言うとまた泣き出しそうな表情になった。
おもしろい、おもしろすぎる。
その日から毎日メールが来るようになった。
今日の学食(画像つき)やら、今何の講義を受けているだの、誰々くんとお話ししてるだの……筆まめならぬメールまめだった。しかも画像が多い。いきなり窓から見える風景を送ってきたり、花壇に咲いている花とかもよく来る。るーの小さい頃の画像だったり、結構癒されるものが多かった。
いつの間にかその画像が届くのが楽しみになってるくらい。
わたしはでく男を夫と認識せずおもちゃのように扱い続けた。同じ布団に寝ているのに触れようともしなくなった。わたしが汚いものを見るような目で見るからだろう。
だけどでく男は違う。こんなに蔑ろにされても飼い犬のようになついた目でわたしを見つめ、様子を伺っている。
今日はこのシーツの気分じゃない、と夜に言おうものなら(日中ならメイドがいるのに)すぐに替えてくれる。食事だって両親と一緒に食べたくない日は部屋に用意してくれる。
服部先輩との友人関係にも口出ししないよう念を押した。
ちょっと悔しそうに言葉を詰まらせていたけど、しぶしぶ了承させた。だけどわたしはでく男の妻であること、そこだけはきちんと認識させられた。浮気はだめだよ、と逆に念を押され「はいはい」と適当にあしらった。浮気じゃなく本気ならいいのだろうか。
「ゆーちゃん、バブルバス用意できた。いつでも入れるよ」
ほら、今日も笑顔で声をかけてきた。
そんな笑顔が憎らしくて、意地悪をしたくなる。
「アップルの香りがいい」
「え? だってさっき、バブルバスって」
「気分が変わったの!」
「そ、なの? わかった。じゃ、今替えてくるね」
しょんぼりと肩を落としてシャワールームに戻っていった。
その背中を見て、急につきんと胸が痛む。なんだかとっても悲しげだった。今までもこんなこと何度もしてきているのに、何で今日はこんなにも罪悪感を覚えるのだろうか。
「光太郎さん!」
追いかけてシャワールームにはいると、すでにお湯は落としてあってスポンジを片手にこっちを振り返っていた。その表情は困ったような笑顔で。
「なに? ゆーちゃん」
「なっ、なんでも……ないっ」
湯気に包まれたでく男がなんとなくかっこよく見えたのは気のせいだろう。そうよ。眼鏡も曇っていたし(でく男の)そのせいだ。
でも。なんだか胸の奥がちくんとする。
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学