第197話 終わりのとき、そして悠聖視点
未来のアパートに向かう車中、僕と彼女が後ろに乗った。
僕を見て何か言いたそうな表情をしているのに気づいて尋ねると、悲しげに微笑んで小さく首を振った。
「悠聖くんはいろんなこと知ってたんだね」
――いろんなこと。
あまりにもアバウトすぎて、すぐにはピンと来なかったから、何のことか聞き返してみる。
「知っていたのに……あの夜、わたしを受け入れてくれてありがとう」
無理して笑っているってすぐわかる表情を見せた。
あの夜と言われ、ようやく未来の言いたいことがわかった。
未来が義父に穢された事実を、僕が知っていたこと。
お礼なんか言われることじゃない。
何があっても未来はかわらない。好きだから受け入れた。
君は僕には最後まで何も言ってくれなかった。
でもそれも僕を傷つけたくなかったから、そう思うことにした。一緒に抱えてあげたいなんて、僕のエゴだって気づいたから。
僕が何もかも気づいていたことを君は知った。
それを望んだわけではないけれど、僕が君の心に少しでも寄り添いたかったという気持ちだけ伝わってくれていたらいいなと願った。
これ以上、過去を振り返りたくない。もう、忘れさせてあげたい。だから――
「それとさ、昨日なんでマンション帰ってこなかったの?」
急に未来が話を変えた。
まぁ、これ以上過去の話を続けてお互い気まずくなりたくなかったからよかったんだけど。
「今朝こっちに来るなら昨日お兄ちゃんと帰ってくれば朝早起きしなくてすんだし、最後川の字で寝たかったのにな……」
「気を利かせたつもりだったんだけど」
「え?」
未来の顔が真っ赤になった。
「昨日僕が一緒に帰らなかったことはむしろ感謝すべきところだと思うけど」
「えっ? な! そんなっ」
うろたえる未来がかわいくて僕は笑ってしまった。
困ったように俯く仕草もかわいかった。だから、これでよかったんだ。
「悠聖くん……ごめ……ううん、ありがとう!」
未来がニッコリと満面の笑みを向けた。
その時、やっと僕の中で全てが終わった気がした。
今度は僕が未来から目を逸らして、窓の方に視線を落とす。
「よかった。未来が今、謝っていたら殴ってたかも」
「……えっ? そうなの?」
未来がふふっと笑う声がした。
少し視界が歪んだ街並みを見つめながら僕はうなずいた。
鼻の奥がツンとして、目頭が熱いのはきっと気のせいだろう。
その後、静かになったと思ったら小さい寝息を立てて眠っていた。
振り子のように揺れる身体を僕の肩によりかけてやると、惜しげもなく心地よさげなかわいい寝顔を見せてくれる。最後のプレゼントをもらったような、そんな心境だった。
さようなら、僕のだいすきなひと。
**
新しい未来の家は前のオンボロアパートよりは数段いいマンションになっていた。
義父が亡くなって借金がなくなったそうだ。未来の母親の給料で充分ふたりで生活していけるらしい。しかも兄貴のマンションに近い。
兄貴がダンボールを運ぶ後姿を見ると、デニムとTシャツの間から未来の赤いテディベアのキーホルダーが見えていた。あのキーホルダーが未来のだったなんて全然知らなかった。
兄貴はあの時から未来を思っていたことを今日知った。いや、もっと前からかもしれない。
未来からあのマンションの鍵を預かってそれを僕が使おうとしたら、兄貴はキーホルダーだけ外した。それを愛おしそうに見ていた兄貴。本心をひた隠しにしていたのは僕のせいなのだろう。
でも僕は、もう謝ったりしない。
車の中からダンボールを出して運ぼうとした時、ドンッと背中に衝撃が走った。
「って!」
思わず声をあげてしまい、振り返るとダンボールが視界に入ってきた。
正確にはダンボールで目の前が塞がれた『人』だ。
「ごめんなさーい!」
アニメによく流れていそうな高くて鼻にかかったような舌ったらずの声がダンボールの横から聞こえた。
その子が丁寧にダンボールを地面に降ろして僕を見あげる。
「本当にごめんなさいねぇ」
「……!?」
失礼かもしれないけど、僕はその子を見て絶句してしまった。
今時珍しい、昔のサラリーマンが使用してたようなダサめのビン底レンズの黒縁眼鏡をかけ、その風貌からは似合いもしない栗毛色の長い髪を三つ編みにして垂らした小柄な女の子だった。しかもすごいイントネーション、なまりすぎだろう。
「あれ?」
その子は少し眼鏡をずらして僕の顔を覗き込んだ。
その眼鏡の向こうに隠れた瞳は大きくて、興味津々といった感じに忙しなく動いている。一瞬しか見えなかったのに向こうから見透かされたような感覚がした。
「お兄さん、泣いたん? 目、赤い」
「えっ!?」
その子に指摘され、僕は眼鏡の上から目許を隠した。
その隙間からその子を見ると少し驚いたような顔をした後、ニコッと笑いかけられる。
「ひな! おまえ、何やって……」
「あっ! 何っ!?」
後ろから近づいてきた男に肩を掴まれたその子は僕の目の前でいきなり怒られはじめた。
『ひな』と呼ばれた子が驚き、抵抗するようにその男の手を振り払う。
「おまえの家の引っ越し手伝ってるのに油売って……あ」
男の方が怒鳴っている途中に僕を見て、驚きの声を上げた。
目を丸くして僕と『ひな』と呼ばれたその子をかわるがわる見つめている。
「あんたに頼んでない! 勝手に手伝いに来たんやないの?」
「いいから来い!」
その子の足元に置かれたダンボールを男の方がひったくるようにして持って行ってしまった。
あの男は僕の知り合いなのだろうか。見覚えのない顔だったし、思い出せない。明らかに向こうはこっちを知っている様子だった。
「お兄さん、またね」
その子が僕に手を振って男を追いかけて行く。
なんだったんだろうか。嵐のような出来事だった。
だけどその出来事があまりにも印象深くて、モヤモヤしていた気持ちが風に流されていったようにスッキリとしていたんだ。
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