第193話 実父の遺言と俺の決意柊視点
「おかえりなさい」
玄関の前で未来がちょこんと体育座りをしていて驚いた。
そのさまは主人の帰宅を待ちわびる室内犬のようでおかしかった。とってもかわいくて、だけどすごく寂しそうだった。リビングの電気もついていない。玄関だけ明かりがついている状態だった。
今から帰るとメールをしてからずっとここで俺の帰りを待ちわびていたのかもしれない。
そう考えたら何も言わずに帰って来て驚かせたほうが親切だったような気がした。
「どうしたの? ご飯食べてないの?」
「……うん」
「お腹空いたろう」
手を差し出すと未来がぎゅっと掴んで立ち上がりながら、首を横に振る。
ひとりだから適当に食べると言ってはいたが、きっと何も食べていないのだろうとは予想はしていた。炒飯を作るから食べるように言うと、うれしそうに笑う。
その笑顔が実家の納戸で見た母の姉の写真にそっくりだった。
**
俺が作った炒飯を目の前で未来がおいしそうに食べている。
それを見ているだけで幸せな気分になれた。
「未来」
「ん?」
「明日は引っ越しだな」
明日、未来はこの家を出る。
このマンションの近くだけど、新しい家の引っ越しが終われば未来がここにいる理由がなくなる。実父も亡くなり、もう何の不安もなく親子ふたりで暮らしていけるのだ。
「あ、そうだ。お母さんからこれを預かったの。お兄ちゃんにって」
未来がテーブルに滑らせるように白い封筒を差し出した。
宛名も何もないその封筒を受け取って封を開けてみると、中には便箋が一枚だけ入っていた。
「義父さんの遺品から見つかったって言ってた。病院の荷物の中にあったみたい」
「父さんの?」
中に入っていた便箋を出して広げてみると――
『柊へ
今まですまなかった。未来を』
父の文字でそれだけ書かれていた。
未来に促されて病室に戻った時、父はオーバーテーブルで何かを書いていた。
そして俺を見るなりサッと隠したあれかもしれないと、その時急に思い出した。
『未来を』の続きが切れている。俺が邪魔をして書けなかったその続き。
あの時、未来に口づけする前に俺に言いかけたのもこの言葉だった。
「お兄ちゃん?」
未来がスプーンを口に当てたままきょとんとしている。
その便箋を未来に見せると、その手から持っていたスプーンが滑り落ちて皿の上で高い音を立てた。
父は最期に未来に遺したんだ。
自分の最期の想いを、未来に吹き込んだ。
『ごめんな、愛してる』と、最期の言葉まで。
未来は聞いていなかったのに、あんなに穏やかで満足そうな顔で逝った。
まさか、俺を最期の誓いの証人にしたのだろうか。考えすぎかもしれないけどその思いが浮かんできて頭から離れてくれなかった。
もちろん未来には言っていない。
最期に唇を奪われたなんて知らない方がいいと思ったから。
そこまで俺は寛容ではない。父には悪いが一生未来に伝えることはないだろう。
旅立った世界で初恋の人と逢えていればいい。
それくらいは祈ってやってもバチは当たらないだろう。
「未来を、なんだろう。お兄ちゃん、わかる?」
最後の文が気になるようで、小さく首を傾げている。
一生懸命考えている未来に軽くうなずいてみせると、目を丸くして驚いた様子。
俺にはなんとなくわかっていたんだ。
――未来を 頼む――
「ねぇ、未来」
「うん?」
「真面目な話をするよ」
俺が言うと、未来が持っていたスプーンを皿の上に置いた。
そしてきちんと椅子に座り直して硬い表情を見せる。その姿がやっぱりかわいくて、俺は笑ってしまった。
「未来が成人したら、結婚しよう」
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