第173話 再会するふたり柊視点
二十時少し前に家のインターホンが鳴った。
未来の母親は薄いピンク色のブラウスに紺色のタイトなスカートだった。そういう控えめな色の洋服がよく似合っている。
実年齢は知らないが、まだきっと若いと思う。ただ疲労が蓄積しているのだろう。その色は隠しきれていない。心配事も多いだろうし、気苦労が耐えないのだと思う。
「本当に長い間お世話になってしまって」
玄関で開口一番未来の母親がそう言い深々と頭を下げた。
玄関先で長引きそうだったので、曖昧にうなずいて早めに上がってもらうことにした。
「……あの、未来は?」
リビングに入る直前、未来の母親が心配そうに聞いて来た。
きょろきょろとまるで小さな子を探すようにしている。きっと緊張もあるのだろう。
「今寝ちゃってて……たぶんもう起きると思うんですが」
俺の寝室に母親を誘導して未来の寝顔を見せた。
タオルケットをきちんとかけて眠る娘の顔を見て安心した様子で微笑んだ。すでに酒臭さは消えているとは言え、あとでちゃんと本当のことを言わないといけないだろう。
**
リビングのベランダ側の長ソファに座ってもらい、コーヒーを出してから自分もその向かいの長ソファに腰をかけてあらかじめそばに用意しておいた封筒を滑テーブルに置いた。
すると未来の母親が躊躇ったような表情になった。そのまま封筒を滑らせ、無言で母親の方にすっとつき出す。きっと中身が何かわかっているのだろう。
「まずこれをお返しします。この前送られてきたお金です。受け取れません」
「でも、生活費とか食費とか、光熱費も」
「驚くほど彼女にはお金がかかっていないんです。気にしないでください」
「だけど……」
困った顔でおたおたする母親は未来そっくりでかわいかった。
年上の人にこんなことを思ってしまうのは失礼かもしれないけど、未来が大人になったらこういう感じなんだろうなとつい重ねて見てしまっていた。
「いいんです。いただいたらこっちが困るくらいなんです」
未来の母親がきょとんとした。
お金で買えないものを俺は未来からたくさんもらっている。大切な時間や癒しの気持ち、俺にとってはかけがえのないものばかり。
「携帯も買っていただいたんでしょう?」
「それは気持ちです。俺の実父のせいなんですから」
未来の母親が戸惑うように俯いて泣きそうな顔をした。
唇を噛みしめ涙を堪えている様子が伺える。
俺は自分の実父のせいと言ったが、未来の母親にとっては内縁とはいえ自分の夫。俺と同じような後ろめたさみたいなものを感じているのだろう。
「佐藤さんには本当によくしていただいて……未来は幸せだったことでしょう」
「いえ、自分は何もしていません。それより、俺の父親の件でお話したいことがあります」
俺が真剣な顔で言うと、目許をハンカチで拭った母親の顔が強張った。
落ち着いて聞いてください、と前置きし、昨日未来が実父に誘拐されたこと、現在湊総合病院に入院していることを話した。
未来の母親はボロボロ泣きながら俺の話に耳を傾けていた。
不謹慎だが泣き顔も美しい。よく似た顔で泣かれると罪悪感を半端なく感じ、なんとなく未来を泣かせているようで心苦しくもなる。
亜矢が連絡を取りたがっていたことを伝えると、必要であれば病院へ行くとのことだった。
未来の母親からは引っ越し先のことを聞かされた。
この家の近くの小さなマンションを見つけたらしく、未来と一度見に行きたいと話す。母親の中ではほぼ決定しており、未来が気に入ればすぐにでも引っ越し準備に取り掛かりたいとのことだった。
お互い必要な話をしていたら二十時半を過ぎていた。
話の区切れもちょうどよかったので、手帳から前に未来の母親が送ってくれた写真を取り出してテーブルに置く。その写真を見て未来の母親は不思議そうな顔をした。
トイレに行くフリをして俺は席を立ち、修哉を呼ぶ。
「お客さん、いるんじゃないのか?」
俺に促されるまま、申し訳なさそうに修哉がリビングへ入った。
「――あ」
未来の母親を見るなり修哉が小さく声を上げた。
一方未来の母親は少し呆けたような顔をしてじっと修哉だけを見ていた。戸惑ったようにリビングの入口で立ち尽くす修哉の背中を軽く押す。
「彼が本物の“しゅう”です」
俺が言うと未来の母親が大きく息を吸い込み、それを吐き出して目に涙を浮かべた。
「……しゅうくん、なの?」
未来の母親が立ち上がって、少し震えた足取りで修哉に近づく。
涙を流しながら手を差し伸べて一歩一歩。一方修哉は両肩を小さくあげ、緊張した様子でうなずいた。
「ご……ご無沙汰しています」
「ごめんなさい!!」
修哉が深々と頭を下げたのと同時に、未来の母親が大きな声で謝ってその場に土下座をした。
それに驚いた修哉と俺の「えっ?」という声が重なる。
慌てて修哉がしゃがみ込んで、未来の母親の上半身に手を差し伸べ起き上がらせようとした。だけど床に張り付いたようにその身体は頑なに動かなかった。
「ちょっ、やめてください! なにをして……」
「ごめんなさい! ごめんなさい……あなたには何度謝っても償いきれないっ」
「なんで、謝るなんて……」
こんなに狼狽えている修哉を初めて見た。
未来の母親の震えるその肩に修哉の手が乗せられ、「顔を上げてください」と繰り返す。そっと起こされて、未来の母親がゆっくり顔を上げた。
左手で涙を拭いながら声を震わせて修哉に話しかける。
「しゅうくん……本当のお名前は?」
「修哉です。藤原修哉」
「……そう、修哉くん。あの人はいつも『しゅう』って呼んでた」
「……です。親父はいつもそう呼んでいました」
修哉が苦笑いすると、未来の母親も泣きながら微笑んだ。
「あの人から、伝言があるのよ。修哉くんに」
「え?」
驚いた声で修哉が聞き返す。
未来の母親は小さい声で語り始めた。その表情は酷く切なげだった。だけど心なしかうれしそうにも見えた。大切な思い出を思い返しているようなそんな感じで。
「あれは十二年前のこと……うちが火事で燃えた時、あの人は家に取り残された未来を助けに戻ったの。あの子は奇跡的に軽症で助かったけど、助けに行ったあの人の身体に柱が倒れて、救出された時にはもう……」
涙を零しながら未来の母親が一生懸命話すのを修哉は無言でうなずいて聞いていた。
「でもその時、ひと言だけあの人が言ったの……」
修哉が身を乗り出すと、未来の母親は泣きながら微笑んだ。
「しゅう、みらい、幸せに……って」
修哉の頬に涙が流れるのを見て、未来の母親が手を握る。その手を握り返し、修哉が嗚咽した。
俯いて落涙する修哉の頭をそっと撫で、未来の母親が優しい笑みを向ける。
「あの人はずっと、修哉くんと未来を……心から愛していたの」
未来の母親が言うと修哉がうなずきながらボロボロ涙を零すから俺もつられて泣いていた。
こんなにも父親に愛されて、本気で修哉がうらやましかった。
修哉と未来の父親は、本当にいい人だったんだなってわかって暖かい気持ちになった。
**
それから未来の母親と修哉の父親の話を少しだけ聞いた。
修哉の父親が働いていた建設会社に未来の母親が事務職で入った時に出逢ったこと。
当時修哉の父親は二十六歳で、数ヶ月前に離婚をしたばかりのバツイチだったそうだ。修哉の母親と父親の離婚の理由は知らないと言っていた。
修哉の父親は少し鈍くさい未来の母親をほっとけなかったらしく、いろいろ面倒を見てもらううちに恋仲に発展。すぐに未来を妊娠して結婚に至ったと話してくれた。
未来の母親が罪悪感を抱くのはなぜだろう。
別に修哉の母親から父親を略奪したわけではない。すでに離婚していたのだから。だけど前妻とその子供に申し訳ないという気持ちが少なからずあるのかもしれない。
未来が人を気遣う性格なのも母親譲りなのかもしれないと感じていた。
過去の素敵な話を聞いて、皮肉なことに再び自分の幼少時代のことを思い出してしまっていた。
そしてまた心の奥底が真っ黒な闇に支配されていくような感覚を味わっていたのだった。
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