第159話 兄の嘆き未来視点
「うん」
少し間を空けてそう答えると、いきなり車が左に寄せられて空いているスペースに停車した。
お兄ちゃんが驚いた表情でわたしを見ている。小さく震えているようにも見えた。
「驚かないのか」
「……? お兄ちゃんが驚いているよ」
「そうじゃなくて!」
急にお兄ちゃんが大きい声を上げた。
その後すぐに押し黙ってしまう。呆気にとられて二の句が継げずにいるようだ。少し開いた唇が震え出すと同時に搾り出すようなお兄ちゃんの声だけが暗い車中に響く。
「俺は、こうして連れ去った男の……息子だぞ?」
「うん」
「未来を火事の中から助けてくれた父親の息子じゃないんだぞ!? わかってるのか? 未来! 俺は嘘をついたんだ。未来の兄貴だって! ずっと……それに未来を酷い目に遭わせた男の息子だ!」
「……」
「怖いだろう? いやだろう?」
よく見ると、お兄ちゃんは半泣きになっていた。その姿は痛々しくて、悲しい。
小刻みに震えるお兄ちゃんの左腕に触れて軽く揺さぶる。
「お兄ちゃん、落ちつい……」
「お兄ちゃんじゃない!!」
身体の奥底からこみ上げてきて爆発したような怒鳴り声が車の中に響き渡った。
その悲痛な声に、わたしは全身で驚いて身を引いてしまった。
しばらくお互い見つめ合っているとお兄ちゃんの強張った表情が少しずつ落ち着きを取り戻してゆき、「大声を出してごめん」と小さくつぶやいてペコリと軽く頭を下げた。
ようやく自分の思いが伝えられる、そう思って再びその左腕に手を伸ばして首を横に振ってみせた。
「お兄……柊さんは、最初はわたしがあの人の本当の娘だと思っていたんでしょう」
うん、とお兄ちゃんが一回うなずくのを確認する。
わたしが『お兄ちゃん』と呼んだらまた取り乱してしまいそうな気がして、柊さんと呼び直した。何となく違和感だけどしょうがない。
「だからそれでいいと思ってた。わたしは最初から……って言っても一番最初からじゃないけど、お兄ちゃんが……あ、柊さんがあの人の子供だって知ってたよ」
「――えっ?」
一瞬間があいてお兄ちゃんが驚きの声を上げた。
「だってお兄ちゃ……あぁ、もうお兄ちゃんでいい? 柊さんって呼びづらい」
お兄ちゃんが呆然としながらもゆっくりうなずくから、おかしくなって笑いかけた。
『お兄ちゃん』と呼ばせてもらえる許可が出たのも涙が出そうなくらいうれしかった。この呼び方が一番しっくりして、楽で、とっても安心するから。
「あの人、お兄ちゃんのことを名前で呼び捨てにしてたし、お兄ちゃんだってあの人に何回か会いに行ったりしてたでしょ? 『あいつ』って呼んでたし、あの人の子供じゃなきゃ不自然な行動たくさんしてるよ。気づいてなかったの?」
わたしが言うとお兄ちゃんは虚けたような表情で固まっている。
そして急に思い出したように声を上げた。
「じゃあ! なんで俺のこと好きだなんて言うんだ!? おかしいだろう? あいつの血を引いた俺を好きだなんて!」
今度はわたしが驚く番だった。
必死な様子でわたしを問い詰めるお兄ちゃんが辛そうに見えた。納得できないって顔で叫ぶからわたしも声を荒げて訴えていた。
「お兄ちゃんはお兄ちゃんであの人じゃない!!」
わたしの声の大きさに今度はお兄ちゃんが身体を強張らせて驚いている。
一瞬の静寂の後、わたしの手の中でお兄ちゃんの携帯が鳴った。その画面に視線を落とすと、そこには『着信・小林』と表示されていた。
「悠聖から?」
そう尋ねられ無言で携帯の画面を向けると、お兄ちゃんの顔が一気に青ざめた。
わたしの手から携帯が奪われ、一回大きく深呼吸をしたお兄ちゃんがこっちを向いたままゆっくりとそれを耳にあてた。
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