第150話 彼氏としての弟の決意柊視点
俺達男三人はリビングのソファに座って静かにコーヒーを飲んだ。
俺と悠聖が長ソファで隣同士。悠聖の右斜め前のひとり用ソファに修哉が座っている。
「僕、わかってるよ。未来が兄貴に惚れてるの」
長い沈黙を破ったのは悠聖だった。
俺と修哉は自然に目を見合わせる。やっぱり悠聖の勘は鋭かったと思うしかない。そして俺より修哉の方がよっぽど悠聖のことを理解している。その事実が兄として情けなかった。
「兄貴が入院している時思った。僕は本当は未来を諦めるつもりでいたんだ」
悠聖の手が膝の上で色が変わるほどきつく握られている。
それは少し震えていて悠聖の揺れる意思の表れのように見えた。
「だから少し距離を置いたら、未来がいきなり僕を好きだって言うから……セーブがきかなくなったんだ。でも僕は、未来のためにはっ――」
唇を震わせる悠聖がいつもより小さく見えた。
それを聞いて修哉が大きいため息をつく。
「困った小悪魔だな。去られそうになって悠聖が惜しくなったか?」
「――違う」
つい俺の口から否定の言葉が出てしまった。
俺には口を挟む権利なんかないのに、言ってしまって後悔した。
「何が違う? 柊」
「あ、いや……ごめん」
「言ってよ、兄貴」
ふたりの痛いくらいの視線が俺に突き刺さる。
俺はこのふたりに比べたら、未来とは関わりの薄い存在だ。でも未来のために代弁するべきか悩む。だけど明らかにふたりは俺の言葉を待っている。少し逡巡し、観念して口を開いた。
「未来は悠聖に距離を置かれて、どんな風に置いたかはわからないけど、それで嫌われたと思った。それが怖かったんだよ」
俺がそう言うと、悠聖が「あっ」と小さい声を上げたが、そのまま続ける。
「俺が退院してきた時、未来は異様なまでに悠聖に甘えていた」
「ああ、図書館に車で迎えに行った日か。柊が退院した日」
修哉が思い出したように声を漏らしたので、俺はそっちを見てうなずいた。
あの時のことはふたりともよく覚えているだろう。俺も忘れられない。
「あれは悠聖とずっとつき合っていくんだって未来なりの決意のアピールだったの、かなぁ?」
言ってて急に別のことが思い立ち、迷いが生じた語尾になってしまった。
この結論だと結局未来は俺のことが好きだったという答えにたどり着いてしまうから。未来の気持ちを俺の口から伝えていいものか、それも心配になった。
結局代弁はあくまでも代弁であって、本人の正確な意思ではない。そして確認したわけでもない。だけど悠聖の表情がみるみる変化してゆく。
「……そうだ、そう考えれば辻褄が合う。あの日の車の中のことは僕もずっと変だと思っていた。でも翌日瑞穂さんの前で手を繋いでいたら未来は恥ずかしがって僕の手を振りほどいたんだ」
「? よくわからん」
修哉が口を挟むと悠聖がキッと睨んだ。
「だから兄貴には僕達が仲がいいところを見せつけたかったんだろう。その理由はひとつしかないじゃないか……」
修哉がはっとした表情で指をパチンと鳴らした。
「未来ちゃんが柊への想いを断ち切って、悠聖とやっていこうとした決意」
「当たり」
悠聖が苦笑いを浮かべて修哉を指差す。
なんでこのふたりはこんなに未来の気持ちがわかるのだろうか。やっぱり血縁があるからだろうか。彼氏だからだろうか。俺はやっぱり蚊帳の外のような気がして少し辛かった。
そして悠聖の分析が、俺の心の奥底を激しく揺さぶる。
俺が下手なことを言ったのが引き金になったのはわかっている。今更言ったことは取り戻せない。激しく後悔していた。
だけどこれ以上未来の気持ちを暴かないでほしいと思った。未来の決意がみんな無になってしまうような気がして。
「兄貴。僕は未来に幸せになってほしいと思ってるよ。未来が幸せなら僕は……」
「ちょっと待て! 悠聖」
「待たない。僕は未来を解放する」
俺が止めるのを聞かずに悠聖は決意した眼差しをこっちに向け、はっきりとそう言いきった。
解放って……勝手に決めやがって。
「カッコイイな、悠聖」
修哉が小さく口笛を吹くと、悠聖が首を横に振る。
「カッコ悪いよ。僕は未来の気持ちを全然わかっていなかった。確かにあの時、未来は僕に『嫌いにならないで』って言ったんだ。兄貴はその場にいなかったのにそんな未来の気持ちをわかっていた。未来があの日異様に僕にくっついてきた理由も」
「悠聖待ってくれ……」
「待つ必要ないだろう」
「未来は悠聖と離れないと言っている。それに……」
俺が口ごもると修哉と悠聖が刺すような鋭い視線で俺を見た。
「だからそれが偽善だって言ってるだろう。未来ちゃんだってもうわかってるはず……」
「それに!!」
大声を出して修哉の言葉を遮ったことを後悔した。
未来が起きてしまわないか心配で振り返り、和室を確認するとさっきと同じように眠っている。いつもこんなふうに安心して眠っていてほしい。それが俺の願いだ。
ずっとそうしていられるのなら、俺は未来の前から消えてもいい。むしろ俺とじゃ無理なんだ。俺と一緒にいたら未来に一生平穏な日々は訪れなくなる。
「――それになんだよ?今更幸せにする自信がないとか言う気かよ?」
「――違う」
修哉が茶化しているのはわかっていたが、俺は至って真面目に答えた。
「俺はあの男の息子だぞ」
一瞬時が止まったかのような静けさを感じた。
俺の言ったことで修哉も悠聖も言葉を失っている。俺は畳み掛けるようにダメ押しのつもりで続けた。
「俺は未来に酷いことをしたあの最低男の息子、曲げられない事実だ。そんな男を好きになるはずがない。事実を知れば未来は絶対に俺を嫌いになる。赦すわけがないだろう? 未来がどんな辛い目に遭ったか俺は知ってる! あんな……あんなことをする男のっ」
「落ち着け! 柊」
気がついたら俺の全身は震え、肩呼吸をしながら全身に汗をびっしょりかいていた。
悠聖の手が俺の肩に優しく置かれて、少しだけ冷静さを取り戻せたような気がした。興奮しすぎてまともに呼吸するのを忘れていたのか少し頭が重くてクラクラした。
「兄貴、シャワー浴びてきたら?」
時計を見るとすでに一時を過ぎていた。
一度だけうなずいて、のそりとソファから立ち上がり和室の未来を見る。小さく口を開けてあどけない寝顔をしている。
……俺の宝物。
見ているだけでうれしくて自然に笑ってしまうんだ。
「修哉、遅いから今日は泊まっていけよ。服とかシャワー勝手に使って」
そう言い残してリビングの出口に向かい、ふと考えた。
最後にやることがあった。
「俺さ、未来に携帯を買い換えてやる約束をしたんだ。あの人でなしから連絡が来ないようにするために……明日買いに行くよ」
「ああ、そうしなよ」
修哉と悠聖が優しい顔で俺にうなずきかけた。ふたりには感謝してもしきれない。
「今まで兄貴の権利を貸してくれてありがとう、修哉。そのことを黙っていてくれてありがとう、悠聖。明日未来に本当のことを言うよ」
「えっ、そんないきなりか?」
「ああ、俺は本当の兄貴じゃないってこと。あいつの子供だってこと全部未来に話す」
「柊! 待てよ」
脱衣所でワイシャツを脱いでいると修哉が入ってきた。
「なに? 一緒に風呂入るか? 傷でも見ておく?」
「ちげーよ! おまえ明日って……いきなりすぎるだろうが。おまえと親父さんのことは関係ない。おまえがあの子を酷い目に遭わせた訳じゃ……」
「同じことだ」
「違うだろうが! バカ!」
修哉の怒鳴り声が浴室に響いた。
俺は脱ぐのを途中でやめて、修哉に向き直る。
「ありがとう、修哉。でももういいんだ。今日は未来と一緒に寝てやってくれ。時々うなされて泣くからさっきみたいに頭を撫でてやってくれないか」
「おまえがやれよ!」
「悪いけど今日はひとりにしておいてほしい。俺は寝室で寝るから」
なんだか酷く疲れていて、少しでも早く眠りたかったんだ。
俺の決意も揺るがないように、ひとりで。
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