わたしのアパートと翔吾さんのマンションは会社の最寄り駅から真逆。
会社の最寄り駅から翔吾さんの駅は急行で三つ目、うちは急行で三つ乗った後に各駅に乗り換えてひとつ目。翔吾さんの家の方が格段に会社に近い。
下着などを取りにいくために一度家に帰ると、また会社の最寄駅を通過することになる。
それはかなりめんどくさいので、翔吾さんのマンションの最寄り駅で降りて駅ビルで下着を購入した。
駅から徒歩五分。
翔吾さんのマンション前に着いた時にはすでに十八時半をまわっていた。
「お邪魔します……」
翔吾さんの部屋の鍵を開け、真っ暗な玄関に向かい、ついひとり言のようにつぶやいてしまう。
誰もいないことはわかっている。鍵もかかっているし、まだ翔吾さんはお仕事中。
今日は帰りが遅くなると言ってたけど、実際何時頃になりそうかなどの予定も聞いてなかった。
この家にはじめて来た一週間前のこと。
あの時は翔吾さんが和風ハンバーグを作ってくれた。
意識をなくしたわたしをベッドに残し、ひとりでキッチンに戻ってきてた。男の人ってすごい体力だな。
あんなに激しく抱き合った後だったのに……。
――――って! わたしったら何思い出してるのっ! 恥ずかしいっ。
お風呂を沸かして、キッチンに立つ。
駅前のスーパーで食材を買い込んできた。
そんなに料理は得意な方じゃないけど、肉じゃがだけは美味しく作れる自信がある。
なんでだろう? 簡単だからかな?
翔吾さんは料理上手だった。和風ハンバーグに大葉とおろしまで付けてくれて……慣れてる感じだったな。ひとり暮らしが長いのかな。
カウンター式のキッチンからベランダ側の壁にかけられた時計を見ると十九時半を指していた。
すでに肉じゃがはいい感じに煮込まれていて、ご飯ももうすぐ炊けそう。
そう思った頃、カウンターに置いていた携帯が震えた。タイミングいいかも。
「翔吾さん?」
『ああ、思ったより遅くなっちゃってごめんね。今、会社を出たところだからあと三十分くらいで着けると思う』
少し息を弾ませた翔吾さんのバリトンがわたしの耳をくすぐる。
大好きな声、うれしくてわたしは見えもしないのに携帯を握りしめてうなずいてしまう。
『腹減ったろ? 買い物帰りに外で食う? どうせ出るからお土産は買わないよ』
「――あ! 食事は作ってあるんです」
『えっ? 雪乃が作ったの? 大丈夫? 怪我してない?』
驚いたような翔吾さんの声のトーンが上がる。
それにこっちも少し驚いて、携帯を落としそうになった。
怪我してないって……わたしだってハタチを越えた大人だし、一応ひとり暮らししてるんだけどな。
「大丈夫ですよ。子ども扱い……」
『ああ、ごめん。でも心配でさ。楽しみにしてる! なるべく急いで帰るからっ、じゃ』
通話が切れ、うれしそうな翔吾さんの声が突然聞こえなくなって少し寂しくなった。
今から帰ってくるのに、変なわたし。
あんなに翔吾さんを拒絶していた自分が信じられない。
今はこんなに欲している。傍にいてほしいって心から願っている。
でも、あの忘年会で聞いた言葉も気になっているの。
わたしが利用しやすいってこと、そして髪がぼさぼさって言われたことも。
そっと自分の髪を撫でると、右の頭頂部のつむじの部分はやっぱりぱっかり開いちゃう。
いくら隠そうとしても髪で隠れることを拒絶しているかのように。
あの言葉は……。
玄関のノブが回るような音がして、少しだけぼんやりしていた意識がクリアになった。
今、翔吾さんと電話を切ったばかりであと三十分くらいかかるって言われたばかりなのに。
電話を切ってからまだ五分も経ってない。
誰? 翔吾さんじゃ……。
心臓がドクリと強い拍動をしたのがわかった。
同時に喉がカラカラになる。
わたしここに着いた時、鍵をかけた……はず。
ドクンドクンと鼓動が高鳴る。煩いくらい早くて強い。
まさか……ドロボウ?
リビングの扉から玄関の方をそっと覗く、と。
「あなた……」
玄関に立っていたのは秘書課の海原真奈美さんだった。
わたしを見て驚いたような、怒ったような表情を向けている。
その手には鍵が握られていて、この部屋の玄関を開けたんだってことが容易にわかった。
一瞬だけ目の前が真っ暗になって、わたしの頭の中は真っ白になってしまっていた。
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