第141話 応援要請?未来視点
訳がわからないままわたしと麻美はカラオケのあったビルから引きずり出された。
「ちょっとお兄さん! どこ連れて行く気?」
麻美の問いかけも無視をされ、わたし達は腕を引かれるままについて行くしかなかった。
わたしはなぜかその腕がいやじゃなかった。危ないところを助けてもらったから? そんな理由だけじゃなくて優しい力で手首を掴んでくれているからかもしれない。その手からは思いやりが感じられた。
さっき松岡さんに掴まれた時は痛くて怖くて言いようもない不快感が生まれ、どうしようもないくらい身体が震えた。だけどこの人からはそういう感情が生まれない。たぶんこの人はわたし達をどうこうしようとは考えていない。直感だけどそう思えた。
「お金払ってくれるの? ホテルはいやだよ!」
麻美がサングラスの人に言った言葉に驚いて「えっ」と声を上げてしまった。
それはホテルに連れて行かれる可能性があることを意味しているとすぐにわかった。軽い援交でエッチはなしと間違いなくわたしに言ったのに――
松岡さんもそんな感じで話を持ち出してきた。もしかして麻美が知らないだけ?
「悪いけど君みたいなお子様に興味ない」
わたし達の手を引いたままサングラスの人は前を向いてそう言い放った。
「なによそれ? 未来ならいいってわけ?」
麻美が普通にわたしの本名を口にする。偽名で呼び合うって決めていたのに。
駅前の噴水が左に見えてきてまだ人だかりがたくさんあった。
そんな中、異質な雰囲気を醸し出しているわたし達の方を見る人もちらほらいた。だけどみんな自分達の相手を探すのに一生懸命なのか、こっちを見ながらひそひそ何かを話しているだけ。そこを通過して細い路地を抜けると大きな公園が見えてきた。
「公園? ちょっと! イヤラシイこと考えてるんじゃないの?」
麻美の足が急に止まる。まるで散歩をいやがる犬のようだ。
その場で踏ん張って足止めしている。わたしも同じようにした方がいいのだろうか。
「いいから大人しくついて来い。もうすぐだから」
「やだ! 未来だけ連れて行けばいいじゃない」
「……ったくしょうがねぇな」
サングラスの人がため息をつき、わたしの手が解放された。
徐にスーツのジャケットから携帯を取り出して、どこかに電話をしはじめる。
「ちょっと! なんで未来だけ離してもらえるの? 私も離してよ!」
麻美はしっかり右手を掴まれたままその場で足踏みしている。
どうしたらいいのかわからず、オロオロしていると麻美が小声で「人呼んで来て」とわたしに言った。その声は目の前のサングラスの人には届いていない様子だ。
「あ、オレ。もう公園前なんだけどひとり暴れて言うこと聞かないから来て」
サングラスの人が人を呼んだ。
なんとなくいやな予感がした。この人は悪い人じゃないと思ったのに、わたしの思い違いだったのだろうか。
麻美が顎で駅のほうを示し「早く!」と囁き声でわたしに訴えかける。
他の人まで呼ばれたらどうしようもない。助けてくれた優しい人だと思ったのに、ここじゃ大声を出しても人通りが少ないからダメだ。麻美の言う通り、助けを呼ばなきゃ!
わたしの足は今来た道を戻っていた。
「あっ! 待てっ!」
後ろからサングラスの人の声が聞こえる。
待ってて! 麻美! 今すぐ人を呼んでくるからっ。
必死で小さい路地の入口まで走る。この路地を抜ければ人がたくさんいるはず。
そう思って路地に入った瞬間、グイッとすごい力で後ろから左腕を掴まれた。「ひっ」と小さく声をあげたわたしの口が大きな手で塞がれ、声を奪われる。同時に後ろから抱きすくめられ、力いっぱい引き寄せられた。
――助けて!! お兄ちゃん!!
「暴れるなって! 俺だ! 未来っ」
「――!?」
その時耳に飛び込んできたのは聞き覚えのある、わたしの名を呼ぶだいすきなこえ。
ゆっくり顔だけ後ろに向けると、それは今心の中で助けを求めたお兄ちゃんだった。
暴れるのをやめるとわたしの口から手が離される。後ろから抱きすくめられていた腕もするりと緩んだ。
後ろから肩を掴まれ、ゆっくり向き合わせれたけどお兄ちゃんの顔がまともに見れなくて。
「お兄ちゃ……」
狭い路地に乾いた大きな音が響いたのと同時にわたしの左頬に痛みが走った。
一瞬何が起きたのかさっぱりわからなかった。
目の前にわなわなと震えるお兄ちゃんの姿。左頬がジーンとして自分の手で覆う。
「……んで」
お兄ちゃんが少し下を向き、声を押し殺しているようでよく聞き取れなかった。
その時ようやくお兄ちゃんに叩かれたんだって実感してわたしの目から涙が溢れ出す。助けてもらったのに、うれしいのに……頬が熱くてまだジンジンしていた。
「なんでおまえは俺に心配ばかりかけるんだ!!」
すごい剣幕でお兄ちゃんに怒鳴られた。
さっきは電話口で怒鳴られたけど、直接だとさっきよりずっと怖い。
たぶん無意識なんだろうけど、初めて『おまえ』と称された。だけどいやじゃなかった。
「あんなのについて行ったら……どうなるかわかってるのかっ!?」
怒りで我を忘れているのか、お兄ちゃんの目が真っ赤になって握った手が震えている。
あんなのって……お兄ちゃんはわたしと麻美が何をしていたのか知っているのだろうか。だからここにいて、助けてくれた。さっきの男の人もお兄ちゃんの知り合いなのかもしれない。そう思ったら安心して力が抜けた。
俯いてなんとか「ごめんなさい」と謝ると、強い力で前から両肩を掴まれて視線を合わされた。
「ごめんで済むか!」
上から降り注ぐようなお兄ちゃんの怒鳴り声にわたしは怖くて身をすくめてしまう。
もう一度叩かれる覚悟をして目を閉じて歯を食いしばった時、わたしの身体はふわりと包まれお兄ちゃんの胸に抱き寄せられていた。
「なんで何も言ってくれない? ひとりで抱え込む?」
わたしを抱くお兄ちゃんの腕に力がこめられる。
お兄ちゃんの胸は暖かくて安心して涙が止まらなくなった。頬の痛みなんか忘れちゃうくらい心地よくて離れたくなくなってしまった。
「兄ちゃんそんなに頼りないか?」
そう尋ねられ、わたしは首を横に振った。
その背中にまわそうとした手を止める。抱きついてはいけない気がした。今の言葉でお兄ちゃんは兄でいてくれようとしているのに気がついたから。
「金子と修哉が待っている。話はあとでゆっくり聞くからな」
修哉さんの名前が出て驚くとお兄ちゃんに顔を覗き込まれた。さっきのサングラスの人は修哉さんだったんだ。そう言われて思い返してみれば体型はそうだったかもしれない。だけどスーツ姿もサングラスも見たことがなかったから全く気づかなかった。
「痛かったか? ごめんな」
お兄ちゃんの手がわたしの左頬にそっと触れ、優しく撫でられた。
その手が次いでわたしの頭をくしゃくしゃっと撫で、ゆっくり背中を押されながらふたりで元来た道を戻る。
お兄ちゃんが謝る必要ない。わたしがいけないのだから。
助けてくれてうれしかった。その思いで再びわたしの目は潤みそうになったけど、急いで戻らなければいけないという思いが現実に引き戻してくれたのだった。
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Thema:オリジナル小説
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