空色なキモチ

□ VOICE □

VOICE 140

第140話 タチの悪い人

未来視点




 これ以上下がれないってくらい非常階段の扉に背中を押し付けられて痛みを感じる。

 逃げ場を失ったわたしは身動きもできず、カタカタ震えるだけで喉の奥で小さく声をあげることしかできない。それは言葉にもなっていなかった。
 

「バージンなら上乗せするよ」


 ぎいっと音を立てて非常階段の扉が開けられた。驚いて「あっ」と小さく声が出てしまう。
 その扉の動きに合わせてわたしの身体は階段の踊り場の方へ押されてゆく。さらに見えづらい状況にされてしまった。


「そんなに怖がらなくても平気だよ」

「……や」

「じゃ一回五万で、バージンなら上乗せ二万でどう?」


 わたしは小さく首を横に何度も振った。
 謝罪をすれば許してもらえるのだろうか。こんなはずじゃなかった、そんなこと言っても、もう後の祭りだ。
 

「オプションでキスさせてくれたら一万払う」

「っ!!」


 松岡さんの右手がわたしの顎を挟むようにして持ち上げた。
 強引に視線を合わせられ、あまりの恐怖に瞼を伏せると自分の鼻頭がぼんやりと見えた。唇が震える。キスだっていやだ。


「そのかわいいお口でしてくれたら二万払う。ついでに下着も買うよ」


 その手の親指の腹がわたしの唇を拭うようになぞる。
 口でするという意味がよくわからないまま押さえつけられた顔を小さく横に振り続けた。薄ら笑いの松岡さんの目がわたしを舐めるように見つめている。その視線が恐怖心とさらなる不快感を煽る。さっきまでの爽やかなイメージはどこにも感じられなかった。


「やめ……て」


 目の前の松岡さんの姿がぼやけてきた。頬につうっと熱い雫が流れ落ちる。
 目のまわりが熱い……怖い、どうしよう。逃げたいのに逃げられない!


「結構いい条件だと思うけど? とりあえず一回キスしとく?」

「や……っ!」


 両手首を掴まれて扉に押しつけられた。
 無我夢中で身をよじりながら首を横に振って拒絶するけど掴まれた手首がさらに強い力で締め上げられた。


「ごめんなさい! 許して……っ」

「ミキちゃん泣かないでよ。こんな上玉の子滅多にいないから興奮しちゃうな。キスくらいいでしょう?」

「やです……お願いっ、離して!」

「結構高額だと思うよ? キスで金払うやつなんていないって。いいお小遣い稼ぎだと思ってさ」


 ――お小遣い稼ぎ?

 その言葉に松岡さんに対して強い嫌悪感を抱いた。
 うちは貧乏だけど、身体でお金を稼ぎたいと思ったことは一度もない。そんなことだけは絶対にしてはいけない、したくない。


 その時、ポケットの中の携帯が震えた。きっとお兄ちゃんだ。
 その音と振動で松岡さんの動きが一瞬だけ止まったけど、またすぐにその距離が縮められる。


「お兄ちゃ……助け……」


 小さい声でお兄ちゃんに助けを求めてしまった。
 ばかみたい、助けてもらえるわけないのに。自分から避けておいて今さら虫がよすぎる。

 だけど松岡さんの顔がゆっくり近づいてきて、堪えきれず「お兄ちゃん!」と叫び声をあげてしまった。逃げられない、顔を左に背けてギュッと目を閉じた時。


「――ちょっと待って!」


 男の人の大きな声が耳に飛び込んできた。

 それに驚いた松岡さんの動きが止まる。その身体で男の人の姿は遮られ、わたしの位置からは見えなかった。チッと小さな舌打ちをした松岡さんが振り返ると、そこにはサングラスをかけたスーツ姿の男の人がいた。


「その子、オレの妹なんだ」


 サングラスにスーツ姿の男の人の口元がニッと上がり、松岡さんの肩を掴んだ。
 えっ? 妹って……どう見てもお兄ちゃんじゃない。


「はぁ?」

「はいはい、手を離して」


 不機嫌そうな声を出す松岡さんを宥めるようにして、その男の人がわたしを助け出してくれた。グイッとすごい力で肩を抱かれて引き寄せられる。かすかにフレグランスの香りが漂う。わたしの好きな匂いだ。


「妹がご迷惑をおかけしました。でもいくらかわいいからって十五歳に手を出すのはいかがなものかと」

「――っ! じゅう、ご?」


 サングラスの男の人がそう小声で囁くと、それを聞いた松岡さんが目を丸くしてわたしを見た。嘘をついたのがバレてしまった。だけどなぜこの人はわたしの実年齢を知ってるの。


「部屋はどこ?」


 わたしは男の人に肩を抱かれたまま、エレベーター前を通り越しカラオケに押し込まれる。
 状況がよく飲み込めなくて、言葉を発せずにいるわたしをサングラス越しに見てさらに強く聞き質された。


「かばん! どこの部屋にあるの?」

「あ、えっ、その三番の部屋」


 有無を言わさず、男の人がわたしの肩を抱いたままやや乱暴に三番の部屋の扉を開いた。
 その音がかなり大きくて、中の竹田さんと麻美がすごく驚いた表情を同時にこっちへ向けた。竹田さんがマイクを持って少し高くなっている舞台に、麻美はさっきの場所に座ってマラカスを握っている。


「はい、君も帰りますよ。かばん持って」

「えっ?」


 サングラスの男の人に手を掴まれて麻美が驚きの声を上げた。
 背中をポンと押され「かばんを取って来い」と促される。一度大きくうなずいてかばんを取り、部屋の扉口に戻ると、サングラスの人がテーブルの上に一万円札をバンと乗せた。


「ちょ? なんなの? この人」

「いいから早く君も、あ、それで支払いお願いしますね」


 男の人が竹田さんにそう言い残し、わたしの背中を押しつつ麻美の手を引っ張って部屋を出た。中にいる竹田さんも扉付近にいた松岡さんも呆然としている。実年齢を知り、さすがにまずいと思ったのか松岡さんはわたし達を引き止めるようなことはしなかった。


 わたし達ふたりはサングラスの人に促されるままカラオケを出て、下りのエレベーターに乗せられた。麻美が怪訝な顔をしてわたしに耳打ちをしてくる。


「誰? この人新しいスポンサー?」

「この人……わたし達の年齢知ってる」

「はぁ!?」


 大きな驚きの声を上げた麻美がサングラスの人を見上げた。
 度胸のある麻美でもさすがに顔が引きつっているように見える。素性を知られているのはやはり分が悪いと思ったのだろうか。


「まさか……警察じゃないよね?」

「違うけど、もっとタチが悪いかもよ?」


 サングラスの人の口元がくっと上がったのを私も麻美も見逃さなかった。


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Date:2013/10/01
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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