第139話 危険なエンコー未来視点
A駅前のビルの六階にあるカラオケに行った。
代金は言われたとおりみんな払ってくれた。時間は二十時ちょっと前でなおかつ金曜日だからか客入りがいいようで混んでいて小さい個室しかあいていなかったと言う。長いソファとほぼ同じ長さのテーブルが平行に並んでいてる部屋だ。
一番奥のカラオケの機械と舞台があるところにスポーツマンタイプの竹田さん。その左隣にわたしで、その左隣に麻美、一番ドア口に爽やか風サラリーマン松岡さんが座った。
ドア側の席に座った人が必然的に入口付近にある電話で食べ物や飲み物を注文する係になるらしい。カラオケの仕組はよくわからない。松岡さんが慣れた感じでどんどん注文し、徐々にそれが運ばれてくる。松岡さんが麻美の前を越え、にこやかにオレンジジュースを手渡してくれたのでお礼を告げて受け取る。
「くるみちゃんはあんずサワーでいいんだよね。未成年なのに」
「あははっ! 松岡さん意外とカタいんですね」
「そりゃそうだよ。君達何歳?」
「こう見えて十八歳ですよ」
麻美が嘘をついた。三つも多く言ってるし!
もうすぐ十六歳になるけど、十八歳のフリしないといけない。そういう打ち合わせは先にしておいてほしかった。聞かれたらきっと実年齢を言ってしまいそうになる。
「ミキちゃんは見えるけどくるみちゃんは童顔系?」
わたしの右隣の竹田さんが笑ってテーブルに置かれたピザや唐揚げをパクパク食べている。
「ああ、竹田さんひどい。ミキは昔から大人っぽかったからなぁ」
麻美もピザを取って食べ始めた。
わたしは十八歳に見えるんだ。実年齢より老けているということなのだろうか。麻美はいつもの一本のポニーテールの方が大人びて見える気がするけど、プチ援交の時はツインテールが決まったスタイルなのかもしれない。
「ふたりは幼なじみなの?」
「小学校が一緒だったんですよー」
「ひゃっ」
いきなりポケットの中の携帯電話が震えて声を上げてしまった。
緊張してるから少しのことで反応して驚いてしまう。竹田さんの左腕が少し当たるだけでも気を張ってしまうくらいだ。
「ミキちゃん電話?」
苦笑いでうなずいて携帯の画面を見るとお兄ちゃんからの電話だった。
この状態で出られるわけがない。そのままポケットに戻す。きっとさっきのメールの返事をしないでいるからだろう。
「出なくていいの? じゃ、これ食べて」
竹田さんがわたしにポッキーを向けてくる。
こんなふうに人からものを食べさせられるのは物心ついてからはそう多くない。その相手はいつも母か父、そして義父くらいなものだった。あと私の記憶が正しければ、幼い頃に遊んでもらったお兄ちゃん。
見ず知らずの人にされるのはいやだったけど、断れるわけがない。目をつぶって差し出されたポッキーを食べた。チョコレートの味がやたら甘ったるく感じる。
「かわいいね、すごく緊張してるんだ」
竹田さんがニコニコしてそう言うからわたしは首を横に振ってポッキーを素早く飲み込んだ。
ポケットの中で携帯が震え続けている。「携帯ウザい」と麻美に肘で突かれ、ごめんなさいと謝るしかできなかった。
「誰? 彼氏?」
松岡さんに聞かれて首を振る。電源を切ってしまおうか。でもそうしたら帰った後にお兄ちゃんに問い詰められるかもしれない。一度出て、心配ないと伝えておいた方がよさそうだ。
「ごめんなさい。電話出てきます」
席を立って麻美と松岡さんの前を通り過ぎ、部屋の外へ出た。
少しだけホッとした。麻美ばなんで知らない人とあんなに話せるのだろうか。閉めた扉の向こうから麻美の楽しそうな笑い声が聞こえるけどひとりにしてしまうのは少し不安だ。早めに電話を終わらせて戻ろう。
カラオケの入口を出て、やや左斜め前にあるエレベーター横の非常階段のドア口で携帯を見た。
お兄ちゃんからの着信、すでに三回。店の外に出たし、ここならカラオケの音も聞こえない。電話に出ても平気だろう。そう思っていたらすぐに携帯が震えて案の定、お兄ちゃんからの着信だった。
『未来! 今どこにいるんだ!』
電話に出るなりお兄ちゃんの怒鳴り声が響いた。耳がキーンとする。
「友達と……」
『だからどこだと聞いてるんだ! メールしても返信しない、電話も出ないってどういうことだ!』
「……ごめんなさい」
『今すぐ帰って来なさい!』
こんなに怒ったお兄ちゃんの声、ひさしぶりに聞く。
一度目は義父から助けてくれた時だ。それからはこんな荒げた声を聞いた事がない。本気で怒っているのがわかって恐ろしくなってしまう。
「お兄ちゃん、あのね……」
「ミキちゃん」
後ろから声をかけられて、振り返ると松岡さんだった。
『おい!!』
携帯からお兄ちゃんの怒鳴り声が聞こえてきて慌てて通話を切ってしまった。
あとで怒られるだろうな。覚悟して帰らないといけないと思うとすでに気が重かった。それより今の『ミキちゃん』と呼ばれたのお兄ちゃんに聞こえてしまったんじゃないかと気が気じゃなかった。
「お兄さん? 相手」
松岡さんに聞かれ、うなずきながら携帯を制服のポケットにしまった。すぐにポケットの中で携帯が震え出す。もう勘弁して、と心の中でぼやいてしまう。心配してくれているのはわかっているけど。
「すごい心配されちゃってる?」
「……いえ」
通話中に切ってしまったし、電源を落としておいたほうがいいかもしれない。
携帯をポケットから出そうとした時、松岡さんがわたしの右肩に手を置いた。
「ミキちゃん、ふたりでここ抜けない?」
「え?」
抜けるってどういうことだろうか。言っている意味がわからなくて松岡さんを見上げた。
右肩に置かれた手が妙に重く感じる。そして強く掴まれているような気もした。恐怖心がふつふつと湧き上がってくる。
「こういうの初めてなんでしょ?」
「……はい?」
「いろいろ教えてあげる。カラオケにつき合ってもいいところ一回五千円から一万円だよ」
いきなり松岡さんがわたしの身体を非常階段の扉に押しつけた。
背中にひんやりとした硬い扉の感触。右肩は掴まれたまま、左側は松岡さんの右手が非常階段の扉につかれて囲い込まれた状態になっていることに気づいた。どくん、どくんと鼓動が高鳴る。
カラオケの店内からここは死角になっている。新しいお客か来るか帰る人でもいない限りここを通らないはず。それにエレベーターを使ってしまえばここは見えないだろう。
「もっと稼ぎたいならさ……一回五万でどう?」
「……え」
「ミキちゃんはバージン?」
押さえつけられた肩から松岡さんの手の熱気が伝わってくる。
今まで爽やかな笑みを浮かべていた松岡さんの眼光がギラリと光ったように見えた。尋ねられた内容があまりにも衝撃的で言葉を発することができなかった。
背後には扉、逃げようがない。目を合わせるのが怖くて左に視線を移すと、松岡さんの右腕がわたしの顔のすぐ横にあった。ワイシャツの袖を折った肘が曲げられ、音を立てて扉につけられる。その身体が覆い被さるように徐々に距離を縮めてきた。
これ以上わたしのパーソナルスペースに侵入しないでほしいのに、あまりの恐ろしさに声にならない。
背筋に汗が伝うのを感じた。
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Thema:オリジナル小説
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