第129話 友人の過去と交換条件未来視点
図書館の館長も職員の方々もわたしが話せるようになって驚いていた。
みんなよろこんでくれて、その気持ちが本当にうれしかった。
わたしも誰かに何かを聞かれてもすぐに答えられるようになってうれしい。首からぶら下げていたプレートも必要なくなった。
いつものように本を書架に戻していると後ろから肩を叩かれ、振り返ると麻美だった。
「よっ! 未来」
「麻美……」
「えっ? 何? しゃべれるようになったの?」
麻美が目を大きく見開いてわたしを見る。
照れくさくて、少し俯きながらうんとうなずくと急に首元に抱きつかれた。
「おお! よかったねぇ! 未来の声初めて聞いたよ」
「う……うん……ありがと」
「未来は声もかわいいんだ……なんだかずるいなぁ」
麻美の声のトーンが急に下がったのが気になった。そして『ずるい』と言った言葉の意味も。
わたしの両肩をしっかり掴んだ麻美に真剣な目で見据えられる。その目に深い光が宿ったような気がした。
「……あさ……み?」
「私さ……小さい頃、未来に親切にしてたよね?」
麻美に言われて小学校時代のことを思い返していた。
話せないわたしによく話しかけてくれた麻美。家が近所でいつも一緒に登校していた。それなのに中学の学区が別でお互い違う学校へ行ったけど。
「私の幼なじみの
海斗覚えてる?」
海斗くん、スポーツが得意でクラスでも人気者だった男の子だった気がする。
わたしに話しかける子は少なかったし、あまり印象には残っていない。
「海斗が未来のことずっと好きだったの知ってた?」
「……え?」
「あいつ今でも未来のこと好きだよ」
わたしの肩を掴む麻美の手に力が入る。それは指が食い込むんじゃないかと思うほどだった。
その痛みで麻美がわたしに対して怒りを抱いているという気持ちを知った。
「私さ、小学校の時、海斗が好きだったんだよね。今ではどうでもいいけど」
「知らなかった……海斗くんのことも……麻美の気持ちも」
躊躇いながら答えると麻美が笑って手を離す。その時背筋にいやな汗が流れた。
ごめんねと謝るのも変だ。そんなことをしたら余計に麻美がいやな思いをするだろうと思い、口を閉ざす。
「そりゃそうだよね。未来はいつもまわりなんか見てないもん。今だって素敵な彼氏がいるのに他の男に愛想振りまいたりしてるんでしょ?」
麻美の言葉に胸が抉られるような気持ちになる。
「昔から知ってたよ。未来のやり口。男も騙されるよね。未来はきれいだもん」
わたしは首を横に振った。
そんなつもりは全く無かった。でもそう思われていたことがショックだった。わたしなんかより麻美のほうがずっときれいだ。本当にそう思う。だってわたしは穢れているのだから――
麻美が制服のスカートのポケットから携帯を取り出している。それを待って声をかけた。
「麻美……あの……」
わたしが声をかけても麻美はこっちを見向きもせず、携帯を操作している。
「未来はいつも罪悪感がないよね。だってさぁ、彼氏がいるのにこんな」
麻美が自分の携帯の画面をわたしに向け、その画像を見てどくんと心臓が強く拍動するのを感じた。
何かの間違いであってほしいと瞬時に思った。喉元で浅い呼吸を繰り返すことしかできない。その音がひどく煩く感じる。
そんなわたしを勝ち誇った目で麻美が睨み上げ、「こんなのもあるけど?」と携帯から新たな画像を提示し、全身が震えた。
その画像は今朝のもの。
手を引かれてホテルから出てくるわたしそしてお兄ちゃん。そしてファストフードでふたりでいる画像。誰がどうみてもそこに写っているのはわたしであり、横溝高校の教師である佐藤柊の姿だった。
なんで、という思いは浮かばなかった。
迂闊だった。地元なんだから知り合いに遭遇してしまう危険性を考えるべきだった。
それなのに何も考えずホテルから出てそのまま近くのファストフードに入ってしまうなんて……もしかしたら他の知り合いにも目撃されているかもしれない。その可能性を考えたら身体が震えた。
「私、今日部活で朝早くてさ、まさかと思って目を疑った」
どうしよう、言葉が出ない。せめて相手がお兄ちゃんじゃなければ。
お兄ちゃんは麻美の先生だ。下手に弁解して変な方向に話が解釈されてしまったら教師生命を断たれるかもしれない。わたしのせいで――
「これさぁ、悠聖くんに見せたらどう思うかな?」
麻美の言葉に愕然とした。
悠聖くんに見せるって……なんで彼の名前を知っているの?
「柊先生にも……」
「――だめっ!!」
場をわきまえず、大声を出してしまった。
傍にいた人の視線が痛いくらい突き刺さる。俯きながら軽く頭を下げて詫びると、くすっと小さな声で笑う麻美の声。
「……見られたくない?」
麻美の顔の横に掲げられた携帯の画像から目が離せない。
わたしは何度も深く強くうなずいた。言葉が話せるようになったのに、これじゃ今までと同じだと思いながらも声が出なかったのだ。
「悠聖くんにも、柊先生にも?」
「……お願い」
消えそうなくらい小さな声で麻美に頭を下げる。それしかできなかった。
「どっちにもって甘くない? どっちかにしてよ」
「悠聖くんには……っ! 見せないでっ!」
悠聖くんに見られたら、絶対に傷つけてしまう。もう彼を傷つけたくない。
もちろんお兄ちゃんに見せられるのも困る。仕事に支障が出るのは必至だし、絶対に責任を感じるだろう。わたしがお兄ちゃんの言うとおりマンションに行っていれば、こんなことにはならなかったのだ。
全部わたしのせい――
「麻美……わたしなんでもするから! おに、柊さんにも……誰にも見せないで……お願い」
もう一度麻美に頭を下げる。
お願い、お願いと呪文のように小さなつぶやきを何度も繰り返した。
「しょうがないな、じゃあ」
麻美がわたしの耳元で囁き、ひとつの提案を持ちかけてきた。
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