第123話 彼女の声柊視点
未来をベッドに残し、俺は浴室の脱衣所で彼女の母親に電話をかけた。
未来と一緒にいること、実父から接触を促す連絡が来たことを伝えたらかなり狼狽していた。
実父が未来を家に迎えに行くと言っているので、その家は危険と判断したと伝える。未来の母親は今にも泣き出しそうな声を上げた。
もう一度未来を預からせてほしいと申し出たところ、近々引っ越しの予定があることを聞いた。
部屋が決まるまで未来をお願いしますと頼まれ、俺は了承した。
雨のせいですっかり冷えた身体を浴槽にうずめる。
もう夏なのに少し熱めのお湯に手足を目いっぱい伸ばして顎の下まで浸かった。
未来の声が出るようになったこと……母親に伝えなかった。
前に夢に見た未来の声と似ていたかもしれない。いや、全然違うかもしれない。うろ覚えだ。
でも実際の未来の声は、少し高くて透明感のある爽やかなものだった。いつまでも耳に残るような声ではなくサラッとした感じで、まるで流れる水のようだった。
その声を思い出しながら、目を閉じた。
ホテルの備え付けの水色の寝衣を着ると丈が大腿くらいしかなかった。
着ている方が恥ずかしいような短い浴衣もどきを羽織って出ると、薄暗い青い照明の部屋のベッドで未来は右側に極端に寄り、左向きに眠っていた。
部屋の左側に小さな窓がある。外の様子が見たくてカーテンを少しだけ開けてみるけどその窓から外は見えないようになっていた。外から覗かれるのを防止するためなのだろうか。諦めてカーテンを閉める。
未来を起こさないよう静かにベッドの左側からもぐり込む。
俺は右向きに横になり、右手で頬づえをついて未来の寝顔を見た。顔にかかっている髪を耳にかけてやろうと手を伸ばし、未来の頬に触れたその瞬間、目が開いた。
「起こしちゃった? ごめん」
「ううん、寝てなかった」
「……眠れない?」
未来は瞬きをして小さくうなずいた。
声を聞きたい俺は何かを未来に質問しようと思ってとっさに思いついたことを聞いてみることにした。
「未来はいつ頃から声が出せなくなったの?」
未来が瞬きを何度も繰り返して驚いた表情をした。
「あ、言いたくなかったら別に……」
「三歳の時……だけどなんで知ってるの? わたしが昔、話せたこと」
これは修哉に聞いた記憶だった。
目を丸くして聞き返す未来の顔を見て、しまったと思ったけど。
「……昔、小さい頃、少しだけ遊んだろ?」
修哉の記憶をもう一度利用した。
かなり焦ったけど未来は疑っていないようだった。修哉が昔、未来と遊んだことがあるという情報があって助かった。
「目の前でお父さんが燃えたの」
未来は目にうっすら涙を浮かべていた。
俺は絶句して未来を見つめることしかできなかった。
「火事……で。お父さんわたしを助けに来て……燃えた。それからずっと声が出なかった」
ゆっくり未来が目を閉じた。本当の未来の父親、そして修哉の父親。
未来を助けようとして亡くなった。それを目の前で見たショックで。心的外傷後ストレス障害というものだろう。
「ごめん、未来。辛いこと思い出させて悪かった」
左手で未来の頭を撫でると小さく首を振った。
「声出るようになったのお兄ちゃんのおかげだから」
「……なんで?」
「わからない。でもお兄ちゃんといる時に出るようになったから……」
俺の左手を取って未来が自分の頬に押し当てた。
「もう文字を打たなくてもいいんだ」
満足そうに未来が微笑んで俺の手を解放し、布団に少しだけもぐり込む。
その肩にもう一度布団をかけ直してやった。
まるで人魚姫の話みたいだと思った。
未来は自分が助かったのと引き換えに、父親と声を失った。人魚姫は声も命も失ってしまうが、未来には命も声も戻ってきた。十二年の時を経て……彼女の元へ。
なんとなく嫌な予感がした。
今度は声と引き換えに何かを失うのではないか?
――ダメだ!!
未来はもうたくさんのものを失っている。
これ以上不幸になるのはダメだ……辛い思いは二度とさせたくない。
→ NEXT→ BACK
Information
Trackback:0
Comment:0
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学