第121話 咎人なわたし未来視点
お兄ちゃんにきつく抱きしめられてわたしは頭の中が真っ白になっていた。
兄妹に戻れない。お兄ちゃんがわたしをすき。
頭の中でその言葉がぐるぐるまわっている。
お兄ちゃんのジャケットのポケットに入れられた携帯電話が震えて、わたしは我に返った。
それに気づいたお兄ちゃんの腕の力が緩まり、わたしの身体をそっと離してくれた。携帯を取り出して画面を確認する。
「……あ」
「どうした? 未来」
携帯を片手にお兄ちゃんから離れ、一歩、二歩、ゆっくり後ずさる。
その分お兄ちゃんがゆっくり近づいてくるから距離は開かない。
そんなお兄ちゃんを見てわたしは首を振った。
「誰? 父親か?」
「……ちがう」
「じゃ……」
「ゆ、うせいくん」
ギュッと携帯を握りしめてその名前をお兄ちゃんに伝えた。
お兄ちゃんの動きが止まる。気まずそうな、辛そうな表情をわたしに見せた。やっぱりそういう気持ちになるでしょう? わたしはお兄ちゃんから目を逸らして悠聖くんからのメールを見た。
『バイトお疲れ様。すごい雷雨だけどもう家にいるのかな? 大丈夫?
今日は兄貴が未来のお母さんに会うって言ってたけど外でなのかな? お母さん帰ってきてる?』
悠聖くんからのメールを読んで胸が痛くなった。
こんな時にまでわたしの心配を、お兄ちゃんを気にかけている。
お兄ちゃんがわたしを好きと言ってくれて、そしてキスをしてくれて幸せだった。
声が出たことも本当にうれしくて、これからは自分の気持ちを声で伝えられると思ったら天にも昇る気持ちだったの。
だけどその間、すっぽりとわたしの頭から悠聖くんの存在が抜けていたことに今更気づく。
自分が咎人になった気がした。
「未来、父親からのメールを見せて」
お兄ちゃんが近づいてくるから、わたしはそのまま下がり続けた。
「わたしもまだ……みて……ないから」
お兄ちゃんから目を逸らすけど罪悪感で押し潰されそうだった。
「じゃ今、一緒に見よう。携帯貸して」
どうしていいかわからなくてお兄ちゃんに携帯を委ねた。
悠聖くんからのメールを開いたまま。それを見てお兄ちゃんは少しだけ眉をひそめた。
空が光ると同時に再び激しい雷鳴。
「ひゃ!」
両手で耳を塞いで目を閉じると、次の瞬間にはふわっとお兄ちゃんの左腕に包まれていた。
わたしの身体を自分の胸に引き寄せ、お兄ちゃんは携帯を見ている。顔がみるみる強張っていくのがわかった。
「……おにい……ちゃん?」
「家に行こう、未来。俺のマンションだ」
お兄ちゃんがわたしに「見ろ」と携帯を差し出した。
なぜいきなりそんなことを言うのだろうか。おずおずと携帯を受け取って画面を見る。
『未来、迎えに行くからふたりで暮らそう。おまえはオレのものだ』
その内容にわたしの喉元からひきつれたような声が漏れた。
義父からのメール自体にも言葉を発することができなかったのに、さらに衝撃的な内容だった。
迎えに? ふたりで暮らす? オレのものって……。
「あの家にいるのは危険だ。家へ行こう」
「いや……」
「大丈夫、未来を連れて行かせなんかしない。今度こそ絶対に守るから」
お兄ちゃんの左腕をギュッと掴む。
連れて行かれるだなんて思っていない。お兄ちゃんは絶対に命懸けで守ってくれるはず。でも――
「……いけない」
「どうして?」
わたしの顔をお兄ちゃんが怪訝な表情で覗き込む。
目を逸らすと少しだけ無言の時間が続いた。わたしが理由を言うのを待っていてくれている。そうわかっていたけど何も言うことができなくて唇を噛みしめる。
「未来、行こう」
わたしが何も言わないと判断したのか再び優しく促された時、また空が光った。
すぐに激しい雷鳴が襲う。それからわたしを守るようにお兄ちゃんが抱きしめてくれた。
「大丈夫だ。行こう」
「いや……いかない」
「どうして?」
困惑顔のお兄ちゃん。
困らせていることはわかってる。だけど首を横に振り続けた。このままじゃ埒が明かない。ちゃんと言わないと。
「だってっ……悠聖くんに、顔……あわせ、られない」
ようやく思いを口にした時、再び空が光った。
大きな雷鳴に何もかもがかき消されたらいいのに、そう思ったのはきっとわたしだけじゃないはず。
悲しげに顔を歪めたお兄ちゃんが間をあけて、つぶやくように「そうだよな」と漏らした。
雷鳴が少しおさまったような気がして、わたしはその腕から逃れるように離れた。
「ホテルに行こう」
わたしは自分の耳を疑った。
掴まれた右手にぐっと力が込められるのを感じ、思いきり振り払う。
「誤解するな! 今とりあえず行くだけだ。何もしない! 約束する。こんなところにこのままずっといられるわけないだろう? このままじゃ風邪を引いてしまう」
お兄ちゃんの顔は真剣で嘘を言っているように見えなかった。そもそもお兄ちゃんはわたしに嘘をついたりしない。ふたりともびしょ濡れだ。病み上がりのお兄ちゃんに風邪を引かせるわけにはいかない。
「明日悠聖にすべてを話すから」
わたしが「えっ?」と驚きの声を上げるとお兄ちゃんが優しく笑った。
雨が少しだけ小降りになってきている。ここから出るなら今がチャンスだろう。またいつ大降りになるかわからない。
お兄ちゃんの左手が差し出され、わたしはその手に自分の右手を乗せた。
小雨の降る中、お兄ちゃんに手を引かれて隠れるように駅前のブティックホテルに入ったのは二十一時半を過ぎていた。
初めて入るその部屋は、青い照明で海の中のようだった。
きれい。その思いは一瞬で、すぐに悠聖くんへの罪悪感が心を黒く塗りつぶしていく。やるせない思いでいっぱいだった。
この事態がこの後どんな結果を生むのか、その時のわたしには想像すらできなかったのだった。
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