第119話 すきなこえ未来視点
目の前のお兄ちゃんのワイシャツの胸と紺色と白の細いストライプのネクタイが視界に入る。
“ごめんなさい”
高鳴る胸の鼓動がバレるような気がして慌てて離れると、同時にわたしの右手首が解放された。
わたしなにやってるの? いくら雷に驚いたからって、いきなり抱きつくなんて。
まだ雷がゴロゴロいってる。
右手に持っていた携帯をお兄ちゃんから借りて羽織っているジャケットのポケットに入れて両耳を塞いだ。昔から雷は苦手だ。音も稲妻も怖い。
耳を塞いでいるのに、「未来」とわたしを呼ぶお兄ちゃんの声が聞こえた。
癖がない低めの聞きやすくてよく耳に馴染む声。
わたしの大好きな声。
目を閉じてその声を感じていたら、お兄ちゃんに抱きしめられていた。
「そのまま耳を塞いでいなさい」
お兄ちゃんの腕の中でその顔を見上げると優しい表情で微笑んでいる。
背中をポンポンとあやすように叩かれて、わたしは首を振った。
“離して”
「大丈夫だよ、未来。兄ちゃんが守ってやるから」
すきなこえで、そんなこといわないで。
喉元がギュウッと締めつけられるように苦しくなって鼻がツンとした。
いけないことだと身体が判断したんだ。
“ダメ! 離して”
わたしが唇を必死で動かした時、再びドカーンと大きい音が響いた。
それに驚いて、再びお兄ちゃんの胸に顔をうずめてしまう。ここに一緒にいる限り、わたしはお兄ちゃんから離れられない。
「大丈夫だ。このままで」
お兄ちゃんの優しい手が何度も何度もわたしの頭を撫でる。
ダメなのに……こんなことしちゃダメ。その体勢のまま首を横に振って拒否をした。
“ダメだったら! 高崎さんに悪い!”
唇を見せるように訴えると、瞠目したお兄ちゃんの眉間にくっきりシワが刻まれて困惑顔に変化してゆく。どうしてそんな顔をするんだろう。そうしたいのはわたしの方なのに。
また空が光る。すぐにあの雷鳴が来ると思ったら怖くてギュッと目を閉じた。
“高崎さんに悪いったら!”
ドカーン!! と大きい雷が鳴った。
今までで一番大きい音でギュッと耳を両手でしっかり押さえる。心臓がドンドン音を立ててるみたいに拍動してる。雷の音も、強い雨音も怖かった。
「――未来、聞いて」
お兄ちゃんの手がわたしの身体をさらにきつく抱きしめる。
手が腰の辺りにまわされ、その力の強さに背中が少しだけ反り返ってしまうくらいだった。
“苦しいから離して!”
わたしが必死で唇を動かして伝えるとお兄ちゃんの腕の力が少し緩まった。
少しだけ身体が解放されたからジャケットのポケットに入れておいた携帯を取り出す。いつまたあの雷が鳴り出すかわからないから急いで文字を打たないと。
それをそのままお兄ちゃんに手渡した。
『こんなことしてたら高崎さんに悪いしお兄ちゃんに抱きしめられると苦しいし辛いの』
すぐに両手で耳を塞ぐ。
また空が光る。大きい雷鳴がお腹に響いた。少しでもいいから早く弱まってほしい。
未来、とわたしを優しく呼ぶお兄ちゃんが耳を塞いでいる手を外そうとしてきた。
だめ、外さないで。これを外したら雷の音も聞きたくないお兄ちゃんの言い分も拾ってしまう。きっと何の根拠もなく「大丈夫」を繰り返すだけだったら最初から聞きたくない。
「聞いて、未来」
悲しそうな顔のお兄ちゃんが今にも泣きそうに見えた。
その声を、言うことを聞きたくなくて必死で耳を塞ごうと抵抗するけどお兄ちゃんの手の力の方が断然強い。あっという間に耳から手を外されてしまう。
「未来、俺のこと……嫌いか?」
お兄ちゃんの思いがけない言葉に、わたしは全身で反応してしまった。
お兄ちゃんのことが嫌い? なんでそんな質問をするの? 意味がわからない。
「嫌いならやめるから……」
辛そうに眉をしかめるお兄ちゃんの目がわたしを見ている。
わたしは目を閉じて何度も首を振った。「違う」と唇で訴えると、お兄ちゃんが耳元においてるわたしの両手を強く握った。その手が暖かくて身体の中心がじんとした。
「……未来?」
“逆だよ、お兄ちゃん”
――嫌いなわけ、ないじゃない。
堪えきれなくなって、わたしの目から涙か零れ落ちた。
閉じていた目をゆっくり開いてお兄ちゃんを見る。驚いたような顔でお兄ちゃんがわたしの頬を両手で包んで、何度も優しく親指で下瞼を撫でるようにその涙を拭ってくれた。
“わたし……お兄ちゃんが……”
目を伏せて唇を動かし、そこまで言った時に視界が遮られて暗くなった。
お兄ちゃんの顔が一気にわたしに近づいてきて、息をつく間もなくわたしの唇が塞がれていた。
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