第116話 兄が来る夜未来視点
快気祝いから二日後、お兄ちゃんが職場に復帰をしたと悠聖くんから聞いた。
よかったと思う反面、快気祝いに参加できず申し訳ない気持ちになっていた。過呼吸を起こしてしまったのも恥ずかしい。
そして、お兄ちゃんと高崎さんのキスを邪魔してしまったのも申し訳ない。
余計に顔を合わせづらくなってしまった。マンションに行かない限り、そういう機会もないだろう。この図書館に来たのに気づいたら、それとなくその場を去るくらいしかできない。
書架に本を戻しているとエプロンのポケットの中の携帯電話が震え、見ると母からのメールだった。
『今日の夜、佐藤さんとお会いすることになりました。
だけど急に忙しくなって仕事が何時に終わるか目処がつかないの。
家に来てもらうことになったから、あなたも早く帰って来てください。お願いします』
――えっ? お兄ちゃんが今夜家に来る?
合わせる顔がないって今思ってたばかりだったのに。
『わたしはいなくてもいいでしょう?』
急ぎだし、早く送りたい内容だったので一行でさっとメールを送信した。
するとまたすぐに返信が来た。
『私が家に着く前に佐藤さんがいらしたら、外でお待たせすることになるでしょう。
だからあなたに留守番をお願いしたいの。
一応、十九時上がりの希望は出しているけど無理かもしれないから、よろしく頼むわね』
母の職場は終業時間が安定していない。
調味料の箱詰めの仕事をしている。もうすぐお中元の季節だから、さらに忙しいみたいで最近帰りが遅い日が続いているって言っていた。
今までだって何度定時より遅れて帰宅したことか。
その都度、わたしは義父のモデルにされたり何度も辛い思いをした。仕事だからしょうがないと割り切るしかなかった。それに今は義父がいないからいい。
あのあと、義父からの連絡はない。
やっぱり間違いコールだったのだろう。母に伝えて
大事にしないでよかった。
十九時にバイトを終えて、図書館を出た。
六月にしては少しひんやりとした風が吹いている。
空を見上げると厚めの雲の動きが少し速いように感じた。もうすぐ七月になろうというのに……。
「未来ちゃん、途中まで一緒に帰らない?」
瑞穂さんに呼び止められ、わたしはうなずいた。
駅までは同じ方向なんだけど、機会もなく一緒に帰ったことはなかった。
瑞穂さんが両腕をぐーっと上に向かって伸ばし身体をほぐしてる。
「未来ちゃん、最近柊と会ってる?」
横から顔を覗き見られてドキッとしてしまった。
探るような目に心臓がバクバクいっている。別にやましいことしてないのに。
お兄ちゃんが入院、手術をしたことを瑞穂さんは知らないはずだし、それに……。
ドキドキしながらわたしは首を横に振った。
「そう、修哉も最近会ってないって言ってたし……」
俯いて切なそうにため息をつく瑞穂さんが石を蹴飛ばすように足を上げた。
携帯電話を取り出し文字を打って瑞穂さんに見せる。
『連絡取れないんですか?』
「ううん。なんだか私ばかりメールとか電話してるからしづらいって言うか……」
なんて言ったらいいのかわからなかった。
お兄ちゃんには高崎さんという看護師の素敵な彼女がいるのとも言えない。
どこで看護師さんと知り合ったの? って話になりかねないし、そもそもわたしの口から瑞穂さんに言うことでもない。瑞穂さんは本当にお兄ちゃんが好きなのに。
辛いよね、悲しいよね、苦しいよね。
駅で元気のない瑞穂さんと別れて電車に乗った。
扉に寄りかかって外の風景をボーっと見つめる。
外灯が飛行場の滑走路のように見える場所があって、ここの風景画一番好きなの。道だけ明るくていつもじーっと見てしまう。
家の近所もこんなふうに明るくなればいいのにな。
近々引っ越す予定だからこんなふうに明るい場所に住みたい。
駅から家までは徒歩約十分。
その間にお兄ちゃんと星を見に行く約束をしていた土手がある。今日は、分厚い雲が邪魔をしていて星は見えない。
そのまま真っ直ぐ進むと麻美の家があって、その先に家のオンボロアパートがある。
麻美の家は大きくてキレイ。数年前に建て直しをしたばかり。その家を左に見ながらゆっくり通り過ぎる。
アパートに着いたのは十九時四十分だった。
縁側から茶の間を覗くと光が見えた。母が帰って来ている。
わたしがこの家にいる必要はない。お兄ちゃんと顔を合わせたくない。
母にバレないよう静かにアパートの石門を出て、今来た道を戻った。
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