第104話 赤いテディベア柊視点
病院の帰りに学校に寄って帰ってきた。
来週から来ます、と校長に挨拶をしてきた。授業中だったから生徒には見られなくてよかった。
学校に行く前、入院中お世話になった病棟看護師の高崎さんとお茶をした時に言われた言葉がずっと頭から離れてくれない。
――私とつき合ってみません?――
そのことをさっきから考えていた。
考え出したら他のことが全く考えられなくなっていた。なんでこんなに悩むのだろうか。
**
悠聖が未来を家に送って帰って来たあと、高崎さんからメールが来た。
『さっきの話、前向きに検討していただけましたか?』
さっきの話イコールつき合うこと。
その話を持ちかけられた時はすぐに断ったが「よく考えて」と押され、携帯ナンバーとメールアドレスを交換した。
最初から考えるつもりなんてなかった。でも状況が変わった。
悠聖が俺に尋ねてきたから。
――未来のこと、どう思ってるの?――
悠聖は俺にそれを聞いた時、確実に動揺していた。
俺がなんと答えるのかヒヤヒヤしていたんだと思う。それは手に取るように伝わってきた。
そんなことを聞いて、万が一にでも俺が「好きだ」と答えたらどうするつもりだったのだろうか。
だから俺は決めた。
『さっきの件、よろしくお願いします』
そう、高崎さんに依頼したのだ。
高崎さんの提案に乗った、というわけだ。そしてすぐに来た返信。
『了解です。末永くよろしくお願いします』
……なんだ? それ? 末永くよろしくされてもと思ったけど、放置した。
こうして俺と高崎さんはつき合うことになったのだ。
でもこれでよかった気がする。
俺に好きな人も彼女もいるんだから悠聖も安心しただろう。修哉と瑞穂のこともあるし、これでみんな丸くおさまるはず。
そのためにも高崎さんのことを少しは知っておかないといけない。フリとはいえ全く彼女のことを知らないのはおかしいだろう。
また携帯が震えて高崎さんか? と思ったら未来の母親からのメールだった。
『こんばんは。退院されたようで少し安心しました。
具合はいかがでしょうか? 昨日未来が家に帰ってきて驚きました。
あの子も前もって言っておいてくれれば迎えに行けたのに。
そうすれば佐藤さんにも ご挨拶ができたのにと思いましたが。
ですが、私もひとりで寂しかったので帰ってきてくれてよかったと思っています。
改めてご挨拶したいのですが、少しでいいのでお会いできませんか?』
――どういうことだ?
未来は昨日母親が迎えに来ているから時間がないと俺と話すのを拒否した。それなのに実際はひとりで家に帰って来たということだろう。しかも未来の母親は昨日帰ることすら知らなかったふうで。
未来はなんでそんな嘘をついたんだ?
まさか、俺を避けた?
そのことがかなりショックだった。
本当に嫌われたんだと思ったら胸が苦しくて身体が震えた。
父親のことがバレたのか? それとも、守ると約束したのに果たせなかったからか。
理由なんて本人に聞かないとわかりえない。それなのに、俺の頭の中は同じ後悔ばかりがグルグルと巡っていた。
しばらくいろいろ逡巡し、少し前向きに考えることにしてみた。
退院したばかりの俺を気遣って車で送るのを拒否したのかもしれない、とか。
都合よく解釈しすぎかもしれないが、そうやって自分の心を守るのに必死な自分に気づいて自嘲した。子どもみたいに傷ついてるなんて情けない。
……もう考えるのはやめよう。
「兄貴、未来からここの鍵預かったんだ。昨日返し忘れたって」
悠聖が俺の手に鍵を乗せた。
鍵には赤いテディベアのキーホルダーがくっついている。このキーホルダーは見覚えがない。きっと未来のものだろう。自分でつけてそのまま返してきたのか。
「兄貴、その鍵僕が借りていいかな? この家の鍵持ってないからさ」
「あ、そっか。悪い、気づかなかった」
今受け取った鍵を渡そうとして、手を引っ込める。
「鍵だけでいい?」
「うん? いいけど」
「悪いな。他のキーホルダーがそこのキャビネットに入ってるから適当に使って」
素早く赤いテディベアのキーホルダーを外して鍵だけを悠聖に手渡すとおかしそうに笑われた。
「そのテディベア気に入ってるの? カワイイから兄貴のイメージじゃないけど」
確かに俺のイメージではない。笑って誤魔化すと、悠聖は不思議そうに首をかしげた。
無意識にその赤いテディベアを手の中にギュッと握りしめていた。
未来の母親にメールをする。
会うのは療養休暇中の時の方が都合がいいから早めに約束を取りつけようと思った。すると、明日の夜ならいいとすぐに返信が来た。
未来の母親に会うだけなのに、なぜこんなにも胸が疼くのだろうか。
手の中にあるテディベアが俺を笑っている気がして、再び強く握りしめたのだった。
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