空色なキモチ

□ VOICE □

VOICE 99

第99話 新しい門出

未来視点




 いきなり家に帰ったら母がビックリしていたけどよろこんでくれた。

 連絡してくれれば迎えに行ったのに、と眉を下げて言われてしまった。
 だけど詳しい理由を聞かず、わたしの大好きなハンバーグを作ってくれた。ひさしぶりに食べる母の料理に涙が出そうだった。


 部屋はあの時の大惨事がなかったかのようにきれいになっていた。
 畳の隙間にかすかなシミはあるけれど、じっくり見ない限り血痕とはわかりづらいくらいに拭き取られている。母ひとりで処置をしたのだろう。

 ひと言もわたしと母の間で義父の話題は交わされなかった。



 夜はわたしの狭い部屋でふたりで並んで寝た。
 ふたつ布団を並べて敷くのには狭く、敷布も掛布も半分近く重なってしまう。だけどそれでもよかった。

 小さな電球をつけて右側に寝ている母はわたしの方を向いている。
 ニッコリ微笑んだ母は、わたしの頭をそっと撫でながら「ねえ、未来」と小さな声で言った。すでに入眠体勢に入っていたわたしは、改まった母のその態度に眠気が少しだけ飛んでいた。


「近いうちにここを引っ越そうと思っているの。未来の学校のある駅周辺で探すつもりよ」


 引っ越し? いきなりのことで驚いた。
 そんなことをまさか母がひとりで考えているなんて。


“でもお母さんの職場が遠い”

「大丈夫よ、そんなの」


 母の暖かい手がわたしの頭を何度も優しく撫でてくれた。
 ひさしぶりにこんなふうに撫でてもらった。心地よくて再び自然に瞼が落ちてくる。


「あの人とも別れるから……ふたりで生きて行こうね」

“おかあ……さん”


 母がわたしの布団に入って来て抱きしめてくれた。ひさしぶりにこんなに身近に感じる母の香り。
 涙が流れそうになったけどなんとか堪えた。母の腕の中でわたしは何度もうなずいた。


 お兄ちゃんは母になんて言ったのだろうか。
 急に義父と別れるなんて、母はそんな大胆なことをひとりで決められるような人じゃない。義父に刺されたことを母に話したのかもしれない。殺人未遂犯と一緒になんか生活できないと思ったのだろうか。しかも自首したのかと思ったのに消息不明。


 あの人と縁が切れると思うと安心して生きていける気がする。
 お兄ちゃんをあんな目に遭わせた人……絶対に許せない。

 でもあの日、なんでお兄ちゃんはこの家に来たの?

 そんな疑問が浮かんだけど、わたしの眠気はピークに達していた。


 お兄ちゃんは眠れたかな? 傷痛くないかな? 大丈夫かな?
 お兄ちゃんには幸せになってほしい。
 
 そうだ、あのマンションの鍵を持ってきてしまった。明日悠聖くんに渡して返してもらおう。

 
 いつの間にかわたしは吸い込まれるように意識を飛ばしていた。
 その寸前に「ごめんね」と聞こえた気がしたのは、きっと夢の中のことなのだろう。




**




 翌朝。

 学校の最寄り駅の券売機前の柱のところに悠聖くんが立っていた。
 待ってるって言ったのに待たせてしまった。

 横から近づいて挨拶をすると、悠聖くんが笑った。


「ゆうべはよく眠れた? 僕は寂しくて眠れなかったよ。未来がいないから」


 真面目な顔の悠聖くんを見て、わたしは顔が熱くなった。
 そんなふうに言ってもらえるのはうれしいけれど、朝から刺激が強すぎだよ。


「冗談、寂しかったけど眠れはしたかな」


 ニッと悠聖くんが揶揄するように微笑んだ。
 わたしが唇を尖らせると今度は優しい笑顔に変わる。そしていきなりわたしの右手が大きな手に包まれた。ビックリして顔を見ると向こうもわたしを見ている。


“みんなに見られるよ”

「構うもんか」


 恥ずかしくて俯くと、その気持ちをわかってくれたようで手を離してくれた。


「じゃあとで人のいないところでならどう?」


 うん、とうなずくと悠聖くんも納得したようだった。
 急に手を繋ぐなんてこと今までなかったからすごくドキドキしたし焦ってしまった。それだけのことなのに、なんとなく居心地が悪いような苦い感覚を味わっていた。


“これお兄ちゃんに返すの忘れて”


 赤いテディベアのキーホルダーのついたマンションの鍵を悠聖くんに手渡す。
 勝手にキーホルダーをつけてしまったんだけどそのまま返した。鍵だけじゃ素っ気ない気がしたから。

 悠聖くんのポケットに鍵がしまわれて、お兄ちゃんの家のものが何もなくなった。
 残っているのは思い出だけ。
 少し寂しいのはまだあの家を出たばかりだからだと思う。これから新しく住む場所を探したり忙しくなるから寂しいなんて言ってられないはず。今のアパートより少しいいところを探したい。そのためにはわたしもバイトも頑張らなきゃ。




 駅前の不動産屋さんの前で立ち止まって貼り出されている物件を見た。
 安くて二部屋は最低あった方がいい。お風呂つきで。できれば駅近じゃないと母の通勤が大変だ。


「物件? もしかしてあの家を引っ越すの?」


 目を丸くしてわたしを見つめる悠聖くんに携帯の画面の文字を見せた。


『いいところがあればすぐにでも引っ越したい。なかなかすぐには見つからないだろうけど』

「お母さんと?」

“もちろん”

「お父さんは?」


 聞きづらそうな表情で、でも知りたそうな悠聖くんの態度が手に取るようにわかる。
 わたしも少し言いづらそうな態度をとってしまったのかもしれない。


“別に暮らす”

「よかったね」


 パッと明るく変化した悠聖くんの顔を見つめてうなずいた後、空を見上げると大きな入道雲が視界に飛び込んできた。

 もうすっかり夏の日差しになっていた。


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Date:2013/09/11
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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