第95話 わたしの嘘未来視点
三人がわたしを見ているのがわかる。
わたしはなるべく見ないように深く頭を下げた。誰の目も見れなかった。
だって見たら泣いちゃいそうだったから、唇をぐっと噛みしめて、その痛みでなんとか堪えていた。
そのまま頭を上げ、なるべく髪で顔を隠したまま三人に背中を向けてリビングの出口に向かう。
「待って、未来」
お兄ちゃんがわたしを引き止めた。
振り返らずその場に立ち止まる。顔を見たらだめだ、そう思っていた。
「ちょっと兄ちゃんと話す時間ない?」
「……」
少し考えてから首を横に振った。
その場で俯いたまま携帯に文字を打って、もう一度お兄ちゃんに見せる。
『お母さん待っているから』
「お母さん、下で待ってる……のか?」
お兄ちゃんの声が震えているような気がしたから、目を合わせないようにしてうなずく。
「……わかった」
その言葉とお兄ちゃんが無意識に漏らした深いため息に胸が痛んだ。
引き止めてくれるなんて思ってなかった。そうしてほしいとも……思ってないというのは嘘。本当は少し引き止めてほしかったのかもしれない。だけど、そうされても意思を変えるつもりはなかったからこれでよかったんだと思うしかない。
「荷物、僕が持って行くよ」
ソファから立ち上がった悠聖くんがわたしについて来てくれる。
「ありがとう」と唇で伝えると、ちょっと悲しそうな顔で笑いかけてくれた。
「なぁ車で送っていくよ」
修哉さんが追いかけて来てくれたけどわたしは前を向いたまま首を振って断る。
一刻も早くひとりになりたかった。一緒にいればいるだけ喉元が締めつけられるような苦しみが長く続く気がして恐怖さえ感じていたんだ。
本当は帰りたくない、そうすがりついてしまいそうで。そんなことはしたくないのに。
「いい、俺が行く」
ソファから立ち上がる、すれた音と共にお兄ちゃんの声がわたしの耳に届いた。
それにわたしの胸がギシリと音を立てたかのような気がした。
……ダメ。
わたしは修哉さんに断ったように前向きのままゆっくり首を振る。
「柊は無理だろ?」
「いや、未来のお母さんに話したいこともあるから俺が行く。大丈夫だ。運転できるよ」
……ダメ。そんなのダメ。
わたしの身体が小さく震えてしまう。押さえようと思っても押さえられなかった。それに気づいたのか悠聖くんが心配そうな表情でわたしの顔を覗き込んだ。
お兄ちゃんに送ってなんかほしくない。
悠聖くんに向かって唇を動かした。
“ひとりで行くからって伝えて”
わたしの必死な様子に真剣な顔で悠聖くんがうなずいて、後ろにいるお兄ちゃんと修哉さんに向かって伝言を伝えてくれた。
「未来ひとりで行くって」
これ以上お兄ちゃんに迷惑かけたくない。
一緒にいたくない、いられないの。だからもうこれ以上優しくしないでほしかった。
お兄ちゃんには今までのこと、すごく感謝している。
だけどわたしは悠聖くんとずっと一緒にいるって決めた。それに義父が家にいない今、ここにいる理由もない。お兄ちゃんと離れたほうがお互いのためにいいはずなの。
わたしがそばにいないほうが、お兄ちゃんだって穏やかに暮らせるはずだから。
マンションの外まで悠聖くんが荷物を持ってくれた。
「お母さんどこかな? 僕は会ったことないから少し緊張するけど、ご挨拶を……」
悠聖くんがキョロキョロと母を探している姿を見て、申し訳ない気持ちになった。
わたしが横に首を振ると、「えっ?」と小さく短い叫び声をあげるほど驚いている。
「もしかしてお母さん来てるって嘘?」
わたしが何回もうなずくと悠聖くんが少しだけ悔しそうに下唇を噛んだ。
その顔がかわいらしいと思ったけど、呆れたような目で見つめられて反省しないといけないと思った。やはり嘘はよくなかったのかもしれない。悠聖くんには昼間のうちに話しておくべきたった。
「なんでそんな嘘……」
“ごめんなさい! ひとりで大丈夫だから”
「ダメ」
マンションの入口を出て悠聖くんが駅の方に向かって歩き出した。
え? なんで? ここまでって約束なのに、話が違う。
慌てて悠聖くんの左腕を引いて止める。このまま悠聖くんに駅まででも送ってもらったら帰りが遅くなって、お兄ちゃんにもついた嘘がバレてしまうはず。
“ひとりで!”
「ダメだよ」
“お願い! 着いたら連絡するから”
顔の前で両手をあわせて、何度も頭を下げると、頭の上で悠聖くんのため息が聞こえた。
困らせているのはわかってる。わたしをひとりで帰すのが不安だと思ってくれている気持ちもありがたい。だけどこれだけは曲げられなかった。
「じゃ大通りでタクシーを拾おう。これ以上は譲らないから」
結局悠聖くんがタクシーを拾ってくれて、運転手さんにお金まで渡してくれた。
また迷惑をかけてしまって申し訳なかった。でも、悠聖くんが早く家に戻ってくれて安心した。これでわたしの嘘はバレないはず。
タクシーの中でメールをしていたら思ったより早く家に着いた。
一駅分しか距離ないからそんなには遠くない。
ただ家に戻ってきただけなのに、すごく遠くまで来てしまったような気がしていた。
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