空色なキモチ

□ VOICE □

VOICE 80

第80話 何もいらない

未来視点




 家のアパートに向かっている途中、お兄ちゃんからメールと電話が来た。

 最初は入院していることを言ってくれなかった。わたしが知っているメールを返信しなかったらずっと言ってくれないような気がした。病室を教えてくれて、来るように言われた。そして待ってるって。


 思わず行くって言ってしまったけど、大丈夫なのだろうか。
 手術終わったばかりなのに今からわたしのところへ来るって言ってくれた。うれしかったけど申し訳なくて涙が出た。看護師さんに「松葉杖貸してください」とお願いして、怒られているのも聞こえてた。そんなこと絶対無理なはずなのに、お兄ちゃんは止められても無理して来そうな勢いだった。



**



 病院に入ってすぐに病棟用エレベーターに乗り、九階のボタンを押そうとするその手が震えた。
 すごくドキドキしている。お兄ちゃんに逢えるのはうれしい、だけど家族に会ってしまったら絶対に追い返されてしまう。

 エレベーターを降りるとすぐ向かいにナースステーションがあり、白衣の看護師さんが忙しそうに行き来している。もしかしたらここで止められるかもしれない、その思いでさらに怖くなった。止められても弁解できない。それに面会時間も決められている気がする。こんな朝早くに来る人なんて……。


「未来さん?」

「――!?」


 マスクをした看護師さんに右腕を引かれた。


「未来さんだよね?」


 再度確認をされてうなずくとナースステーション側に看護師さんが立って、わたしは右肩をしっかり抱かれてその影に隠された。


「こっち!」


 いきなりナースステーションと真逆の方向へ連れて行かれる。
 入院病棟のはずなのにやけに静か。みんなまだ眠っているのだろうか。


 「ここ」と、連れて来られたのは九〇六号室の前だった。
 部屋のネームプレートには『佐藤 柊殿』と記されている。間違いなくお兄ちゃんの病室。引かれるままに連れて来られてどうやってここまで来たか全然わからなかった。もしかしてお兄ちゃんがこの看護師さんにわたしのことを話しておいてくれたのかもしれない。

 この扉の向こうにお兄ちゃんがいる。


「早く!」


 看護婦さんに中に入るよう促され、わたしは一礼をして扉をノックした。

 その時、ポケットの中で携帯が震えた。
 右手でその携帯を押さえながら部屋の扉を開けた。ポケットでは携帯が震え続けていけど今は出ていられない。そのまま静かに病室の中に入ると、すぐ右にトイレと洗面所があった


「――未来?」


 奥からお兄ちゃんの声が聞こえた。でもまだ姿は見えない。
 振り返ると看護師さんがうなずいて無言で扉を閉めてくれていた。

 目の前が涙で歪んで膜が張ったように潤んで見え、胸の高鳴りが加速してゆく。
 それでも中に進むとベッドに座ったお兄ちゃんの姿があった。

 まだポケットの中で携帯が震えている。
 誰からの連絡かは確認をしていないからわからないけど少なくともお兄ちゃんではない。お兄ちゃんの顔を見たら携帯の震えなんて大して気にならなくなった。


「未来」


 お兄ちゃんがニッコリ笑ってわたしの名前を呼んだ。
 手を差し伸べられ、わたしも思いきり手を伸ばしてお兄ちゃんの首元に抱きついた。


「ごめんな……ごめんな。未来」


 お兄ちゃんの大きい手がわたしの背中をギュッと抱きしめてくれる。
 暖かい……もう何もいらない。お兄ちゃんが生きていてくれればそれでいい。お兄ちゃんの首に頬を押し付けて何度も首を振りながら泣いた。


「未来、お母さんには兄ちゃんが話すから……ひとりで行くな。ひとりで抱えるな」


 しゃくりあげるわたしの後頭部を何度も優しく撫でてくれるその手。
 背中をポンポンと二度叩かれてゆっくりお兄ちゃんの首元から離れた。いつもとかわらないお兄ちゃんだ。顔色もそんなに悪くなかった。


“わたし……いるところが……”


 俯いて唇を動かすとお兄ちゃんがわたしの顔を覗き込みながら手で涙を拭ってくれた。
 胸が苦しくてドキドキする。その手を握り返したいと思ってしまった。
 

「ずっと俺の傍にいればいいんだ」

“だって……”

「大丈夫……大丈夫だから。俺が帰るまで悠聖とあの家にいるんだ」

 
 ――悠聖くんと?
 すぐに首を振って拒否した。そんなことできない。


「すぐ帰るから。お母さんには俺がすべて話す。悠聖にももちろん言っておく」

“いや!!”

「未来!!」


 お兄ちゃんが少し声を張り上げた時、病室の扉がノックされて開く音がした。
 さっきの看護師さんが少し焦った様子で中に入って来て、潜めた声で「お母さんが戻って来ます」と教えてくれた。わたし達の間に緊張が走る。


「わかりました」


 そう返事したお兄ちゃんの手がわたしの右手を壊れ物を扱うようにそっと握ってくれた。
 この手を離したくない、離さないでと願ってしまう自分の心を恨んだ。そんなことできやしないのに。


「言う通りにするんだ」


 わたしは拒否を続けた。
 これ以上お兄ちゃんにも悠聖くんにも迷惑かけたくないの。何度も何度も首を横に振るけど、お兄ちゃんも頑として譲らない。もう時間がない。


「未来、お願いだ。俺のために」


 離れようとすると、わたしの右手がお兄ちゃんに強く引かれた。
 その力で一歩近寄ると頭にふわりと優しい感触。うれしくて目を閉じようとした時、お兄ちゃんの顔が近づいてきてわたしの額にそっと唇を押し当てた。


“お兄ちゃん……”


 悲しそうな目でお兄ちゃんがうなずいた。
 その唇が『待ってて』と動いていたのがわかった。



**



 病室を出ると、さっきの看護師さんに連れられナースステーションの前を通り、何事もなかったように非常階段から病棟の外に出ることができた。
 その扉が閉まった途端、涙がこみ上げてきた。いつバレるんじゃないかと気が気じゃなかったのもある。それに、お兄ちゃんとずっと一緒にいたかった。

 看護師さんが優しく肩を叩いて宥めてくれた。
 泣いている暇はない。携帯を取り出し、文章を打って看護師さんに見せる。


『弓月未来と申します。わたしは言葉が話せません。ご親切にありがとうございました』

「ああ! いいのいいの! また来た時は協力するから何でも言って」


 看護師さんが手を振って笑う。
 その胸のネームプレートには、高崎亜矢たかさきあやさんと書かれていた。



 高崎さんが去って行った後、わたしはしばらく呆然と非常階段の踊り場に立ちつくしていた。
 さっきの携帯への連絡は誰だったんだろうと思い出して確認しようとしたらまたそれが震えた。見ると悠聖くんからの電話だった。恐る恐る耳元に近づける。


『未来! なんでっ……ひとりで……出て行く!?』


 悠聖くんの怒鳴り声が耳に響いた。
 息切れしたように途切れ途切れの声だった。


『迎えっ、行くから……待ってて! 今度こそ約束っ、守ってよ』


 悲しそうな悠聖くんの声が遠くなったり近くなったりする。
 ごめんね。悠聖くん。これ以上迷惑かけたくなかったから何も言わないで出てきたのに。


 ――コン! コン!


 通話口を二回爪でノックした。
 その後確認したら、悠聖くんからの着信履歴が十回以上残されていた。



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Date:2013/09/01
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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