第79話 悪夢、そして希望柊視点
未来の姿が見えた。
暗い道をひとりで歩いている。俺の方に向かって来るけどまだ遠い。
酷く悲しげな表情をしているのが遠いけどよくわかった。
「未来」
俺が呼びかけるとうれしそうに笑う。
今までゆっくり歩いて来ていたのに急にこっちに向かって走り出す。
俺はなぜかその場から動けなくてそこで未来の到着を待っている。
――その時。
未来の足が止まった。
暗闇が未来の細い腕を引く。そこから出てきたのは……実父だった。
「――未来!!」
俺は必死で叫んでいた。
未来はこっちを向いて俺に右手を差し伸べる。
その手を必死で掴もうとするけど、届かない。
「――お兄ちゃん!!」
未来の声が聞こえた。
俺を呼ぶ少し高めの澄んだ声。初めて聞くその声に胸が震えた。
「お兄ちゃん! 助けて!!」
次に声が聞こえた時には未来の身体に実父が馬乗りになっていた。
「――やめろっ!!」
俺は必死で叫んでいた。
実父は未来の制服を引き裂き、押さえつけて覆い被さる。
未来の泣き叫ぶ声が響く。俺も泣き叫びながら未来を呼ぶのに声にならない。
「……痛い、助けて……お兄ちゃ……痛い」
――――――
――――
――
…
「――みらいっ!!」
視界に飛び込んできたのは眩しいくらいの光。
あまりの刺激に思わず目を細めてしまうくらいだった。身体中がひどくだるくて全然動けない。
今まで見ていた風景と全く違う。今のは全部夢だったのだろうか。
もう一度目を開いてみると、白い天井が目に入った。
すごく息苦しくて口元に手を当てると何かが触れる。とっても邪魔に感じた。
「佐藤さん、目が覚めましたか?」
「柊!!」
左側に顔の半分をマスクで覆った看護師が立っていた。
右には母がいてふたりで俺の顔を覗き込んでいる。母の顔はひどくやつれているように見えた。
「……ここ、は?」
「病院ですよ。それ酸素マスクです。今外しますね」
マスクでよく表情が見えないが目元は微笑んでいる看護師がそう説明をしてくれた。
病院、そうか。実父に刺されて、気づかないうちに病院へ運ばれたのか。
「少し処置しますのでお母さん一度外へ出ていただいてよろしいでしょうか?」
母が俺の右肩に軽く手を添えてからうなずいて部屋を出て行った。
看護師が左側にある点滴を見ている。あれは俺の左腕に繋がっているのだろう。
「ずっとうなされていましたよ。未来さん? ずっと呼んで……」
「――え」
「お母さんは困った顔をしていたから言えませんでしたけど。お手伝いするんでここに掴まってちょっとだけこっちを向いてください」
指示された通り看護師が立つ側のベッド柵に掴まって左を向こうとするが下半身がほとんど動かない。
看護師が布団をめくり、俺の右腰辺りを覗くように見ている。
「まだ麻酔が効いているから思うように動かないですよね」
「あの……」
「はい?」
「携帯……使っちゃダメですか?」
はぁ、と看護師のため息が聞こえた。マスク越しなのにかなり大きいものだった。
意識が戻ったと思った矢先、いきなり携帯だなんて言われたら唖然とするだろう。自分でもそう思うけど未来が気になってじっとしていられなかった。あんな悪夢を見た後だから余計にだ。
「メールくらいならいいですよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「どこにあるかな……あ、あった」
床頭台の引き出しを開けて探してくれた。話のわかる人で助かった。
携帯を渡されて見ると電源が入っていなかった。充電切れかもしれない。祈るような気持ちでPOWERを押すと電源が入った。病院だから母がOFFにしたのかもしれない。
携帯で時間を見たら朝の六時半前だった。
全く時間の感覚がなかった。一瞬夜のかと思ったくらいで。それでも構わず未来にメールを打った。
『昨日は帰れなくてごめんな。心配したろ?
少しの間帰れないかもしれない。なるべく早く帰るから待っててくれ』
とりあえず伝えたいことだけ書いて送信した。
入院したなんて言えない。でも母から悠聖に伝わっていれば必然的に未来にも伝わる。
すぐに携帯が震えた。画面を見ると未来からだった。
『お兄ちゃん大丈夫なの? 痛いよね。ごめんね。今からお母さんに本当のこと話しに行くから』
その返信に、小さく声を漏らしてしまった。身体に変な力が入ったのか右腰辺りがずきんとする。
未来は俺が入院していることを知っているような返信だった。しかも母親に本当のことをひとりで話しに行こうとしている。あの実父がいるアパートに戻ろうというのか。
――なんで急に? ごめんねってなんだ?
「看護師さんすみません!」
「へっ?」
「もう少しここにいて時間を稼いでください! あと、一回だけ見逃してください! すみませんっ」
「えっ? えっ?」
未来の携帯番号で通話を押した。
プップップッと呼び出している音が聞こえて心臓がドキドキする。プツッと鳴って通話に切り替わった。
「――未来!?」
「ちょ、さと……」
廊下まで漏れたらまずいからなるべく小声で話す。
当然、未来からの返事はない。当たり前だ。看護師が俺の名前を呼んで止めようとしたが、片手で拝むようなポーズを取って軽く頭を下げると、眉を下げて大きく肩をすくめた。見逃してくれるようだ。助かった。
「未来、ひとりで行くな。俺も行くから……」
未来のすすり泣く音が聞こえる。
それはとっても悲愴感を漂わすもので、とてもひとりで行かせられる状況じゃないと一瞬で判断した。
「泣くな。今から行くからそこで待ってろ」
「えっ? ちょっと……佐藤さん!?」
「松葉杖貸してもらえませんか?」
「バカ言わないでください!!」
ピシャリ! と看護師に怒られてしまった。
さすがに無理なのかもしれない。足先を動かすのも不可能だ。とても立てそうにない。だけどこのまま未来をひとりで行かせるなんてできない。
「ここって何て病院の何号室ですか?」
「へ? ここですよ」
呆れた表情で看護師が病棟内の見取り図を見せてくれた。堂々と医療従事者の前で、しかも院内で通話しているんだから当たり前の態度だろう。自分でもいけないことをしているという自覚はある。
それに記された住所を見ると、未来のアパートの近くの病院だった。もしかしたらもうここの近くにいるのかもしれない。
「未来、今から来れる? 湊総合病院 東棟の九〇六号室」
しばらく無音の間があいた後、コン! コン! と、何かの音が聞こえた。
通話口を叩いている? 二回? もしかして。
「未来? 聞こえない? わからない?」
――コン! コン! コン!
確認の質問に対して三回の音。
それが『いいえ』の返事だとしたら、二回は確実に『はい』ということになる。
それに続くようにグスングスンと鼻をすする音が小さく聞こえた。
「待ってるから……来て」
――コン! コン!
未来の音の返事を聞いてから電話を切ると、呆れ顔の看護師が俺を横目でジトーッと睨みつけていた。
「……すみません」
「身体拭きましょう。汗かいているし」
でも見逃してくれた。いい人だ。
ベッドに長座位の体勢を取らせてもらい背中を拭いてもらった。
汗を結構かいていたようでサッパリする。暖かいタオルが心地いい。
「傷、痛みませんか?」
「……大丈夫です」
携帯を気にしている俺を見て、くすくす笑われる。
「そんなに逢いたいんですか?」と聞かれ、恥ずかしくて何も言えなかった。だけど何も言わないのも失礼だと思い、うなずいて返事をするとまたくすくす笑われた。
そのままベッド上で歯磨きまでさせてもらえて本当にありがたかった。
「電話、失礼だけど話しているって感じしなかった」
笑いながらそう言われ、俺もつられて笑ってしまう。
「……向こうの声が聞こえていなかったからでしょうね」
「……ああ、そうかも?」
「彼女、話せないんですよ」
つい本当のことを言ってしまった。
言わなければわからないことなのに、なんでだろうか。気が緩んだせいなのかもしれない。
未来に逢える、それがうれしくて。
「佐藤さん、少しだけなら協力しますよ?」
目の前の看護師の目尻がくっと下がって、マスク越しに笑いかけられたのがわかった。
→ NEXT→ BACK
Information
Trackback:0
Comment:0
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学