昔から自分の髪が嫌いだった。
長かろうが短かろうが変にうねるクセの強さとか、いくらドライヤーでブローしても内巻きにならない毛先とか。
ボブにすれば左サイドだけ外はね、右サイドは微妙な内まきと外はね。
傍から見ると、左が「C」の字、右は微妙な「し」の字。とにかくまとまらない、そしてやたら猫っ毛でまとまりのない毛質も。
一番嫌いなのは右の頭頂部のつむじ。
ここで毛がパカリと割れる。そこだけはげてるみたいに地肌がむき出しになる。
ワックスで隠しても夜になればあら、元通り。
大嫌い、こんな髪。
***
中学三年の卒業式。
三年間大好きだったクラスメイトに告白した。
結構仲がよくて楽しく笑いあえる仲間だったから、期待してたのかもしれない。
まわりからも絶対大丈夫だよ! って背中を押されたのに。
『ごめん、俺、髪がきれいな子が好きなんだ』
そんな理由だった。
いくらでもうねる髪、はねまくる毛先。
その日もわたしの髪はきつく編まれ、毛先はあらぬほうを向いていた。
髪がきれいな子=ストレートヘアがさらさらでシャンプーの宣伝に出てきそうな髪の子でしょう。
そんなの無理に決まってる! 縮毛矯正したってすぐに戻ってしまうこの髪!
もう……告白なんかしない。
***
「風間さんの髪って随分茶色いんだね? 染めてるの?」
資料室で去年の在庫管理帳簿を探していると、いきなり後ろから声をかけられた。
聞き覚えのある低いバリトンは好きな声――
暗い資料室に響くような甘く囁くようなその声にわたしの胸は打ち震えた。
だけどその持ち主は、嫌い。
雨宮翔吾、二十三歳。
わたしと同じ営業部の若きホープ。K大卒のイケメン営業マン。一応新入社員。
背が高い彼はわたしの頭の上から目的の資料をひょいと取って、パラパラとめくり始めた。
人に質問しておいて興味なさそうにそれ?
男のくせに長いまつ毛に大きい瞳、その虹彩はややブラウンで色素が薄いことが窺える。
すうっと筋の通った鼻に小さい鼻梁。唇はきゅっと締まっていて形がいい。
彼が入社してきた年、他部署の女性社員が用もないのにうちの部署のコピー機をやたら使いに来た。
おかげでこっちの仕事がはかどらず大変だった覚えがある。
最近は外回りで社内にいる時間が減ったため、女性社員の襲来も減りつつあるけど。
わたしは自分のボブヘアの毛先を少しだけ見て、持っている資料に視線を落とした。
「あれ? しかと?」
左斜め後ろから再び響くような甘い声。
そう思われても仕方ないし、別に構わない。
この人にどう思われようとわたしには何の関係もないのだから。
グレーの制服のベストから小さなメモ帳を取り出して、必要な部分を写す。
手早く持っていた帳簿を元に戻して、その場を去ろうとする、と。
「ねえ、なんで無視するの?」
雨宮翔吾の長い左手が目の前にすっと伸びて、帳簿が収納されている棚の上の方を掴んだ。
いきなり行く手を阻まれ、一瞬躊躇する。
そもそもなんでこの人がここにいるのかわからなかった。
営業職に古い帳簿なんて関係ない。見る必要もない。
わたしのような営業事務の人間が来るような場所になんでこの人がいるのかわからない。
しかも、雨宮翔吾はわたしの後輩にあたるのに、なんでこんなため口なの?
確かにそっちは四大卒で年は短大卒で一年早く入社したわたしがひとつ下にあたるけど。
「どいてくれませんか?」
「質問に答えたら、ね」
「答える必要性を感じませんので」
だからなんでわたしが敬語を使う必要があるんだっての!
自問自答しながら腹を立ててしまう。
むしろ向こうが使うべきことなの、に。それを口に出して言えない自分がうらめしい。
「ねえ、風間さんって俺のこと嫌い?」
上半身を少し屈めてわたしの顔をからかうように覗き込む雨宮翔吾。
居心地が悪くて少しだけ顔を背けて視線を逸らす。
「質問の意味がわかりかねます」
「言葉通りの意味、だけど?」
くつくつと笑う声が聞こえてわたしはだんだんイライラしてきていた。
この人は絶対にわたしをからかっているんだってすぐにわかるから。
そもそも入社して来た時からそうだった。
他の営業事務の女性社員に声をかけられてもクールぶって短い返事しかしないのに、わたしにだけやたら絡んでくる。
しかも誰も見ていない時にだけ。
周りの美しく飾られた女性社員をパシリのように使わせるのが申し訳ないのか、仕事を頼まれるのはいつもわたしだった。
『風間さん、十五時に来客があるから、応接室に通してお茶出しておいて!』
『風間さん! この資料明日の会議までに提出できるようコピー百二十部よろしく!』
しかもいつも急な用ばかりで、わたしは何度この人のために残業させられたか。
「今日時間ある? ちょっと飲みにでも行かない? 俺、奢るし」
「は?」
「普段のお礼。俺、いつも風間さんにばかり仕事頼んで申し訳ないなって思ってるわけよ。だから――」
「結構です。仕事ですからお気遣いなく」
仮にもこっちの方が一年先輩なのに、後輩に奢ってもらうわけにはいかない。
わたしにだって小さなプライドくらいはある。そういうのを全く理解しないこの人にどんどん嫌気がさしていく。
ああ、勝ち組にはこんな些細なプライドなんて理解しがたいのかもしれない。
この状況が耐えられなくなり、わたしはこの人に背中を向けて資料室の奥へ進んだ。
この棚の奥に小さな通路があるからそっちから通って出口に向かえばいい。
しかしなんでこんな地味なわたしに声をかけるかな?
飲みに行くなら楽しく美しい女性社員を誘った方がいいだろうに。本当によくわからない人だ。
「待ってよ、風間さん」
雨宮翔吾が追いかけてくるのがわかる。
それはスマートに。走ってくるわけでもなく、長い脚で歩幅を広げつつ距離を縮めて近づいてくる。
しょうがないので一度足を止めて、そっちを振り返った。けど、わたしは俯いたまま。
「仕事以外で声をかけるのはやめてください。迷惑です」
自分の足のつま先を見つめながらようやく発した言葉がこれ。
ああ、このサンダルももうボロボロだな。事務所と現場を行ったり来たりしているせいだろうな。買い換えなきゃ。
こんなサンダル見られるのも恥ずかしい。そう思ってわたしはすぐに踵を返して歩き始める。
「迷惑って何? 意味わかんないし。同僚に話しかけて何が悪い?」
同僚? 聞いて呆れる。
そんなふうに思っていないくせに。体のいいパシリくらいにしか思ってないってわかってるんだから。
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