第76話 償いの命未来視点流血を含む残虐なシーン(らしきもの)があります。苦手な方はお戻りください。
全身をガタガタ震わせている義父に近づくと、顔だけをこっちへ向けた。
血まみれのナイフの刃が再びギラリと妖しく光る。血はすでに固まっているようで滴り落ちてはいないが、義父の手は血まみれになっていた。相当深い傷を与えたに違いない。
「み……らい……?」
恐怖に慄いた表情、声も身体も震えている。
そのナイフでお兄ちゃんを刺したの?
「あいつが……刺せって……言ったんだ……」
言い訳をするようにわたしを哀願して首を小刻みに振り、義父が訴えかけてくる。
どうやらわたしが考えたことが自然に義父へ伝わったようだ。
「み……らい……来るな……」
自分の侵した罪の重さに苛まれているのか、わたしのことさえ怯えている。
こんな人間に振り回されて生きていくのはもういやだった。
「来るなっ!!」
そんな言葉を無視して近づき、その前で止まって義父の伸ばした足を跨ぐ。
全身を震わす義父に向き合うようにその足の上にしゃがみ込んで床に膝をついた。怯えきった目で義父がわたしを見つめている。
こっちへ向けられている血まみれのナイフを持った義父の左手首を右手で掴みあげると「ひっ!」と小さな悲鳴を上げ、全身で驚いて飛び上がった。
さらに力を込めて義父の左手を自分の右手でしっかり固定する。わたしはそのまま義父の目を見据えた。
「み……らい……なに……考え……て」
震える義父の声を無視して自分の左手を義父の右肩にかける。
思ったより義父の左手が動くから固定が難しい。ナイフを持った左手をわたしの胸に当たる位置に照準を合わせる。
「未来……っやめて……くれっ!!」
恐れ慄く義父の目をギッと睨みつけると身を縮めた。まだ全身を震わせている。
目を閉じて一回だけ深い呼吸をした。
“殺して”
わたしの唇の動きを読んだ義父は真っ赤に血走った目に涙を浮かべ、震えながら首を振った。
義父の右肩を掴んでいる自分の左手にぐっと力を込める。
このまま一気に義父に抱きつけば、すべてが終わる。
わたしなんかいない方がいい。
この命ですべて償えるなら、それでいい。
「……っ!!」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
背中を少し反らして確実にナイフが胸に当たるように抱きつこうとした時、義父の断末魔の叫びを聞いた。
「――――未来っ!!」
……悠聖くんの声?
わたしの名を呼ぶその声が聞こえた気がした。
空耳かと思ったのに――
「だめだ! 未来っ!」
再び聞こえた縁側の方向を見る。
目に涙の膜が張ってよく見えなかったけど、間違いなくそれは顔を強張らせて虚けたように立ちつくす悠聖くんの姿だった。
その表情からふっと力が抜けたように見えた。
「やめるんだ、こっちにおいで」
茶の間に上がりこんできた悠聖くんがゆっくりとこっちへ近づいてくる。
慌てて義父のナイフを持った左手を自分の左の首元に近づけると、悠聖くんの動きが一瞬止まった。
“邪魔しないで”
悠聖くんを睨みつけて唇でそう訴える。
「やめろ……未来……」
今にも泣き出して崩れ落ちそうな悠聖くんに、わたしは静かに首を横に振った。
すうっと悠聖くんの手がこっちへ伸びてくる。
「こっちに来るんだ……未来……」
“出て行って!!”
「ひぃぃぃぃぃぃ!!」
義父のナイフを持った手をさらにわたしの左の首元に近づける。
わたしと義父の右側に立つ悠聖くんに見えないよう、左の首にナイフの照準を定めた。これ以上醜い部分を見せたくなかったから。
義父の怖がる声が茶の間に響く。それが酷く煩わしい。
「未来……頼むからやめるんだ」
何を言われてもやめるつもりなんかない。何度も首を横に振り続ける。
お願いだから出て行って。悠聖くんを巻き込みたくない。そう目で訴えた。
――その時。
わたしの身体が右に傾いた。
一瞬何が起きたのかわからなかったけど、すぐに状況を飲みこめた。義父の右手でわたしの身体は思いきり右側へ突き飛ばされたのだ。
左の首にナイフを近づけたのは失敗だったとすぐに思った。
右の首に照準を合わせていれば、こんなことにはならなかったのに――
そう思った時には、悠聖くんが立ちつくしている方へ大きな音を立てて倒れ込んでいた。
体勢を立て直して起き上がろうとしたけど彼がわたしの倒れた身体に馬乗りになってきてすぐに押さえ込まれてしまう。上から両肩をしっかり床に押しつけられて、もがいても全く身動きが取れない。
「もうやめるんだ!!」
悠聖くんが今までに見たことのない怖い表情でわたしを見下ろしている。
その目を見ながら自分の口からするっと舌を出すと、彼の手が目の前に見えた。
「――うっ!!」
舌に照準を合わせて思いきり歯を食いしばるのと悠聖くんの人差し指が横向きにわたしの口の中に捻じ込まれたのがほぼ同時だった。
「……舌なんか……噛ませない!!」
ポタッとわたしの頬に暖かいものが垂れた。それは彼の涙だった。
わたしの口の中で悠聖くんの人差し指が動き、生暖かい鉄の味が広がってくる。ゆっくり口の力を緩めるわたしの口からするりとその指が引き抜かれた。その指にはくっきりとわたしの歯の痕が残っている。
“あ……わた……し”
唇を動かして何かを伝えようとするけど何を言ったらいいのかわからない。
上半身を強い力で起こされ、そのまましっかり悠聖くんに抱きしめられた。すごく暖かい。
「僕は大丈夫。死んだらダメだ……わかるな」
わたしの後頭部を悠聖くんが優しく何度も撫でてくれた。
本当は死にたくなんかない。だけど、わたしがいるとみんなの迷惑になるのに。
「この血は……?」
畳の上の血の痕を見て、悠聖くんの顔が青ざめている。
「いい……から……未来を連れて行け! 早く……」
義父の声を聞いて、悠聖くんがわたしを抱きしめる力が強まった。
ぽんぽんと背を叩かれ「行こう」と立ち上がらされる。縁側に導かれて振り返ると義父がこっちを見ていた。
泣きそうな顔で笑っている。
あんな義父の顔を初めて見た気がした。
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