空色なキモチ

□ VOICE □

VOICE 75

第75話 守らなかった約束

未来視点




 エレベーターホールに立っていると、その扉が開いた。

 背の高い精悍そうな感じの男の人が額に汗をかいて降りてきて、わたしの顔を見て驚きの表情を見せた。人がいると思わなかったのかもしれない。その人と入れ違いにエレベーターに乗り、下のボタンを押す。エレベーターの扉が閉まるまでその男の人はわたしを見ていた。

 ……知り合いではないと、思うけど。

 わたしは扉が閉まりきる瞬間に軽く頭を下げた。
 もしかしたら……悠聖くんのお父さんかもしれない。そう思ったら少し面影があったような気がする。



 病院を出た時にはすでに二十時半をまわっていた。
 タクシーの中からの風景では詳しい位置関係までは気づかなかったけど、この病院は本当にうちの近くだった。

 病院の正門を出て右に曲がり、緩やかな坂を下りきったところにある大通りを越えてまっすぐ行けばもう家。なんでこんなにうちの近くの病院に運ばれているのだろうか。お兄ちゃんのマンションの近くにだって大きい病院はある。

 ――まさか。

 ゆっくり坂を下り始めた時、わたしのポケットの中の携帯電話が震えた。
 震えが長く感じた。もしかして電話かもしれない。
 病院からお兄ちゃんの手術についてかも、と思って慌てて取り出して画面を見ると悠聖くんからの電話だった。

 待合室に家族がいるのだから手術が終わっても、もうわたしの元へ連絡は来ないだろう。
 当たり前のことなのに、少しだけ寂しく感じた。


『未来! どこにいるんだ!?』


 通話ボタンを押した途端、悠聖くんの息切れした声が聞こえた。


『待ってるってっ約束っ……したろっ! 未来! 聞いているのっ? 返事を……っ!』


 怒ったような悠聖くんの声をまるで他人事のように聞き流している自分がいた。
 申し訳ない気持ちを抱きながらも歩みを止めずに携帯の通話口を爪で叩いた。


 ――コン! コン!


 二回は肯定の『はい』の合図。まだ覚えているだろうか。

 何も伝えずに分かり合えた合図。
 ほんの少し前のことなのに、すごく前のことのような気がしていた。あの時はできることが増えたことも、テレパシーのように通じ合えたことも本当にうれしくて幸せだったのに。


 大通りに出るとこの時間はまだ車の量が多かった。
 歩道橋まで歩こうかと思っていたけど少し離れているのでめんどくさく感じた。そのまま車道を横断してしまおうと一歩踏み出すと、大きなクラクションを鳴らされてしまった。その音に驚いて、一瞬後ろに倒れそうになる。やっぱりこの時間の横断は無理かもしれない。


『そこを動かないで!!』


 悠聖くんがわたしを引き止める声が、すごく切羽詰ったものに聞こえた。
 きっとすごく心配してくれているんだと思う。ありがたいけど、わたしにはそんな資格ない。


 ――うちの子に関わらないで!――


 悠聖くんとお兄ちゃんの母親の心からの叫びが胸を抉る。
 ハッキリそう言われ、お兄ちゃんにも悠聖くんにも甘えすぎていたと思い知った自分が恥ずかしい。

 わたしはもう、あの家にいることはできない。

 一度だけぎゅっと目を閉じ、呼吸を整えた。歩道橋に向かって歩きながら通話口を爪で叩く。


 ――コン! コン! コン!


 三回は否定の、『いいえ』の合図。


『待て! 行くな!!』


 叫ぶような悠聖くんの声を聞いて通話を切った。
 すぐに携帯が震えたけど無視してポケットに押し込んだ。

 
 
 歩道橋を渡って大通りを過ぎると暗い道が続いている。
 この道をまっすぐ五分も歩けば家だ。いつもの見慣れた光景。

 ここの外灯はもう長いことちかちかしっぱなし。取り替えないとダメなのだろう。
 この家はいつも電気がついていて楽しそうな笑い声が聞こえる。こういう暖かい雰囲気がうらやましいと思いながらいつも通り過ぎる。きれいな家が続いていてそれを見ながら歩いていく。この辺でオンボロなのは家のアパートくらいだ。


 左側にうちのアパートの石門が見えてくる。いつもこの辺りで歩みが遅くなってしまう。
 俯いて歩いていると、地面にどす黒い大きなシミみたいなものを見つけた。

 ……何? これ?
 しゃがみ込んでよく見てみると、血のようにも見えた。人差し指で触ってみるとすでに乾いていて何もつかない。
 その体勢のまま家の方の地面を見ると、点状にシミが続いていた。石門の中から――


 やっぱりお兄ちゃんはここに来たんだ!!


 石門から共同玄関に通じる飛び石の上にもわずかに赤黒いシミが生々しく残っていた。 
 うちの縁側の方からその点状のシミは続いている。縁側のガラスの引き戸は開けっぱなし。そのシミを踏まないように茶の間を覗く。


「――――!!」


 まず目に入ったのは、茶の間と台所の間の柱に寄りかかって座り込んだ状態でがたがたと震えている義父の姿。

 畳の上には赤黒く染まった血痕があちらこちらに残されている。
 その手には先端が電灯に反射して光を宿してる血まみれのナイフが握られていたのだった。

 
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Date:2013/08/30
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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