空色なキモチ

□ VOICE □

VOICE 72

第72話 守るべきもの

柊視点

流血を含む残虐なシーンがあります。苦手な方はお戻りください。




 未来の家、喜和荘に着いたのは十八時半を過ぎていた。

 未来が星を見たいと言っていた土手に寄ったから少し遅くなった。まだ空が明るくて星は見えなかったけどいつか未来の思いを叶えてやりたい。
 
 未来に俺の本当の父親があいつだということがバレる前に。



 縁側の方から回ると、茶の間でひとりで酒を飲んでいる実父の姿が見えた。
 未来の母親はまだ実家から帰ってきていないようだ。ジャケットのポケットから携帯電話を取り出してみると、一件のメールが届いていた。それは偶然にも未来の母親からだった。


  『今日帰る予定です。明日お会いできないでしょうか?』


 いつ届いていたのだろうか。全く気づかなかった。
 今日ここに帰ってくる予定、でもこの家にいる雰囲気はない。まだ着いていないのだろう。その方が都合がよかった。


 縁側のガラスの引き戸を軽く叩くと、中にいる実父がその音に気がつき、睨みつけられた。
 酒に酔っているのかうつろな目をしている。俺が訪ねてきても全く驚いた様子はない。引き戸に手をかけるとガタガタと立てつけの悪そうな酷い音がしてようやく開いた。

 「柊か」と、実父が俺を一瞥し、すぐ視線を逸らして酒を呷る。
 俺になんか全く興味がないといった感じだ。正しい反応と言えばそうだろう。許可も得ずに靴を脱いで茶の間に上がりこむけど、何も言われなかった。


「未来はどうした?」


 俺が何も言わないで実父の向かいに座ると、持っていたコップをテーブルに叩きつけた。
 割れそうな音がしたが、かろうじて大丈夫だったようだ。


「未来を返せ!」


 ヒステリックに叫ぶ実父にため息しか出ない。そして、やるせない思い。
 昔は怒鳴ったことなんかなかった。そもそも俺の前で酒なんか飲まなかった。いつからこんなに酒飲みになったのだろうか。
 何も言わずに冷ややかな目で実父が絶え間なく酒を飲み続けるのを見つめていた。


「なんだ? その目は」


 こっちに向かって吐き捨てるようにつぶやいた実父が視線を逸らす。
 俺は小さく呼吸を整えて正坐に座り直し、自分の膝の上に置いた手をぐっと握りしめて覚悟を決めた。両手を自分の膝の前の床に揃えて置く。そのままの体勢でゆっくり頭を下げ、額を床につけた。


「――何のマネだ?」


 頭上で実父の声が聞こえる。


「未来の写真とネガを全て処分してほしい」


 実父の前でひれ伏した。
 自分のちっぽけなプライドなんかより、未来と悠聖を守る方が大事だった。


「断る」


 だけど実父はそう即答した。
 こんなことで処分してもらえるとは思っていなかったけど、こんなにあっさり断られるとも思わなかった。

 床についた手をぐっと握りしめて、さらに乞う。


「それなら、全部売ってくれ」

「――は?」

「言い値で買う。頼む」


 額を床につけたまま頼み込んだ。
 さっきより少し間があいた。実父は考えているようだ。

 そして、そのあとすぐ「条件がある」と返って来た。

 ――交換条件。それでも条件の提示があるということは交渉の余地があるということだ。
 俺は少しだけ頭を上げて実父を上目遣いに見つめた。

 昔の実父の優しさをそして実直さを思い出し、わずかな期待を抱く。それなのに――


「未来の処女を奪った男と引き換えだ」


 実父の恨むような目つきの冷ややかさに戦慄が走った。
 まるで情の含まれない視線。容赦のない条件に愕然とした。未来を苦しめる脅迫のネタと悠聖が引き換え。ふたりを天秤にかけろと言われたようなものだった。


「連れて来い。そうすれば写真をすべて渡す。もちろんネガもだ」

「……連れて来たら、どうするんだ?」


 恐る恐る聞いてみた。
 背骨の辺りがザワザワする……いやな予感しかしない。


「人のモノを奪った罪は大きい。貫かれた借りは貫き返す」

「――――え?」

「……かなぁ?」


 実父は横目で俺を見てあざける。

 未来と悠聖は合意の上でだったはずだ。そうじゃなければとっくに別れているだろう。
 それなのに悠聖ばかりが悪者扱いになるのはおかしいだろう。実父の言う『貫き返す』の意味が全くわからないが、悠聖を危険な目に遭わせたくない、渡すわけにいかない。


「柊よ、おまえ未来の相手を知らないのか?」


 俺の弟だなんて言えない。
 実父が自分の携帯をこっちへ投げつけ、それは俺の膝のそばで止まった。


「知っているなら今すぐに呼べ」


 悠聖を呼べるわけがない。だけどこの条件を飲まないと未来を守れない。
 こうなったら……できることはひとつしかない。


「未来の写真とネガを全部出せ」


 俺は床に手をついたまま頭を上げて実父に強い視線を向けた。
 実父は不思議そうな表情で俺を見た後、テーブルの上のグラスに酒を注ぎ足す。


「俺だよ」

「え?」

「未来の相手は俺なんだ」


 実父から目を逸らさないようそう言い切った。
 少しでも逸らしたら悟られそうで、その目を射抜くように見据える。それが唯一の抵抗だった。

 コップから酒が溢れ出し、テーブルを濡らしてゆく。
 実父の口元がニヤリと上がり、一升瓶をテーブルの上に置く音が腹にまで響いた。


「嘘吐くな。おまえ違うって言ってたろ?」


 向こうも負けじと俺から目を逸らさない。
 まるで争うかのような睨みあいになる。


「信じるも信じないもあんたの自由だ。俺は毎日未来と寝ている。ネガと写真を渡せ」

「……本当なのか?」


 実父の顔がみるみる歪んでいく。
 未来と毎日一緒に寝ているのは本当だ。毎日未来の寝顔を見て眠っている。


「本当ならおまえを刺すぞ? 柊」


 実父の身体がわなわな震えている。
 『貫き返す』はそういう意味だったのか。


「その前に写真とネガだ。出せ。もらう物もらえれば刺されても構わない」


 実父が自分の後ろの小さな引き出しを開けた。
 あんな誰にでも見れるところに入っていたのか。未来の母親は気づかなかったのだろうか。そのほうがよかったのだろうけど。

 テーブルの上にスッと細長いネガの入れ物が出された。
 それと一緒に銀色のナイフがゴトリと重い音を立てて置かれる。


「護身用ナイフだ」

「刺せばいい。ただそれで刺したらあんたは刑務所行きだ。その方が未来が自由になるからいいかもな」


 立ち上がってテーブルの上のネガに手を伸ばし、その中身を確認する。
 ナイフを手にした実父がその刃を俺に向けた。だけどナイフの先がぶれてよく見えなくなるほどその手が小刻みに震えている。この人は昔から小心者なんだ。
 
 電気の光でネガを透かして見るとどれもこれも未来のあられもない姿のものばかりだった。とても全部を凝視することなんかできない。


「これで全部か?」


 実父がうなずいたのを確認し、それを持って茶の間の奥の台所へ足を向ける。
 小さいシンクにガスコンロがひとつ置いてあるだけ。まるで独身のひとり暮らしみたいだ。
 ガスコンロの火を利用してネガを燃やす。パチパチと音を立ててネガが炭状になり、強烈な匂いが立ち込めた。それをシンクに置き、水をかける。その行動を少しずつ何回も繰り返した。中に入っていた写真もすべて燃やす。

 台所が燃えカス臭くなった時、何かが俺の身体にぶつかってきた。
 そのわずか後に、右腰付近に重みを感じてすぐに激痛が走る。

 ゆっくり振り返ると、実父の頭のてっぺんが見えた。
 ああ、やっぱりやることはやるんだと、妙に冷静な心境だった。
 
 残った力を振り絞って実父を突き飛ばし、そこを右手で押さえる。
 腰辺りの痛みに加えて暖かいものがほとばしり、ヌメッと暖かい感触がした。

 目の前が一瞬暗くなる。

 右手がだんだん暖かいもので濡れていく。
 突き飛ばした実父を見ると尻もちをついたまま震えていた。両手にはしっかり血で染まったナイフを握りしめたまま。


「……か、え……る」


 右手で傷口を押さえながら茶の間へ向かい、鞄を持った。
 耐え難い痛みで気を失いそうだった。身体はまっすぐにならず、前屈みになってしまう。だけどこんなところで倒れるわけにはいかなかった。ここで、未来の家で倒れたら彼女が責任を感じるに決まっている。

 ゆっくり縁側に出てふらつきながら石門へ向かう。
 頼むから血が地面に垂れないでくれ。そう祈るしかなかった。


 傷口がドクンドクンと脈を打つかのようだった。
 やっとの思いで未来のアパートの敷地から出た時には、目の前が朦朧としていた。

 未来が待っているから……帰らないと……。

 外はもう真っ暗になっていた。
 未来のアパートの石壁に寄りかかりながら少しだけ歩いた時、ガクリと膝が折れた。額から流れる汗が眼内に入り、目の前が歪む。奪われた視界、そして痛みの拍動が加速していく。


「みら、い……」


 地面に両膝をついてしまうと、もう立ちあがることはできなかった。


「ちょっと……あなた? きゃああああ!! 誰か! 救急車を!!」


 俺の後ろのほうで、女性の叫び声が聞こえた。
 その声の大きさに失いかけた意識が一度引き戻された気がした。


「だい……じょうぶ……」


 目を閉じるとバランス感覚が失われ、そのまま身体が前のめりに倒れる。
 

 暗い闇の先に未来の姿が見えたような気がした。
 どんな表情をしているかはわからないけど、あれは間違いなく――

 あの夾竹桃の花言葉は当たっていた。

 危険な愛、用心、油断大敵、危険。


「……み……ら、い」


 もう何も見えない。

 そのまま何もわからなくなった。



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Date:2013/08/28
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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