第57話 兄妹の絆柊視点
未来を浴室に入れて、リビングに戻ると待たせていた修哉が「ごめん」といきなり詫びた。
「未来ちゃんに……おまえから離れろって言ったこと……」
口ごもりながら頭を下げ続ける修哉。
ソファから立ち上がって、最敬礼の状態を保つその肩を軽く叩く。修哉の思い違いを正す、いいチャンスだと思った。
「未来に俺が必要なんじゃないんだ。俺に未来が必要なんだよ」
そう伝えると、修哉が口をあんぐり開けた。
何かを言いたげに唇が動く。だけどそれを制して話を続ける。
「おまえに頼みがある」
修哉の向かいに立って今度は俺が深く頭を下げた。
頭を下げた状態でも修哉がどんな表情をしているか想像がつく。こういう形式ばった真剣なのが苦手な男だからたじろいでいるはずだ。
「未来の兄の権利を……もう少しだけ俺に貸してくれ」
「――は?」
修哉がたっぷり間を空けて聞き返してきた。
頭を上げてその顔を見ると、俺を睨みつけるような鋭い目で見つめている。
「もう少しだけ……未来の兄として傍にいたいんだ」
「未来ちゃんに嘘をつき続けるのか?」
修哉の言葉が胸に突き刺さる。
嘘をつき続ける。そういうことになるのだろう。
「未来ちゃんのこと好きなんだろう? 兄なんて肩書きはいらないんじゃないのか?」
俺は首を横に振った。
「いや、いるんだ。それがないとダメなんだ」
「どうして?」
「あんな酷いことをした父親の息子だなんて知ったら、未来は絶対に俺を嫌うだろう」
「そうかな? おまえはおまえだし、親父さんとは……」
「未来が安心して住める場所ができるまで、俺の傍にいてほしいんだ」
修哉の言葉を遮って俺は続けた。
その時が来るまで、俺は兄として未来の傍にいたい。俺が安心して送り出せるように。あの子が心から平穏に過ごせる居場所を一緒に見つけてやりたい。
それが俺にできるささやかな償いだと思うから。
「恋人にはなれないのか?」
同情したような顔をする修哉。
俺は少しだけ目を閉じてもう一度首を横に振る。
「未来と悠聖はつき合っているんだ」
「悠聖と未来ちゃんが? なんだ、その修羅場?」
テーブルの上に置いてあった俺の携帯電話が鳴り、お互い目を合わせる。
相手は今、話題に上がっていた悠聖だった。ただの電話なのに、いつものように出ることができるのか少しだけ不安だった。小さく息を吸い込んでから、通話ボタンを押す。
『兄貴? 未来どうしてる?』
「な……んで?」
自分の声が震えているのがわかる。
動揺するな! 落ち着け! 自分。悠聖に変に思われたら、説明のしようがない。
『さっきから連絡しているけど、全然返事がないんだ』
「今、風呂入ってる」
『なんだ、じゃあしょうがない』
残念そうな小さいため息をつく悠聖に俺の動揺は全く伝わっていないようだった。
電話を切ると、心配そうな顔で修哉が俺を見ている。
「悠聖だ。未来が連絡しないのを心配してこっちにかけてきた」
「未来ちゃんがここに住んでいるの知ってるんだ」
修哉が大きいため息をつく。いろいろ思うことがあるのかもしれない。
その時、未来が俯きながらリビングに入ってきた。まっすぐ修哉の方へ向かって行く。そして、スウェットのポケットから携帯電話を取り出して修哉に渡した。それを見た修哉が悲しい顔を浮かべる。
未来は何かを修哉に伝えたんだ。
何を伝えたのか、知りたい。聞きたいけど、聞ける雰囲気ではなかった。
修哉がうなずいて、未来の携帯に文字を打ち込み、「返事」と、その携帯を未来に戻した。
今度は未来がうないてその携帯を受け取る。未来と修哉は俺の前で内緒の会話をした。このふたりの意味深な行動に胸が痛む。
このふたりが本当の兄妹であるように、俺は蚊帳の外の人間なんだ。
今、ふたりの中に見えない絆みたいなものを感じてしまった。
「柊?」
修哉が俺の顔の前で手のひらをヒラヒラさせている。
ボーっとしてふたりを見つめていたようだ。未来も心配そうな顔で俺を見ていた。
「悠聖が心配していた。連絡がないって」
未来が自分の携帯電話を見た後、小さく反応した。
その携帯の画面を俺に向ける。そこには俺の携帯からの着信履歴だらけだった。
「それは、修哉が」
「おまえがかけ続けろって言ったんだろう?」
“ありがとう”
未来の唇が動き、目から涙が零れた。
それを拭いながらリビングから出て行こうとする未来を引き止める。
「悠聖には……」
未来はこっちを振り返って瞼を伏せ、ゆっくり首を横に振った。
携帯電話の文字を俺と修哉に向ける。
『悠聖くんにも、誰にも今日のことは言わないで』
俺も修哉もうなずくしかできなかった。
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