第50話 大切なのは……妹柊視点
未来達の試験当日に、彼女の母親からメールが来た。
連絡先は伝えてあったが、まさか俺宛にメールが来ることはないと思っていなかったから少し驚いた。
『未来がお世話になっています。今私は実家に来ています。
そこで佐藤さんに見せたいものが見つかりました。そちらへ郵送させていただきます。
本日送りましたので、近日中には届くかと思います。未来をよろしくお願いします』
俺に見せたいもの?
弓月家には何の関わりもないはずなんだけど、気になる。
俺の寝室の扉がノックされる音がして、開けると未来が立っていた。
強く注意してからあのパジャマは着ないで自分のスウェットを着ている。何となくもじもじしているように見えた。
おずおずと数学の教科書を差し出して俺に見せた。
そこには『ここ、教えて』と書かれている。
聖稜ではこんなところもうやってるのか。
かなり早い進みだと思う。ウチの学校とペースが格段に違う。聖稜がレベルが高いのは伊達じゃないらしい。さすが県内きっての進学校だ。
俺の部屋の机で未来に教えた。
未来は俺の隣の椅子に座って、熱心に説明を聞いている。真剣な眼差しで教科書とノートに向かうその姿を見て学校での未来の授業態度を想像してしまう。きっと真面目な生徒の一人なんだろう。
“あーわかった”
「同じやり方で次の問題も解いてみな」
次の問題をやりはじめる未来の横顔を見ていると、やっぱりウチの学校の生徒とは違うと感じてしまう。
この子は普通の高校生と何かが違うんだ。大人っぽいのとはまた違う。
何が違うんだと聞かれると上手く答えられないけど、雰囲気? 空気? 微妙な間の取り方? ちょっとした仕草? よくわからない。
「うん、あってる」
うれしそうに微笑む未来の表情にドキッとさせられる。
妹だと思っていた時はこんなふうに感じなかったのに。こんな気持ちになったのは図書館で逢った時以来かもしれない。
未来のスウェットのポケットの中で携帯電話が震える音がした。
こもった音に驚いた未来がそれを素早く取り出して、画面を見た。その時、一瞬表情が曇ったのを俺は見逃さなかった。
「誰?」
未来は少し慌てたように携帯電話をポケットに入れて椅子から立ち上がった。
……答えない。俺の質問が聞こえていないわけがない。いやな予感しかしなかった。
「ありがとう」と唇を動かしてから俺の部屋から出て行こうとする未来の右手を掴んで引き止める。その身体がビクッと反応した。
「待ちなさい。誰からメールが来たんだ」
我ながら兄貴ぶった口調で話しかけているのが空々しく感じる。
そんなことより今は未来に来たメールが誰からのものかが気になった。未来は俺の方を見たまま俯いた。
「未来、言いなさい」
“おとうさん……”
「見せなさい」
立ち上がって手を差し出すと、未来は躊躇いながら俺の手に自分の携帯電話を置いた。
悲しそうに俯く未来を横目に見ながら、その画面を確認する。
『未来、元気か。一度帰って来なさい』
短い文章だった。
一見未来を気遣うような内容だが、騙されない。この子だってそう思っているからこんなにも辛そうな表情を見せるのだろう。
確かに俺に会う
までは、未来に連絡を取らないでほしいと約束した。
だけど、こんなにも早く取り返しに行動を起こすとは。よっぽど切羽詰っているとしか思えない。しかも今、未来の家には母親の存在がない。
今帰ったら、母親に気兼ねなく未来を弄ぶことができるから――
未来が実父に跨られ、圧し掛かられている姿を思い出したら背筋が凍りそうだった。
「消すぞ。この人の件は俺に任せろ」
驚いた顔で未来が俺を見たが、有無を言わさずメールを削除した。
心配そうな表情で俺を見つめる未来に「大丈夫だ」と伝える。少しでも気持ちを楽にしてやりたくて笑いかけると、泣き出しそうに目を潤ませて俺の胸に抱きついてきた。
「みら……い?」
俺の手は未来の背中辺りで宙を舞う感じになっていた。
このまま引き寄せて抱きしめていいものか……心の中でいろんな葛藤が渦巻いた。その手を宙を舞わせたまま、軽く握りしめる。
小さく震える未来の身体。それを見たら自然に抱きしめてしまっていた。
「大丈夫だよ、未来。ひとりでお父さんに会いに行ったりしてはいけないよ」
未来は小さくうなずいて、俺の胸に顔をうずめた。
未来が落ち着いて俺の部屋を出て行った後、実父に電話をしようと携帯を手にした時にそれが鳴った。
メールではなく電話で、修哉からだった。
『おい! 瑞穂が大変なんだ! なんとかしろ!』
開口一番、修哉の怒鳴り声で耳がキーンとした。
「もしもし」も言わせず、いきなり話し出すなんていつものんびりの修哉らしくない。
「瑞穂が? 何だ?」
『おまえの家に未来ちゃんが入って行くのを見たって大泣きしてうちに来てる。とりあえずおまえ事情を説明しに今からうちに来い』
困ったといった感じの修哉のヘルプ声。こんな声を出すことは滅多にない。
よっぽど持て余しているのだろう。それが痛いほど伝わってくる。それに自分の好きな女が他の男のことで取り乱している姿なんて見ていたくないだろう。だけど――
「ごめん、今は無理だ。悪いけど行けない。おまえから適当に説明してくれないか?」
『は? 適当にって……じゃあ瑞穂はどうするんだよ?』
素っ頓狂な修哉の声が、また俺の耳をキーンとさせた。携帯を耳から少しずらす。
『適当に』と言ったのは意味がある。本当のことは言ってくれるな、暗にそう伝えたつもりだ。
未来とのことは『瑞穂に言わないでほしい』と修哉に口止めしてあったから、わかってくれているはずだ。そういう約束は守る男だ。修哉のことは誰よりもよくわかっている。
俺の家に未来が入ったことで瑞穂が泣いているんだから、当然自分が話をつけに行くべきなのかもしれない。でも、今この家を出て行くわけにはいかない。
「ごめん。俺が行かなきゃいけないのもわかっているけど……」
『おい、柊。おまえ瑞穂の気持ちわかっているんだろう? 瑞穂がかわいそうだ!』
修哉の苛立った声が聞こえてきた。
俺は何も言えなかった。もちろん瑞穂の気持ちには気づいている。昔から俺を好きでいてくれた。修哉の気持ちも瑞穂の気持ちもわかっているから余計に辛い。
「ごめん……今は家を出られない」
『……未来ちゃんのせいか?』
修哉に指摘され、胸の辺りがずきんとした。その通りなので弁解はしない。
『おまえ瑞穂と未来ちゃん、どっちが大事なんだよ』
修哉の怒鳴り声が俺の耳にも胸にも響いた。
天秤にかけるようなマネはしたくない、でも。
「――未来だ」
確実に俺の中で今一番大事なのは未来だ。
申し訳ないけど、親でも悠聖でもない。あの子を守りたい、今はそれしか思えなかった。
「頼むよ、修哉。わかってくれ。今の俺には未来が一番大切なんだ」
『あの子に惚れているのか?』
その修哉の言葉に、俺は一瞬心臓が止まるような思いをした。
俺が未来に惚れている? 「なに言ってるんだ」と抗議すると、修哉の大きいため息が聞こえてくる。
『それはこっちが言いたいよ! あの子は妹だろ? だったら少しは瑞穂のことも考えろよ』
そうだよ。未来は妹だ、そう言い聞かせる。
俺は動揺しているのだろうか。スムーズに答えられない。胸が押しつぶされるような感覚がした。
本当の妹ではなかった。だけどあの子は俺の妹としてここで生活をしているんだ。俺だって妹だと認識している。だから今まで通り暮らしているんじゃないか。
何を言われ、説得されても俺は首を横に振ることしかできなかった。
「今は妹のことだけ考えたいんだ。ひとりにしたくない。瑞穂には近いうちに説明すると言ってくれ」
わざと『妹』と強調し、自分から通話を切った。
修哉、すまない。唯一無二の親友のおまえにまで俺は嘘をついている。
未来は、俺の妹じゃないんだよ。
いつかこの真実を修哉に伝える日が来るかもしれない。だけどそれは今じゃないんだ。
本当のことを知った時、お前は俺を「嘘つき」と罵るかもしれないな。
その後、実父に電話したけど繋がらなかった。
何度かけても実父は出ようとはしなかった。
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