第35話 彼女との電話悠聖視点
携帯電話を持って、随分長い間ボーッとしている自分がいる。
ずっと椅子に座っているのが少し疲れたので、ベッドに移動してごろんと横になり、目を閉じた。
左手で自分の唇に触れてみる。
弓月の唇の感触が忘れられない。こんな、自分の手とは全く違う。とっても柔らかくて熱を帯びていて心地よかった。驚いて目を見開いた表情も、その後に僕を受け入れて目を閉じたところも愛しい。
初めてのキス。その相手が弓月で本当にうれしい。
初めて好きになったのが弓月で本当に幸せだと思った。
それなのに僕は、弓月に一度も好きだと伝えていなかった。本人に言われて知った事実だ。
言ったつもりでいた。だけど言ってなかったなんて、ちょっとマヌケだと思った。
「好き」という言葉を、彼女が待っていたんだなんて気づかなかった。
その言葉を聞くまで、僕の気持ちを信じていなかったのかな? それはそれでちょっと寂しいけど、言っていなかった自分が悪い。反省している。
僕がはっきり伝えなかったことで弓月が不安に思っていたのなら、さらに反省しないといけない。
面を向かって「好き」と言うのはかなり照れる。
だけど、弓月が安心するのなら言うように意識したほうがいいだろう。
持っていた携帯電話が鳴った。画面を見ると兄貴からだった。
すごくひさしぶりにかかってきた。珍しい。最後にかかってきたのっていつだったかな?
『悠聖? 母さんの携帯が繋がらなくて、こっちにかけてみた』
「なんだ。家電にかけてみたら出るんじゃない? 母さんまた充電忘れてるのかな?」
『いや、おまえの声も聞きたかったから』
「何だそれ? とってつけたような……」
兄貴が笑って誤魔化す。調子いいな。
「たまには
実家にも顔出しなよ。父さんも心配してるよ」
『……あぁ、そのうちな。母さんに携帯充電するように伝えてくれないか?』
「了解。あ、兄貴!」
『ん?』
「僕、彼女ができた」
『おお! よかったな』
いきなり兄貴の声のトーンがあがった。
心からよろこんでくれているみたいだ。うれしい。兄貴には伝えておきたいと思っていたんだ。
「兄貴の彼女は元気なの? 今いないの?」
『彼女? ああ、今それどころじゃないんだよ。忙しくて』
「ちゃんと『好き』って伝えないとダメだよ。特に忙しい時ほどね」
『彼女ができた男は言うことが違うな。じゃあ、またな』
揶揄しながら笑いと共に電話が切れた。でも間違ったことは言ってない。
そうだよ『好き』ってちゃんと伝えないとダメなんだよ。言わないと伝わらない気持ちだってあるんだから、恥ずかしがってちゃダメなんだ。
まるで自分に言い聞かせたみたいでおかしかった。
**
「母さん、兄貴が携帯繋がらないから充電しろって」
一階のキッチンにいる母に伝えると「あら」と小さく零した。
エプロンのポケットから携帯電話を取り出して画面を見ている。
「あら。本当だわ。最近すぐに充電が切れちゃう……今朝したはずなのに」
「バッテリーが古いんじゃない?」
「そうなの? 困ったわ」
カウンター式キッチンの端に、母の携帯電話の充電器が置いてある。
そこに電話を置くとピッと音が鳴った。最近しょっちゅうそのポジションに母の携帯が置かれているのを見る。
「新しいのを買うといい。繋がらない電話を持っていても意味がない」
リビングのソファに腰掛けてテレビを観ていた父がキッチンの方を振り返った。
なんだ、話を聞いてたんだ。
「でも、新しいのって使い方がわからなくて困るのよね」
「悠聖に教えてもらえばいいだろう」
「簡単に言うけど、最近の携帯電話は
取扱説明書がついていないから、インターネットで調べないといけなくて、かなり面倒なんだ」
「いいじゃないか。悠聖も同じのに買い換えれば」
「僕のはまだ使えるし。全く、父さんは母さんには甘いんだから」
僕が言うと、ふたりが顔を見合わせる。
新聞をわざとらしくバサバサと音を立て、父がそれを読み始めた。
「何言ってるんだ。父さんはおまえ達にも甘いぞ」
「大きい息子がふたりもいるのにこんなラブラブな夫婦は見たことないよ……はぁ」
ちらっと父を見ると、恥ずかしそうに新聞に顔を隠した。
邪魔をしないようにさっさと用件だけ伝えて、自分は部屋に引っ込むことにする。
それに、少なくとも父は僕には厳しい。
期待の分だけそう感じるのかもしれないけど、兄貴に対してはそうでもないように思える。
父と母は昔から仲がよくて、近所の人からも『おしどり夫婦』と言われている。
未だに普通にデートはするし、その時はちゃんと手を繋いでいる。喧嘩したところなんか見たことないかもな。僕もいつか結婚したら、両親みたいな夫婦になりたいと思っている。
そうだ、携帯電話をベッドの上に置きっぱなし。
慌てて部屋に戻ると、光っていた。電話の着信とメールの受信があった。見るとどちらからも弓月からだった。
弓月が電話? とりあえずメールを見てみる、と。
『声が聴きたくて電話しちゃった。佐藤くんの声はわたしの声なんだよね』
弓月からの初めての電話、出られなくて残念なことをした。
五分前の着信だったから、すぐに折り返してかけ直してみる。
「弓月?」
――コンコン!! と二回ノックするような音が聞こえた。携帯を叩いたのかな?
「聞こえる?」
しばらく待っていると、またコンコン!! と二回音がした。
それを聞いて、僕は少し笑ってしまった。
「電話出られなくてごめんね」
発言した後は、少し待つ。
すると、コンコンコン!! と三回聞こえた。
二回が「はい」で、三回が「いいえ」かな? それとも「うん」と「ううん」か。どちらにしても、二回が肯定、三回が否定だろう。わかりやすい。
「弓月、聞いて」
――コンコン!!
「これが君の声だよ」
――コンコン!!
「あんまりいい声じゃないけど……」
――コン・コン・コン!!
ちゃんと三回鳴らしてくれた。なんだかすごくうれしかった。
はいといいえで答えられることを聞けばこうやって電話でも話せるんだ。弓月とできることが増えてうれしかった。それだけで胸の奥からじんわりと熱いものがこみ上げてくるようだった。
こうして少しずつ、ふたりでできることを共有していきたい。そう思った。
「好きだよ」
想いが高ぶって思わず告白してしまった。
少し間があいた後――
――コンコン!!
二回聞こえてきた。彼女は「はい」って言ってくれている。
一生懸命携帯電話を叩いている弓月の姿を想像したらかわいくてしかたがなかった。その姿を見たいと思った。ずっとそばにいたい。本当に好きだと実感した。
だからつい、僕も聞きたくなってしまったんだ。
「弓月は? 僕を好き?」
聞いてからすごく胸がドキドキして緊張した。
答えを待つ時間が長く感じる。携帯を持っていない方の手が汗ばんでいるのがわかった。
――コン! コン!!
ゆっくり二回叩く音が聞こえた。
うれしくて僕は安堵のため息をつき、同時に片手でガッツポーズを取ってしまった。
「ありがとう、弓月」
――コンコンコン!!
「明日また会おう」
――コンコン!!
「じゃあね、おやすみ」
僕がそう言うと、コンコンコンコンコン!! と五回ノックする音が聞こえた。
えっ? と思った時にはすでに電話は切れていた。何のサインだったんだろうか。
そう思いながらも余韻に浸りつつ、通話をOFFにした時、僕の部屋の扉の向こうで物音がした。
ベッドから飛び起きて扉を開けると、母が困惑顔で僕の部屋の前から立ち去ろうとする瞬間だった。
恥ずかしいのと立ち聞きされていた事実に少しだけ苛立ちを感じた。
「今の、聞いていたの?」
「聞いてたって言うか……」
「じゃ、聞こえてた? に訂正する?」
口ごもる母に僕は意地悪な言い方をした。
眉を下げて少し心配そうな顔をする母をつい冷たい目で見てしまう。普通、自分の恋愛話を親に知られたいとは思わないだろう。
「彼女と話していただけだよ」
「……彼女って?」
「名前も聞こえたろ? 前に母さんが興味持ってた子」
「あの子はしゃべれないんでしょ? どうやって電話を?」
「手段はいろいろあるんだよ」
僕が笑うと母はさらに困惑顔になり、小さく肩をすくめた。
なんとなくふてくされているようにも見える。
「弓月さんとつき合っているの?」
母が率直に聞いてきたのですぐに認め、一回大きくうなずいた。
まさか即答されると思っていなかったのか、母は驚愕の表情で手で口を塞いでいる。
「父さんに言う? いいけど。何言われても別れるつもりないから」
僕は余裕たっぷりの顔で母に笑いかけた。
弓月がいてくれるなら、僕は怖いものなんかないよ。
今一番大事なのは、弓月未来の存在なんだ。両親よりも、兄貴よりも僕の心となっているのは彼女なんだ。
そう思ったらすごく誇らしい気持ちになった。
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