第34話 聞きたかった言葉と初めての……未来視点
佐藤くんと一緒に学校に通うようになって数日経った頃、クラスメイトの田村さんに呼び出された。
田村さんは女子の目立つグループの人で、正直に言えば苦手なタイプ。
まさか屋上に呼び出されるとは思わなかった。行ったら他にも三人女の子がいて、みんな怒っているように見える。こんなことってドラマの中だけのことだと思っていた。実際されてみるとやっぱりいい気持ちではない。
「悠聖とつき合ってるの?」
屋上の出口扉に追い詰められ、問われた。
おずおずとうなずくと、みんなが声をそろえて笑った。
「結局悠聖も顔で女選ぶってことか」
「キレイな顔は得だなぁ」
「しゃべれなくても相手にしてもらえるんだもんね。同情されているとも知らずに」
「特待生でタダで勉強できるんだからさぁ、まあ、それも悠聖のおかげなんだってわかってるよね? 掃除当番とか率先してやってよね」
口々に思うことをストレートにぶちまけられた。
**
これって、いじめっていうのかな?
ひとりで教室の掃除をしながらそう思った。
中学の時はほとんど声をかけられることがなかったから、それに比べたらいい方なのかもしれない。
あの時は陰でコソコソ言われていたし、今日みたいに面と向かってきちんと言われた方が、ある意味気持ちいいような気もする。
でも一番気になったのは、佐藤くんがわたしを『顔で選んだ』と言われたこと。
そんな理由なの? 違う顔なら選ばれなかったの?
そもそも佐藤くんがわたしを好きなのかもわからない。まだ好きって言われたわけでもない。
――同情されているとも知らずに――
その言葉が頭から離れない。
佐藤くんは同情でわたしとつき合ってくれているのかもしれない。そう言われたらそうとしか思えなくなってきた。声を出せないかわいそうな女だから。
「またひとりで掃除させられてる」
教室の後ろの扉から佐藤くんが呆れ顔で入ってきた。
いつもだったら声をかけられたらうれしくて微笑みかけてしまうだろう。だけど今は顔をあわせたくなかった。わたしの中から『同情』という言葉が抜けない。
この人はわたしと同情で、と思ったら胸が苦しくなる一方だった。
“いいの”
そう唇で表現して佐藤くんから目を逸らし、掃除を続ける。
「また田村とかだろ? ちょっと言って来るよ」
教室から出て行こうとする佐藤くんの右腕を慌てて引っ張って止める。
怪訝な顔をしてわたしを見る佐藤くんに、二回横に首を振ってみせた。そんなことされても困るから。
「なんで弓月はみんなひとりで抱え込もうとするの?」
頭の上で、少しもどかしそうな佐藤くんの声が聞こえた。
でもそれを聞かない振りして掃除を続ける。これが終わらないとバイトに行けないし、バケツにお水汲んできて机を拭かないといけない。佐藤くんから離れて、掃除用具ロッカーからバケツと雑巾を取り出す。
「弓月! 僕の話、聞いているの?」
後ろから少し強めに右肩を掴まれた。
わたしはそっちを横目でチラッと見て、携帯電話に文字を打ち始めた。打ち終わるのを佐藤くんはじっと待っていてくれる。
『ごめんなさい。時間ないから早く終わらせないと』
だから邪魔をしないでっていう意味をこめて佐藤くんの方を見て画面を向けた。
「だからみんなでやれば……」
首を横に振ってバケツを持ち、廊下に出た。
「なんで? 頼むの大変なら僕が言ってくるよ!」
“余計なことしないで”
少し苛立ったような佐藤くんに伝わるかどうか微妙だったけど。唇でその言葉を表現してみた。
すると、佐藤くんが悲しそうな顔になっていく。唇の動き読めたんだ、すごい。
でもやっぱり気持ちをちゃんと伝えるためには文字が必要になる。
『わたしのことなのに佐藤くんが頼むの? そんなのおかしいよ。佐藤くんはわたしがしゃべれないから同情しているの? このくらいひとりでできるよ。早く終わらせてバイト行かないといけないからほっといて』
携帯電話ごと佐藤くんの胸に押しつけて水道へ向かった。
本当はこんなこと言いたいんじゃないのに、佐藤くんが優しいから八つ当たりしているだけだ。バカみたい。みっともない。
バケツいっぱいに水を入れて持ち上げると、結構重かった。
お願いだからわたしが教室に戻る前に帰っていてほしい。そう願った。
水が零れないように運ばないと。そう思っ時、急にバケツが軽くなった。
佐藤くんが横に並んで一緒に持ってくれている。まっすぐ前だけを向いて歩いている佐藤くんは、わたしの方なんて見ようともしない。呆れられたんだよね。わかってる。
こんな時『手伝ってくれてありがとう』も『ごめんなさい』も言えない。悔しい。
でも、便利なこともあるんだ。
こうやって悔し涙を流しても泣きしゃっくりをあげなければバレない。俯いて髪で顔を隠してしまえば絶対に気づかれない。
教卓の左横にバケツを置いて、佐藤くんが手を離した隙にペコリと頭を下げた。
しゃべれなくてもこのくらいのお礼はできる。
教卓の上に置いておいた雑巾を取ってバケツに入れようとした時、佐藤くんがいきなりわたしの右肩を掴んだ。
息をつく間もなく、そのまま振り向かされて、黒板の横の掲示板に身体を押しつけられた。わたしの顔を心配そうな表情で覗き込む。その目に思わず息を飲んだ。
「泣いてるのわかってるよ」
一度だけ上目遣いに佐藤くんの顔を見て、目を逸らした。バレてたんだ……恥ずかしい。
強気なことを言って突っぱねたくせに、結局泣いているなんてかっこ悪い。涙が流れちゃってるから弁解もできない。
「あんまり自分を傷つけるな」
「――!!」
佐藤くんの顔が近づいてきたと思った次の瞬間、わたしの唇が彼の唇で塞がれていた。
なに、これ?
唇に柔らかい感触と、目の前に佐藤くんの閉じた瞳とサラサラの前髪。
心臓が早鐘のように鳴り響く……苦しいくらいだった。
すぐに離れた唇は急にひんやりしたような感じがして、酷く寂しい気持ちになった。
「目くらいつぶって」
佐藤くんの囁くような小さい声。
慌てて言われた通りに目を閉じると、わたしの顔の傍で佐藤くんが小さく笑う声がする。
その後すぐ、もう一度佐藤くんの唇が重ねられた。
心臓壊れそう……すごく激しく拍動している。でも、嫌じゃない。
重ねられた唇からわたしのドキドキが佐藤くんに伝わってしまいそうな気がした。そんなことあるわけないとわかっていても少しだけ不安だった。
気がついたら唇は離れていて、わたしの身体は佐藤くんに抱きしめられていた。
佐藤くんのキスでぼうっとしていたみたい。全然気づかなかった。
「弓月の言葉に……声になりたいんだ……同情なんかじゃない。好きなんだ」
佐藤くんの低音で滑舌のよいゆっくりした声と漏れる吐息が、わたしの耳元をくすぐる。
それはわたしの中の芯みたいなものを直接刺激したようで、全身が震えてしまった。よくわからないけど、こんな経験は初めて。
涙が……止まらない。
ゆっくり身体が離された後、佐藤くんがわたしを見て困惑顔になった。
そっと彼の手がわたしの両頬を優しく包んで涙を拭う。
「ごめん……いやだった?」
佐藤くんの目を見つめながら静かに首を横に振った。
唇が震えて伝えられないから、佐藤くんの手をとってそこに指文字で伝える。
“は・じ・め・て・す・き・っ・て・い・っ・て・く・れ・た”
佐藤くんが真っ赤な顔をして、わたしを見ている。
“わ・た・し・の・ど・こ・が・す・き・?”
続けて指文字で表現すると、佐藤くんの顔がさらに赤くなったような気がした。
俯いて、少しバツの悪そうな表情に変わる。首を傾げて考えている彼を見て、好きなところが見つからないのかな? と少し不安になってしまった。
少し時間を置いて、佐藤くんの唇が動き始めた。
「うーん……意地っ張りなところも、負けず嫌いなところも、泣き虫なところも全部含めて、好きかな?」
“えっ?”
バカにされたみたいでちょっと唇を尖らせると、佐藤くんが笑う。
「嘘じゃない」
そう言って、もう一度優しく抱きしめられた。
**
図書館で本の整理をしながら思い出していた。
初めてキスしちゃった。
思い返しただけでドキドキするし、顔が熱くて頭がおかしくなりそう。
左手で自分の唇に触れてみると、佐藤くんの唇の感触が甦ってくるようだった。
佐藤くんがわたしを好きって、わたしの声になりたいって言ってくれてうれしかった。
わたし、自分が思っているよりずっと佐藤くんのことが好きだってわかったの。
好きってこんなに胸がドキドキしてほわんとするんだ。
余韻に浸っていたら、ポケットの中の携帯電話が震えた。
画面を見ると、お兄ちゃんからだった。
『今日は修哉と会う約束があるから、十九時にバイトを上がってほしい。迎えに行くから』
予定あるなら無理に迎えに来てくれなくてもいいのに。
本当に心配性なんだから。そう思いながらもとってもうれしかったんだ。
**
十九時ちょっと過ぎに図書館を出ると、門の前に車が停まっていて、中にお兄ちゃんが待っていた。
“迎えに来なくてもいいのに”
「ダメだ。何があるかわからないから。今日は一回家に帰って車で来た」
助手席に乗り込んで、荷物を後部座席に載せる。
唇を見せるように会話すればお兄ちゃんもだいぶ読唇術ができるようになってきてる。ちょっとややこしかったり長い会話は無理みたいだけど、雰囲気で察している部分も多いかもしれない。
「シートベルトしないと走れないだろ?」
「――っ!」
お兄ちゃんの上半身がわたしに近づいて、左肩の方からシートベルトを引っ張り出した。
いきなり顔が近づいてドキドキしてしまった。さっきの佐藤くんとのキスを思い出しちゃって、つい意識してしまう。
「これをつける習慣をつけないと……って随分赤い顔してるな?」
再びお兄ちゃんの顔がぐっとわたしに近づいて、さらにドキドキしてしまう。
慌てて顔を助手席側の窓に移して、外を眺めるフリをして誤魔化した。変なふうに思われていないといいんだけど。
なんとなく、恥ずかしくてお兄ちゃんの顔をまともに見れなかった。
少しだけ自分が大人になったような、そんな気がした帰り道だった。
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