第25話 彼女の過去柊視点
十七時からの職員会議の前に未来とメールをして帰宅時間を調整した。
十九時半に図書館前待ち合わせ。職員会議は十八時半には終わるだろうからどこかで時間を潰せばいいか。一度家に帰って車で迎えに戻ってくるのもありか。
昨日の飲み会の待ち合わせの前は一度戻るなんて考えもしなかった。だけど帰りに未来がいるなら一度帰宅して車で戻ってもいいと思った。
とりあえず瑞穂と会わないように行けば問題ない。
しかし未来は随分頑なに迎えを拒否してくれたな。悪いと思っているんだろうけど、心配なものはしょうがないだろう。
俺にとってはすでに未来は大事な妹として認識されているんだから。
**
数学教務室の扉がノックされた。
今日も今日とて俺以外誰もいない。他の数学教師はどこで何をしているんだ?
「柊先生、こんにちは」
扉の向こうから金子麻美が顔を覗かせた。
満面の笑みで教務室に入ってくる。なんとなくいやな予感がした。いや、その予感しかしないと言っても過言ではない。
「柊先生にいいもの見せてあげようと思って。ホラ。小学校の卒業アルバム」
「誰の? (興味なし)」
「私のに決まってるじゃない!」
「ふーん(興味なし)」
「ああ、柊先生そんな態度でいいの? 未来も写ってるのに」
え? 未来?
ちらっとアルバムに視線を移すと金子が勝ち誇ったような顔をした。
「ほら! 見たくなったでしょ?」
「別に……」
本当はかなり見たいが、挑発に乗るとペースを崩されるのは目に見えている。
授業の資料を作っている振りをするが、全く集中できない。小さい頃の妹の姿を見たいと思うのはごく自然のことだろう。
「柊先生と未来って、ただの図書館の知り合い?」
俺の左横の引き出し机にアルバムを置き、その横にあった丸椅子を引っ張って近づけてそこに金子が座り込んだ。
うわ、腰を据えられてしまった。とりあえず金子の質問にうなずいて肯定しておく。
「本当? 昨日やけに未来と親しげだったから」
金子の指摘に心臓が口から飛び出すかと思った。
「親しげ」と言われ、昨日のどこの場面を見てそう思ったのだろうか?
「昨日……?」
「私、図書館で柊先生に声かけたでしょ? 実はあれより少し前からあそこにいたんだよね。そうしたら柊先生、未来のこと『未来ちゃん』なんて親しげに呼んでたから」
頬づえをついて、俺の様子を伺うように金子がじっとこっちを見ている。
見られていたのはそこか。心の中でほっとため息をついた。夜の図書館前で絡まれていた未来を助けたところとか、送っていったところじゃなくてよかった。
もしくは、未来の家から連れ去るところ。そこだったら言い訳のしようがなかった。
「友達がそう呼んでるから呼んでるだけで別に深い意味はない。俺の生徒でもないし」
「あー、あの司書さん? 柊先生の彼女?」
俺の持っていたシャープペンシルの芯が、いい音を立てて折れた。
「あー! 動揺してる、怪しい」
「今時の高校生は……ってか金子の中では女友達という定義はないのか?」
「女友達ってか異性の友達って理解できない」
頭を抱えて金子を見るとニコニコ笑っていた。
理解できなくてもいいけど俺と瑞穂はただ友達だ、とは言わなかった。なんだか弁解してるみたいだし、金子に言う必要性も感じられない。
「まぁいいや、未来を見せてあげるよ」
金子が開いたアルバムのページには六年一組とあり、未来は一番最後に顔写真が出ていた。
肩くらいの茶色い髪にピンク色の唇、うっすら赤みを帯びた頬。今の未来を少しだけ幼くしたようだった。他の女の子もざっと見たが、やっぱり未来がひときわ目立っていてかわいかった。
「昔から未来はかわいかった。高校生になってあんなにキレイになっててビックリした」
アルバムの下に資料を敷かれてしまってなにもできなくなった俺は、ちらちら小学生の未来を見ていた。
自分の小学生時代に未来がいたら絶対惚れてただろうなって思うくらいかわいい。
「私さ、中学は未来と別だったから風の噂なんだけど、すごいこと知ってる。聞きたい? 先生」
俺が食いついてくるのを待っている釣り師のように金子がちらりとこっちを見て挑発してきた。
その手に乗ってしまう教師がどこにいるかっての。
「……君が話したいんじゃないの?」
「そうじゃないけどさ、未来のお父さんのことみたいなもんだから」
思わず声をあげそうになり、慌てて口をつぐんで金子を見た。
未来の父親ということは、俺の実父ということだろう。早まる鼓動を抑えるのに必死だった。机に置いてあったお茶をひと口飲んで自分を落ち着かせる。
「お父さんがどうしたの?」
なるべく平然を保ってさらっと訊いてみた。
「未来のお父さんって画家らしいんだけど、小六の時、そのお父さんの絵が盗作だった事件があったのね」
「……盗作!?」
あの実直だけがとりえの実父が盗作? 信じられなかった。
だけど金子が嘘をついているとは思えない。それにそんな嘘をつく必要もないだろう。
「うん。中学に入って未来の生活、一変しちゃったらしいの」
父親の盗作に生活の一変。
一体あの子はどんな中学時代を過ごして来たんだろうか。続きが気になって、持っていたシャープペンシルはすでに机の上に置いた状態になっている。
「お父さんは絵を描き続けているみたいなんだけど、どうもそれが……」
言葉を濁しつつ口ごもる金子を見ていやな予感がした。
続きを聞きたくない衝動に一瞬だけ駆られた。でもその反面聞きたい自分もいることに気づいた。
「女性のヌード画? って言うのかな? 未来がそのモデルにされていたとか……」
――やっぱり。予感は的中した。
目の前が一瞬暗くなった。予想はしていたけど、知りたくはなかった。だけど避けては通れない道、いつかは知ることになっていただろう。
「それを男子達がからかったのかわからないけど、未来は中学時代、酷い目に遭わされたみたい。詳しくはわからないんだけど」
「酷い目?」
俺は動揺を隠しきれず、思いきり正面から金子を見てしまった。
金子が目を見張ったと思ったらすぐに穏やかな顔になる。俺の動揺を見破られてしまっただろうか。
「噂の域を出ないけど……集団レイプされたとか……」
一瞬自分の中で何かが壊れた気がした。
その言葉に耳を塞ぎたかった。そんなのおかしいだろう、と思いきり叫びたい気持ちだった。それに加えて自分の生徒の口から『レイプ』なんて言葉を聞くのも嫌悪感を覚えた。こんな単語を発言させたくない。だけど話を続けさせたのは他でもない俺だった。
「……まさか」
そう言って冷静を装いながら、目を逸らすことしかできない自分が情けない。
真実かもしれないことから目を背けているだけなのかもしれない。
「うん、まさかとは思うけどね、私もさ。ただあの子かわいいし、しゃべれないし――」
金子が身を乗り出して俺に詰め寄ってきた。
その時、数学教務室の扉がノックされ、応答する前にそれが開いた。
「佐藤先生、職員会議が始まりますよ。あら? 金子さん?」
A組担任の清水先生が驚いた顔で入ってきた。
「あ、清水先生。わざわざ柊先生のお迎え?」
「そうよ、悪い? あなたこそ先生をひとり占めしていると他の子に嫉妬されるわよ?」
「はーい! 帰りまーす。柊先生、またね」
俺の机の上から卒業アルバムを取り、逃げるように金子が去って行く。
ぺろっと舌を出して、注意されたことを笑って誤魔化すかのような仕草で。去って行く金子の背中を見送った後、清水先生が困ったような表情でため息を漏らした。
「教務室に生徒を個人的に入れるのは感心しませんよ。PTAや親御さんの目もありますからね」
意味深な目で俺を見る清水先生。
やっぱり女子生徒とふたりきりの部屋にこもるのは危険だ。こういうふうに思われてしまうのは仕方のないことなんだろう。
「すみません、軽率でした。以後気をつけます」
前もって準備してあった職員会議に必要な資料を持って席を立ちあがった。
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