空色なキモチ

□ VOICE □

VOICE 20

第20話 取引をするふたり

未来視点




 タクシーが着いた先は、見たこともないようなキレイな高層マンションの前だった。


 柊さんがわたしの右肩をしっかり抱いてマンションの中へ導いてくれる。
 タクシーから降りた時、少しだけふらついた足もようやく落ち着いてきて普通に歩けるようになっていた。だけど柊さんの手はしっかりとわたしを支えてくれていて、まるで守られているようだった。

 自動ドアが開くと、目の前に明るいエントランスが広がってる。さらに入っていくと、オートロックの暗証番号を入れるところがあった。慣れた手つきで柊さんがボタンを押すと、透明の自動ドアが静かに音を立てて開く。その先にはまた広いエントランスとエレベーターホール。

 エレベーターに乗せられ、柊さんが『五』のボタンを押した。
 わたしの右肩を抱く柊さんを見上げると、悲しそうな顔で俯いていた。


 五階の五〇五号室。
 柊さんが扉の鍵を開けた。背中を押されて真っ暗な玄関に一歩足を踏み入れると、自動的に廊下の電気がついた。一気に目の前がまぶしいくらい明るくなる。


「入って」


 後ろから柊さんに言われ、振り返ると眉を下げて笑いかけられた。


「大丈夫。俺の家だ」


 ここが……柊さんの家?
 瞼の動きで柊さんにうなずきかけて、靴を脱ぎ、一礼して上がる。入ってすぐ左右に部屋があって、その少し先の廊下の途中の右側にトイレと浴室があった。

 柊さんの手が、わたしを浴室の手前の脱衣所に導く。


「さっき沸かしたばかりだから入るといい。適当に着替えを用意しておくから」


 振り返ってお礼を言おうとしたら、柊さんはすぐに脱衣所から出て行って扉を閉めてしまった。
 脱衣所は広くて大きい洗濯機と乾燥機がある。入ってすぐ左にある洗面台はきれいにされていて、コップの中に一本だけ歯ブラシが入っていた。ここだけでわたしの部屋より広い。
 
 その鏡で自分を見て驚き、息を飲む。
 左頬が腫れ、赤くなっていた。口角は少し血が滲んでいる。軽く触れるとズキンと痛みが走った。まさかこんなふうになってるとは思わなかった。だから柊さんはあんな悲しそうな顔をしていたのだろうか。


 洗濯機の上に柊さんのジャケットを置いてからゆっくり自分の制服を脱ぐ。
 シャツのボタンは全てなくなっていて、襟元のリボンが右側に垂れ下がっていた。こんな格好でタクシーに乗ってたと思うとなんだか悲しかった。タクシードライバーがこっちを見ないようにしていたのはこのせいかもしれない。ルームミラー越しに何度か目があったけど、すぐに逸らされた。


 浴室に入り、中の少し曇った鏡で自分を見てまた驚いてしまった。
 わたしの首元、鎖骨から胸元にかけてあざが何個もできている。義父がつけた、キスマーク? 左の肩には歯型がくっきり残されていた。全身が総毛立つ。


 頭から思いきりシャワーをかけると一緒に涙が溢れた。
 声が出ないってこういう時いいのかもしれない。静かに嗚咽をもらすことができるから。

 脱衣所に人の気配を感じる。
 すりガラスの扉の向こうには柊さんがいるみたいだ。


「ここに着替え置いておくから」


 そう言い残して柊さんが脱衣所から出て行った。




 ゆっくり暖かいお湯に浸かってからあがると、男物の紺色の大きいパジャマが置いてあった。
 着ると袖も裾もだらーんと長い。右の袖以外を自分で折ってそのまま脱衣所を出た。

 廊下のつき当たりに扉があり、そのやや手前の左側にふすまの開いた和室がある。
 正面のすりガラスの扉を開けると、リビングになっていた。そこにはソファがふたつとテーブル、大きいテレビと大きくてオシャレなショーケースなどいろいろあった。ステレオコンポみたいなのもある。

 すごく広いリビング……こんなところに柊さんはひとりで住んでいるの?
 このリビングだけでわたしの家の全部より広い。気づいたらあんぐり口を開いてまわりを見渡していた。
 目の前には大きなカーテンがあり、たぶんベランダなんだと思う。キャビネットの上には写真たてがひとつ伏せられている。わざと?


「急用で……本当にごめん。悪かったよ。今度必ず……」


 柊さんの声がリビングの奥の方から聞こえてきた。
 そっちを見ると、ベランダの方に顔を向けて、携帯で誰かと話をしている。


「ああ、あがった?」


 穏やかな顔の柊さんが携帯電話をテーブルの上に無造作に置いた。
 リビングの入口に立ち尽くすわたしの方に静かに歩んできて、着ているパジャマの右袖を手早く折ってくれた。


「やっぱり大きいか……これが一番小さいんだけどな」


 わたしと柊さんじゃ身長差二十センチ以上はありそうだもん……大きくて当たり前だ。
 パジャマのポケットに入れておいた携帯電話を見ると、メールが二件来ている。母と佐藤くんからだった。


  『バイト終わった? お疲れ様。また明日会おう』


 佐藤くんからの短いメール。
 読んだら少しだけ元気が出た。うれしかった。

 次に見た母のメールで、わたしは目を疑った。


  『お父さんが怪我をしてるのよ。未来が知らない男に誘拐されたってパニックになっているわ。無事なら連絡を下さい』


 誘拐!?
 このメールを受信したのが二十一時五分、今から五分前だ。
 母からのメールを柊さんに見せると、顔を強張らせた。このままじゃ柊さんが誘拐犯にされてしまう。連絡をしなければ、母は義父の言うことを信じて警察に行くかもしれない。


「あの男は……君のお父さんなの?」


 柊さんにそう聞かれ、うなずく。
 義理の……とは言わなかった。

 はぁっと柊さんが大きいため息をついた。


「電話を貸して。君のお母さんに理由を話す」

“えっ?”

「このメールはお母さんからだろう? 事情を説明……」

“ダメッ!”


 わたしが必死で止めると、柊さんが怪訝な顔をした。
 キャビネットの上にある電話の横にメモ用紙とペンが置いてあるのを見つけた。そこに急いで伝えたいことを書く。


『母は何も知らないの。言わないで』


 そのメモを見て、柊さんの顔が一気に驚きに変わった。


「知らないって……あれが父親なら君が受けているのは虐待だぞ? しかも性的虐待。わかるよな。母親に知らせるべきだ」


 わたしの携帯電話を握った柊さんが操作し始めた。
 慌てて柊さんの手を掴んで止め、もう一度今書いたメモを見せる。
 お願い! 言わないで……そんな気持ちで訴えかけるように柊さんを見ると困った顔をされてしまった。だけど両手を合わせ、柊さんに頭を下げて頼み込むと、ふうっと大きいため息が聞こえてきた。


「わかった。取引をしよう。性虐待のことは言わない。君が父親に叩かれている現場を目撃したとお母さんに伝える。それならいいだろ?」


 柊さんを見てわたしはうなずいた。
 性虐待のことだけは知られたくないから、それなら、いい。

 それで、取引って?


「君はしばらくここで俺と暮らすんだ。これが取引の条件」



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Date:2013/08/02
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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