第19話 衝撃の事実柊視点
家まで送っていくと申し出たこと、そして拒絶してるのに聞き入れない俺の態度に業を煮やしたのか、彼女の表情は終始硬かった。
声をかけようと、俺の後ろをスローペースで歩く彼女を振り返る。だが俯いたまま俺と目を合わせようともしない。今声をかけるのは得策ではないと判断した。
できるのなら彼女に嫌われたくない。そんな浅ましい思いもあった。
大人として、いち高校教師として当たり前の行動に出ただけだ。そう自分を言い聞かせるのは簡単だったけど、彼女は俺の生徒でもない。後ろをゆっくりと歩むのは、自分が通う図書館のバイトの子、それだけの関係。
こんなふうに大人の権限を振りかざして言うことをきかせ、いやがる彼女を自宅に送り届ける。こんな行為を彼女が快く思うはずはない、わかっていたけどほっとけなかった。
俺がいなくなった途端にさっきの男が彼女に近づく可能性も否定できない。
自分の生徒でも、身近な存在なわけでもない。
ただの顔見知り。だけどこの少女をほっとくなんてことはできなかった。庇護欲をかき立てる目の前の儚げな彼女。それを誰かに委ねることができたとしても、たぶんしなかっただろう。
俺が、守りたかった。
そんな思いはただの自己満足でしかない。それもわかっていた。
だけどそんな思いも知られたくなかった。ただのひとりの大人として、振舞おう。そう決めたのだった。
この時、彼女が俺の生徒じゃなくてよかったと心から思っていた。
好きという感情とは違うと思う。
確かに彼女はかわいいいし、魅力的だ。だけど俺は彼女のことを何も知らない。どちらかというと、近所に住んでるかわいい妹分のような感情が近いだろう。
俺が高校生の頃、生徒と結婚した教師がいた。もちろん生徒が卒業をしてからだ。それはそれで幸せだと思う。
もしかしたら俺も将来、自分の生徒と恋に落ちて結婚するかもしれない。それはわからない。だけど高校教師になりたての俺が、自分の生徒や同年代の女子高生に恋情を抱くなんてことしたくないと思っていた。
それが狙いで高校教師になったとレッテルを張られそうな気もしたし、下手をすれば淫行教師と罵られるかもしれない。
血の繋がらない父は弁護士で、政界にも何人か友人がいるらしいことをちらっと耳にしたことがある。
自分と血の繋がりのある弟と俺を分け隔てなく、本当の子どもとして大事に育ててくれた義父。そんな義父の顔に泥を塗るような真似もしたくなかった。
ずっと無言だった彼女が、俺のジャケットの裾を後ろから引っ張った。
“ここです”
土手を通り過ぎて大通りから一本道に入った時、閑静な住宅街だったと感じた。
だけど、そこを通り過ぎてさらに無言のまま歩いた。そして彼女が指を差したのは、そこだけタイムスリップしてきたんじゃないかと思うくらいの古いアパートだった。
ここに彼女が暮らしていると思うとなぜか悲しくなった。
昔、俺が実父と暮らしていたような本当に古い、戦争時代の映画に出てくるんじゃないかと思うほどの造りだったから。同情などではないと思いたい、だけど――
ペコリと頭を下げ、逃げるように家に入って行った彼女を見送ってから、しばらく俺は動けなかった。
アパートの外装を舐めるようにじっくりと見る。今時こんなところに住んでいる人がいるなんて信じられなかった。
昔ながらの石造りの外壁を見ながら戻る道を歩き出した時、ジャケットのポケットの中でマナーモードにしていた携帯電話が震えた。
電話の主は修哉だった。待たせてしまって悪いという思いもあり、すぐに電話を取る。
『そろそろ合流できそうか? 駅前の居酒屋甚八にいる』
「了解……あそこの……」
店のホッケがうまいから頼んでおいてくれ、そう言おうとした時、何かが割れたような大きな音が耳に入ってきた。しかも、少し前に彼女が入って行った方向からだった。
何があったんだ……?
アパートの門の方に戻ってみて、一度立ち止まる。勝手に入ったら怒られるかもしれない。不審者だと思われるのも困る。だけどもし非常事態だったら? 万が一彼女の身に何かが起こっているとしたら。
「ちょっと失礼します」
誰に言うでもなく、小さくつぶやいてアパートの石門を通った。
「――――え?」
目の前の光景に息を飲んだ。
その細い腰に跨れ、大柄の男に組み敷かれている彼女。
その身体を貪るようにする男、そして微動だにしない彼女の姿に胸が抉られるような思いがした。息ができないくらい苦しかった。
「……っぁ!」
信じられない光景を目の当たりにして、喉元で呻くような声を自分があげていることに気づく。
白髪混じりのその男はどうみても俺よりずっと年上だった。そんな男になぜ――
その時、彼女がこっちに顔を傾けた。
俺の心臓がズグンと強く深く拍動する。
彼女は驚いたように一瞬目を見開いたあと、力が抜けたようにすぐに虚ろな表情を見せた。
“み・な・い・で”
彼女の唇はそう動いていた。
この世の終わりのような、絶望感に満ちた瞳に光る涙。
俺は無我夢中で止めに入った。
彼女の身体に重く圧し掛かる男に必死で殴りかかった。殺してもいいとさえ思った。どうしても彼女を助けたかった。
さっきまで義父の顔に泥を塗るような真似をしたくないと思っていたのに、罪人になっても構わないとさえ思った。そのくらい目の前の、彼女を穢そうとしている男が憎かったのだ。
彼女の上半身を抱き起こすと、まだうつろな目をしている。
「おまえは何だ! 誰だ……?」
突き飛ばした男に後ろから怒鳴られた。
少し前に彼女に絡んできた男のように睨みつけて威嚇してやろうと思い、振り返る。
「――――!!」
俺は言葉を失った。
その男は紛れもなく……年はかなり取っているものの、小さい頃に別れた俺の実の父親だったのだ。
「あ……んた」
俺の口から出たのはそんな間抜けな言葉だった。
父は俺に気づかなかった。ただ、邪魔をされたことに怒りに震えるだけのただの男だった。
五歳の時から会っていないからしょうがないのかもしれない。だけどそれはこちらにとっては好都合だった。知られたくなかった。そして彼女にもその事実を知られるのが怖いとさえ思った。
すぐに我に返り、慌ててジャケットを脱いで彼女のはだけた胸元を隠す。
その一瞬で見てしまった。
彼女の透けるような白い肌の胸元や首筋に残された数個の赤いあざ、そして肩口に残された歯型。
実父の彼女に対する卑劣な行為に憤怒した。
彼女を連れて逃げる覚悟を決めた瞬間だった。
「何してる! オレの未来を離せ!」
――ドクン! と心臓が強く脈打つ。
この期に及んで『オレの未来』だと? ふざけるのもいい加減にしろ。
再び殺意が芽生えた。実父だろうと関係ない。死んでしまえ! そう心の中で吐き捨て、実父を強く突き飛ばした。
ふらつく足取りの彼女を抱きかかえるようにして、何度も転びそうになりながらも大通りまで走ってタクシーに乗り込んだ。
実父が追って来る様子はなかった。だけど少しでも遠くへ逃げたかったんだ。
小さく震え続ける彼女を見て泣きそうになった。
俺が早く家に帰らせたばかりにこんな目に遭わせてしまった。彼女は『寄りたいところがある』と理由をつけて帰りたがらなかったのに。こうなることがわかっていたから……。
彼女を守りたい、そう思ったはずなのに、逆に酷い目に遭わせた。
家に送り届けることが彼女を守ることだと思った自分の浅はかさに反吐が出そうだった。家が一番危険じゃないか!
自分の実父が彼女をレイプしようとしていた事実に、頭がおかしくなりそうだった。
たった十五歳の少女にあんなこと。
申し訳なくて申し訳なくて自分の心が折れそうだ。自分よりはるかに彼女の方が辛いはずなのに。
震える彼女をただ抱きしめ、謝ることしかできない自分が情けなかった。
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Thema:オリジナル小説
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