第9話 優しそうな男の人未来視点
掃除を終え、図書室に向かった。
図書室の仕事が終わったら図書館のアルバイト。今日も片付けばっかりだな。
それでも家にいるよりはずっといい。昼間でも夜でも義父は何もせず家にいるんだから。
返却本をまとめていると、韓国原作の恋愛小説があった。
わたしがもっとも読まない分野、恋愛。だってわたしに恋愛なんか無理だもの。
こんな意思疎通が大変な女と恋愛したいなんて誰も思うわけがない。
だから夢を抱かないためにも……恋愛系ジャンルは見ないようにしている。興味もあまりない。
「あ、弓月さん。今日もご苦労様」
橋本先輩が少し遅れて図書室に入って来た。
軽く会釈をして、返却本の片付けを続ける。すると、すっと隣に橋本先輩が並んでカートの上の返却本を手に取った。
「弓月さん、今日この後予定ある?」
顔を覗き込まれるようにされ、ビックリして身を引いてしまう。
そんなわたしを見て、少しだけ驚いた顔をした橋本先輩がすぐに笑顔になった。
“この後、バイトです”
唇を動かして伝えるも、橋本先輩は眉を少し寄せて首を傾げた。
そうだよね、わかるわけない。
携帯電話を取り出して文字を打つ。それを見せると、目をパチパチさせた。
「ああ、バイトか。君、認められているんだよね。じゃ、今度バイトない時どこか行かない?」
どこか……?
今度はわたしが首を傾げると、橋本先輩が自分の後頭部辺りを掻いて少し俯いた。
あれ? 照れくさそうな顔? こんな橋本先輩、初めて見た。
「映画とか……もしよかったらの話だけど」
わたしの手にあった返却本を橋本先輩が取って書架に戻す。
どうしよう。それって、デートってこと?
映画なら声が出なくても行ける。それに、断る理由が見つからない。でも男の人とふたりきりで出かけるなんて。
「いや?」
少し悲しそうな橋本先輩がわたしをじっと見た。
そんな子犬みたいな視線を向けられると断りづらい。慌てて携帯電話に文字を入れる。
『男の人とふたりで出かけたことないから、すぐに返事できなくてごめんなさい』
「了解。気が向いたら教えて」
橋本先輩が安心したようにクスッと笑った。それを見てわたしも安心した。
初めて男の人に誘われてドキドキした。なんとなく恥ずかしいような、そんな気持ち。
デートなんて一生無縁のものだと思っていた。してみたいとも思ってなかった。男の人とふたりで出かけるなんてわたしにできるのだろうか。
**
図書館で館長に二十時まで仕事をしたいということを伝えたら、快く了承してもらえた。
仕事のある日はお願いするけど、ない日は最初の契約どおり勉強をするなり本を読むなり好きにしていいって。ずっと館内にいても、まわりには気にしないように伝えるから安心して閉館までいてくれていいとまで。
お金がもらえなくても時間潰せる場所があるだけで助かる。本が好きだから何時間いても飽きないし、苦痛じゃない。優しい館長の心遣いに感謝した。
お金、どのくらい貯めたらひとり暮らしできるかな?
映画に行ったらお金かかるよね。やっぱり橋本先輩のお誘い、お断りした方がいいかな?
書架の上の方に戻す本があって、脚立に上る。上っていくだびに小さく軋む音がした。
学校のスカートは短いからこういう時パンツがいいなって思う。あと、もう少し背が高ければ楽なのにな。
持っていた本を戻して降りようとした時、脚立がぐらりと傾いた。
「――わっ!」
「――!?」
嘘っ! 後ろに人っ……!!
すごい音を立てて倒れこんだ脚立と共に吹っ飛んだわたしの身体は、背中からがっしりと抱きしめられる形でキャッチされ、その人を巻き込みながら一緒に後ろの書架と書架の間の壁に激突した。だけど、わたしの身体はその人に守られ、転びもしなかったし、どこも痛くなかった。
「……大丈夫?」
後ろから低い声で聞かれ、どきんと胸が高鳴る。
たぶんそれのせいだけじゃない。脚立から落ちた恐怖とか、抱きしめられ続けているこの状況も含め、全てのことがわたしのドキドキを増強させている。
何度か頷きながらゆっくり振り返ると、背後から抱きしめられていた腕の力がそっと緩められる。それは瑞穂さんのお友達のシュウさんだった。心配そうな顔でわたしを見ている。
“ごめんなさい……”
唇の動きで伝えると、シュウさんが目を細めて首を振った。不安そうな表情が緩んだのがわかる。
頭を下げながら離れて、携帯電話に文字を入れた。
『ごめんなさい。助けてくれてありがとうございました。大丈夫ですか?』
頭を下げたまま画面をシュウさんの方へ向ける。
申し訳なくて顔を見られなかった。わたしより、シュウさんの方が痛かったはず。なんてことをしてしまったんだろう……。
「――ぷっ」
頭の上からふきだすような笑いが聞こえた。
ゆっくり頭を上げてシュウさんを見ると、必死に笑いを堪えている様子。図書館だから気を遣っているのか、声を殺すってこういうことを言うんだろうなとなんとなく思っていた。
「まさか図書館で人が降って来るとは思わなかった」
ああ、そうだよね。ビックリしたよね。
わたし、シュウさんに迷惑をかけてばかりだ。
“本当にごめんなさい”
唇で表現すると、シュウさんは一瞬首を傾げた。
いけない、わからないよね。
慌てて携帯電話に文字を入れようとした、時。
「本当にごめんなさいって言った?」
――伝わった!
シュウさんを見て思いきりうなずくと、向こうも笑顔でうんうんとうなずいてくれた。
伝わった! わかってくれた! すごくうれしい。
そして、シュウさんの優しい笑顔がとっても素敵だった。
「怪我がなくてよかった。気をつけてね」
シュウさんを見てうなずいた後、もう一度文字を打ち込んでそれを見せた。
『シュウさんってどんな字を書くんですか? よくここに来ますよね? 本が好き?』
それを見たシュウさんは一瞬驚いたような顔をした。質問攻めになりすぎたかな?
ちらっとシュウさんを見ると、少し困ったような顔になっている。ちょっと調子に乗りすぎちゃったかしれない。
「これ貸して」
シュウさんがわたしの手から携帯を取って操作をし始める。慣れた手つきで何かを打ったあと、すぐに携帯が戻ってきた。
『柊』
一文字だけ画面に表示されていた。
柊さん……素敵な名前。
「本はね、昔から好きでよく図書館に通っていたんだ。落ち着くんだよね」
“あ! わたしも!”
唇を動かすと柊さんがわたしをじっと見つめていた。
あ、わからないよね。文字を打たないと。
「わかる、大丈夫だよ。えっと……みらいちゃんだよね?」
名前、覚えていてくれたんだ。
うん、とうなずくと柊さんもうんうんと二度うなずいた。
わたし、人に名前を聞いておいて自分が名乗っていないことに気がついた。なんて失礼ないことをしたんだろう。慌てて文字を打ち込む。
『弓月未来と書いてゆづきみらいです』
「ゆづき……変わった名字。ところで、君は聖稜の生徒だよね? 何年生?」
急にされた質問に人差し指一本で答える。こういう質問の答えってすごく楽なの。
「ここでアルバイトしているの?」
「柊、いるの?」
柊さんの方が質問攻めになってきたと思った時、ひとつ先の書架の向こうから瑞穂さんの声が聞こえてきた。
ひょこっと顔を出した瑞穂さんは頬を膨らませてこっちに近づいてくる。わたしよりずっと年上だけど瑞穂さんはとってもかわいらしい女性だと思う。
「来るならメールしてくれればいいのに。あ、未来ちゃんもいたのね。さっき館長さんが探してた」
“あ、ハイ。ありがとうございます”
柊さんと瑞穂さんに頭を下げてその場を離れた。
少し振り返ると、ふたりはとってもお似合いのカップルに見えたんだ。
柊さん、ヒイラギはわたしの好きな花の名前だ。
確か花言葉は『あなたを守る』
名前もそうだけど優しそうな、ううん、とっても優しい人だ。
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