叔母夫婦の家に向かう前、わたしと翔吾さんは母のお墓に寄った。
すでに初夏の陽気で日差しは強く、日傘が必需品だった。
翔吾さんは濃紺スーツのジャケットを脱ぎ、白のワイシャツと紺色にシルバーと青のストライプのネクタイ姿。わたしは紫外線カット効果のあるクリーム色のカーディガンに中は藍色に白い小花柄の半袖のワンピース。
この服は翔吾さんが今日の日のために選んでくれたもの。
いつもならチュニックにジーンズとかカーゴパンツとか楽な格好なんだけど、ご挨拶に行くんだからと急遽買いに行く羽目に。
靴も高いヒールは履き慣れない。靴擦れもしたくないので、ストッキングと白の厚底パンプスを選んだ。
本当は靴下とスニーカーが好きなんだけど……翔吾さんのお家へ挨拶に行く時の洋服がなかったから正直助かったかも。
翔吾さんの趣味で選んでもらった服。着て鏡の前で見てみると意外と似合っているような気がした。自分で選ぶより他者の目で見てもらったほうが似合うものが探せるんだなってわかった。
なだらかな丘を上りきって、母のお墓の前にたどり着くと新しいお花が手向けられているのに気づいた。
スイートピーにラッパ水仙、そのほかも母の好きなお花ばかり。お線香の火は消えていた。
だけど、今日か昨日のものだろう。湯呑みの中の水がとっても綺麗だし、その横には母が好きだったオレンジジュースの缶が置かれている。
誰だろう? 叔母夫婦? 今日来るという話は聞いていなかったけど。
その他にこのお墓を訪れる人なんて思いつかない。
「先に誰か来ていたみたい」
「そうだね」
腑に落ちないまま、持ってきたお花をどうしようか迷った。供えられていたお花を手に取りまとめてみるとすごいボリュームになってしまった。
だけど元々備えられていたお花も生き生きと綺麗だし、捨てるのも申し訳ない。華やかで母もきっとうれしいはずだ。
母の元を尋ねてきてくれた方の厚意はとってもありがたい。どこの誰だかはわからないけど……。
翔吾さんはしばらくの間、母のお墓に手を合わせていた。
お線香が三分の一程度燃えきってしまうくらい。わたしはじっと翔吾さんのしゃがんだ背中を見つめていた。
色つきや柄のワイシャツを好む翔吾さんが、白を選んだのは挨拶もそうだけど今日母の墓前に立つからだった。
**
『ネクタイ、黒と……あとどれ持って行こうかな? スーツはこれでおかしくない?』
クローゼットの横に置かれている全面鏡の前でスーツと照らし合わせるように何本もネクタイを襟元にかざしているいる翔吾さんを見て目を疑った。
『黒のネクタイ? どうして……要らないでしょ?』
『え、だって初めてお母さんにお会いするのに?』
『お母さんって……』
『叔母さんの家に行く前に、雪乃のお母さんにもご挨拶したい。いいよね』
それまで今日、このお墓に寄ることは全く考えていなかった。
いつか連れて行って、そう言われていたからぼんやりとは考えていたくらいで。
翔吾さんのご両親に結婚の許可をもらえる日が来たら、その時にでも。それでいいと思っていた。
本当は叔母夫婦に会わせるのも、彼のご両親の許可を得ていない今、早いような気がしていたのに。
母に会いたい、そう強く願ってくれている翔吾さんの気持ちがうれしかった。
『それにしても、黒いネクタイは要らないです。普通ので』
わたしがそう言うと「そうなのか」と照れくさそうに翔吾さんが笑った。
**
叔母の家に着くと、客間に通された翔吾さんは思ったよりリラックスしているように見えた。
テーブルを挟んで縁側のほうに翔吾さん、その左にわたしが座る。
翔吾さんの真向かいに叔父、わたしの真向かいに叔母が座って簡単な挨拶を済ませると、なぜかみんなで縁側から庭を見ていた。
真ん中あたりに置かれた白い木の丸テーブルの上に置かれた母のポインセチアを見て、思い出す。
「そうだ、今日お墓に来てくれた?」
「え? 行ってないわよ。行ったのは先週の土曜だったかしら? ねえ」
叔母の問いかけに叔父が小さくうなずく。
と、いうことはすでに一週間経っている。あんなにお花が生き生きしていて湯呑みの水が真新しいはずがない。
「誰か来てくれたみたいなんだけど、心当たりない?」
「そうねえ……兄さん、は来ないだろうし……それより外は暑かったでしょう?」
首をかしげた叔母が、翔吾さんにお茶を促した。彼は軽く会釈してその湯呑みに手を伸ばす。
兄さんとはわたしの母と叔母の上の兄のことだろう。母の生前から疎遠になっていたし、家が遠方だから滅多にお墓参りに来ることはない。
自然に話がそれ、それ以上を追求することは憚られた。叔母は誰が来たかはあまり気になっていない様子。
無言の客間に振り子時計が一時を知らせる音を鳴らした。
かなり古いその時計は重々しい音を立て、その余韻を残す。
「あら、もう一時。お昼にしましょうね。雨宮さん、お寿司平気?」
「あ、お構いなく」
「構ってなんていないから大丈夫……あ、そうだ。雪乃、ちょっと買い物頼まれてくれない? あなた、車出してあげて」
なぜかわからないけどわたしは叔父と共に近所のスーパーまで醤油を買いに行かされた。
叔父の車は黒のプリウス。玄関前で車が来るのを待機していたら真後ろにいてビックリした。音がほぼしないのだ。
助手席に乗ると、車が動き出す。
お互い無言だった。叔父とふたりきりなんて状況あまりないので何を話していいかもわからない。
しかも叔父は元々寡黙なひとだ。わたしだってそんなに話すのが得意な方じゃない。
スーパーは近所だし、ひとりで歩いて行ってもいいと思ったのに、叔母が「車を」なんて言うもんだから叔父は素直に従ったまでだろう。
すぐにスーパーの駐車場に着き、手早く車を止める。
叔父の運転は静かだ。性格が現れているような穏やかな動き。車庫入れもうまい。
「わたし買ってくるから叔父さん……」
「雪乃」
言葉が重なる。
車で待ってて、と続けるはずだった言葉を飲み込んだ。
叔父は真剣な眼で助手席のわたしを見て、少しだけ表情を緩めた。
それはとっても優しくて。
でも叔父は恥ずかしかったのかすぐに目を逸らし、前を向いてしまった。
「……ヴァージンロード」
「え?」
思わず聞き返すと、叔父の頬が真っ赤になっているのがわかった。
「私じゃ役不足かもしれないが……彼の元まで……その……なんだ……」
叔父の声がどんどん小さくなっていく。
ようやく叔父が言いたいことがわかった。
挙式の入場の時、わたしと共にヴァージンロードを歩んでくれるということ。
「ああ、もう、いいから……醤油を頼む」
「ありがとう……うれしい」
口ごもる叔父は耳まで赤く染めてわたしに自分の長財布を差し出した。
うれしくて涙が出そうになっちゃったから、叔父が買い出しに行かせてくれてよかった。
わたしは本当に幸せだなって思った。
家に帰ると、和やかな雰囲気で叔母と翔吾さんが話していた。
客間のテーブルにはおいしそうなお寿司が四つ並べられていて、すでに準備完了って感じ。
「雪乃、ごめんね。醤油ついてたわ」
叔母がペロッと舌を出して肩を竦めた。
そりゃお寿司頼んだら醤油はついてくるだろうなあと思ったけどあえて口にはしなかった。
翔吾さんもニコニコとしていたし、まあいいかと思って。
食事中は主に叔母と翔吾さんが話し、問いかけられればわたしが相槌を打ち、叔父はいつもの如く無言で食べ続ける。
その表情は終始硬かったけど、叔母の「この人、おいしいと無言になるだけだから気にしないでね」と説明調に伝えられ、再び和む。叔父は真っ赤な顔をしてたけど口出しはしなかった。
いい夫婦だなって改めて思った。
いつも穏やかな叔父、お話好きの明るい叔母。
子どもがいなくてもふたりはとってもしあわせで、お互いを大事に思いあっているんだろうなって想像できてうれしかった。
夕飯も食べて行きなさい、と言う叔母の申し出はさすがに固辞して帰宅の途に就いた。
さんざん引き止められて、出たのは夕方十八時を過ぎていた。
叔母はずっとご機嫌で「また来なさいね」と翔吾さんに向かって言っていたのには正直驚いた。
わたしと叔父がいない間、叔母と何を話していたのか翔吾さんに聞いたけど笑って「いろいろ」とはぐらかされてしまう。
ちょっと気になったけど、問い詰めるようなことでもないと思って助手席でまったり窓の外を眺めていたら信号待ちの時、翔吾さんがいきなり大声を上げた。
しかも「しまったー」なんて後悔を予想させるようなオプションもついていて。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……雪乃を下さいって言うの忘れたし。最悪」
車のハンドルに顔をうずめるようにした翔吾さんの頭がクラクションに触れて、けたたましい音が鳴り響く。
それに驚いた彼が飛び上がるように顔をあげたのがおかしくて、つい笑ってしまった。
わたしの態度に少しふくれたような表情を見せたけど、苦笑いを浮かべた翔吾さんがまたかわいくて。
「いい叔父さんと叔母さんだな。会えてよかったよ」
そう言いながら運転を再開した翔吾さんに見えないよう、小さくうなずいた。
わたしにとっても自慢の叔父と叔母。それを言葉にしてもらえて本当にうれしかった。
叔父が言ったヴァージンロードのこと。まだ翔吾さんには黙っていようと決めた。
だってまだ挙式をあげられるかどうかわからない。
それで翔吾さんにプレッシャーを与えるのもいやだったから。
その日の夜、叔母からメールが届いた。
翔吾さんがいい人で安心した、と。
結局叔母からも翔吾さんとふたりで話した内容については教えてもらえなかった。
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