空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第83夜 事件 雪乃side

 
 十二時半。

 約束通り秘書課へ向かうと、海原さんがすぐに出てきてくれた。
 ほんの少し顔が丸くなったような気がする。そして表情も前より優しくなったような。


「急に呼び出して悪かったわね。覚悟はできてる?」


 挑発するような笑みを向けられた気がする。でも、今のわたしはへこたれたりしない。
 大事なものを失うのはもういやなの。

 深くうなずくと、秘書室の横のガラスの大きな扉から通され、重役室の方に誘導された。
 床は全て暗めの茶色い絨毯張り。歩く音も響かない。なんとなく普通に歩けずにギクシャクしてしまう。

 そんなわたしの姿を見て、海原さんは声を出さないように笑った。
 緊張で全身から汗が噴出しそう。初めて入った重役室……一生足を踏み入れることなんかないと思ってた。


 昨日の夜、海原さんに電話をして湯田専務と翔吾さんが揉めていることを聞いた。
 湯田専務はわたしを連れて来いと言ったそうだ。 だけど、たぶんそのことを翔吾さんはわたしに伝えないだろうと判断した海原さんがこっそり教えてくれたの。

 海原さんの読みどおり、翔吾さんはわたしにそのことを告げなかった。

 翔吾さんひとりに辛い思いなんかさせたくない。
 自分にできることは何でもしたいって思ったから……同時にもっと頼ってほしいっていう思いも。

 静かに前を歩んでいく海原さんの足が止まった。


「少し待っててね」


 そうひと言残し、海原さんが左側の重々しい扉をノックして入っていった。
 ここが湯田専務の部屋……秘書室の横のガラス張りの扉から大分奥まった場所にある。
 たぶん入ってすぐある左右の扉は常務部屋、その奥が専務部屋とかになっているんだろう。あくまでも推測だけど。


「入って」


 目の前で閉められていた扉が開く。
 緊張がピークに達した瞬間だった。もう逃げられない。
 ううん、逃げるなんてダメなんだ。逃げないって決めたんだから。

 大きく深呼吸をして、足を踏み込んだ。


 中に入ると、大きな窓から差し込む光で一瞬湯田専務がよく見えなかった。
 まるで後光のように照らされ、大きな重役用チェアに凭れかかっている姿はこの社のトップに立つ人間のようにも見えた。
 社長の顔も一度か二度しか見たことがないけど……湯田専務から醸し出される威厳のようなものに飲み込まれそうになる自分がいた。


「風間、雪乃さん?」

「あっ……はい」


 自分の名前を呼ばれ、背筋を伸ばして一礼する。
 その声はとっても低くて、おなかの奥に響くようだった。
 湯田専務の眉間に深い皺が刻み込まれ、片方の眉がきゅっと上がったのがわかった。

 海原さんに腰の辺りを押され、ゆっくり重役席に座る湯田専務の近くに歩み寄る。
 その手がそっと離れてゆく。こんなに心細いのはひさしぶりの感覚だった。

 海原さんが部屋を出て行くと、すぐに湯田専務が話し始めた。
 

「そろそろ雨宮くんも来る頃だろう。その前に君に会えてよかったよ」


 ギシッと小さくチェアが音を立てる。湯田専務がデスクに両肘をついて指を組み、その上に顎をのせた。
 鋭い目つきで射抜くように見据えられ、目を逸らしてしまう。まるで品定めされているようだった。
 こんなに冷ややかな雰囲気を醸し出されると、怯んでしまいそうになる自分がいる。


「君はうちの娘と雨宮くんが見合いしたのは知っているか?」

「……はい」

「なら話は早い。君が潔く彼から身を引くならこれ以上ことを大きくしたりしない。だけど――」


 その時、会話を遮るように扉がノックされる音がした。すぐに湯田専務が口をつぐむ。
 大事なところで先を聞くことができず、痞えるような思いがこみ上げてきた。


「なんだ?」


 苛立ったような湯田専務の怒鳴り声にすくんでしまう。
 自分が怒られているわけじゃなく、扉の方に向けて発せられたものなのに……。


「湯田専務……あっ! ちょ……」


 海原さんを押しのけるようにして部屋に入ってきたのは翔吾さんだった。
 驚いた表情はすぐに強張り、すごい勢いでこっちに近づいてくる。
 怒りに満ちた顔で翔吾さんはわたしの右腕を掴みあげた。だけどちっとも痛くない。加減しているようだ。


「なんでここに……」


 潜めた声からも見下ろされた目からも怒りが感じ取れる。
 わたしは宥めるようにその手に自分の手を添えて、離すように訴えた。
 それで少し冷静になったのか、翔吾さんの手が離れる。


「雨宮くん、今は風間さんと話をしているから邪魔をしないでくれないか?」

「専務、お言葉ですが――」

「彼女は君より物わかりがいいと思う。だからしばらく君は席を外してくれないか?」


 急に目の前から湯田専務の姿が消える。
 翔吾さんの背中で隠されていたと気づくまでに少しだけ時間がかかってしまった。
 
 わたし、なにやってるの。
 ここまで来て翔吾さんに守られるなんて、何しに来たんだかわからないじゃない。


「すみません、彼女抜きで話を。これは自分の問題ですから」

「翔吾さん……今、大事な話をしていたの……だから」

「何を話していたって言うんだ?」


 声を潜めて翔吾さんがわたしに訴えかける。
 その声のトーンも切なそうな表情も、余計な事をするなと物語っているようで苦しかった。でも――

 わたし抜きでって、自分の問題って言われてさらに苦しくなった。


「わたしだってあなたを守りたいの……」


 大きい声で言いたかったのに、蚊の鳴くような声しか出なかった。
 だけど、翔吾さんには届いていたのかもしれない。すごく驚いた表情で、わたしを見ていた。
 しかもその目が少し潤んでいるようにも見えて……。


「どうするんだ? 風間さん。私が君を今すぐに解雇することなんて容易いことなんだよ?」

「誰が誰を解雇するって?」

「――!?」


 一瞬室内の空気が止まったような感覚がした。

 扉の方からしゃがれた感じの声が聞こえきたから、正確には誰も言葉を発せられなかったのだ。
 湯田専務でも翔吾さんのものでもない、第三者の声。
 
 ゆっくり重々しい扉が開く。
 

「君に人事権を与えたつもりはないんだけどなあ……」

「か! 会長!?」


 ――会長?
 
 一瞬、わたしの目も耳もおかしくなってしまったのかと思った。 
 その扉の先に立っていたのは、間違いなくわたしの大好きな人の姿で。

 喉の奥が掴まれたような息苦しさを感じ、次に出たわたしの声はかすかに震えていた。


「おじいちゃん……」

「なっ! 会長に向かって無礼なっ!」


 湯田専務の雷が落とされて我に返る。
 山部のおじいちゃんがいつもとは全く違う高そうなスーツに身を包んで、わたしの方を見ていた。
 その目はいつもような厳しいながらも人情味溢れる暖かい視線じゃない。

 その視線だけで何も言わせないような、圧力を感じる鋭いもの。
 上に立つものの視線。そう感じた。

 だけど、おじいちゃんがなんでここにいるの?


「無礼なのはどっちだ。女子社員にその口のきき方はないだろう?」


 少しせり上げた声に、湯田専務が身をすくめて頭を下げた。
 上司が部下をたしなめるような対応に、この関係が真実なんだって思わざるを得なかった。

 おじいちゃんがうちの社の会長……。
 ああ、頭がパニックして何も考えられない。手が震えて足もガクガクする。膝から崩れ落ちてしまいそうなくらいだ。


「あーあー、雪乃ちゃん真っ青じゃないか。支えてやれよ。雨ちゃん」


 再び聞き覚えのある、大好きな声の主が続けて専務室に入ってきた。
 そのいでたちはいつもの作務衣じゃなくて、頭にタオルもなくて……やっぱりおじいちゃんと同じように高そうなスーツを着こなして……。


「クマさん……なんで?」

「さあ、なんででしょう?」


 悪戯っぽく微笑んだクマさんが、ペロッと赤い舌を出した。



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Information

Date:2013/05/16
Trackback:0
Comment:2
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

Comment

* いいですね〜

あ〜もう本当にお話に引き込まれます。
おじいちゃんとクマさん、やっぱり只者じゃなかったんですね〜。いつもいい味出してましたもんね〜
それにしても翔吾さん、どんどんいい男になっていきますね〜最初は三浦さんのファンでしたが・・・
私も若い頃に戻ってもう一度恋愛したいです。
いつも素敵なお話本当に有難うございます。
2013/05/17 【わたし】 URL #- 

* わたしさま。


こんにちはー!素敵なコメントをありがとうございました!
お礼が遅くなってしまって申し訳ございません。本当にうれしいです(つД`)

そうなんですー。おじいちゃんとクマさん只者じゃなかったんですー。
もうお分かりかと思いますが、二人の関係は次回明らかになります。

翔吾、見せ場がないのですがそう仰っていただけてうれしいです!
彼、ヒーローなはずなのに…これからっ!見せ場がっ(きっと)
三浦さんをありがとうございます。彼、すごく人気あるんですよー。ほんとに。

わたしも若い頃に戻ってもう一度恋愛したいです。激しく同感です!
引き込まれてくださってありがとうございます。もう感謝しきれませんっ。
勿体無いお言葉ほんとうにうれしいです。

あと一章続く予定です。今後ともよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。

こなつ。
2013/05/19 【こなつ】 URL #- 

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