空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第82夜 事件 雪乃side

 
 翔吾さんをお風呂に追いやって(心の中でごめんなさい)もう一度海原さんからの手紙を広げた。
 そこには、海原さんの携帯ナンバーとメールアドレスが記されていて、ひと言だけ残されていた。


 『メールでも電話でもいいからひとりの時に連絡を下さい。待ってます。海原真奈美』


 流れるような字は、急いで書いたように伺えた。だけどきれいな文字。
 自分の携帯電話に海原さんのナンバーとアドレスを登録して、すぐに電話をかける。
 二回目のコールですぐに通話に変わった。


『風間さん、待ってたわ。手短に用件を言うから、傍に翔吾はいないわね』


 名乗っていもいないのにわたしからだとわかったようで、海原さんはすぐに本題を切り出してきた。
 その声のトーンに緊張してしまい、固唾を呑む。見えるわけないのについうなずいてしまった。


「……はい」

『あなたに頼みがあるの――――』




**


 
「三十七度五分か。そんなに高くはないけど、風邪薬飲んで早く寝たほうがいいな」


 お風呂からあがってきた翔吾さんが優しくわたしの頭を撫でて微笑む。
 その表情には疲れの色が見えた。わたしより翔吾さんのほうがしんどいだろうに……悲しくなる。
 ベッドに座らされ、寄りかかれるよう背中に大き目のクッションが置かれた。これじゃまるで重病人。


「ほら、あーんして」


 口元に湯気のたったレンゲが持ってこられて思わずそれをまじまじ見てから、翔吾さんに視線を移した。


「自分で食べられる……」

「いいから、ほら」

「でも……」

「俺がやりたいの。ほら早く」


 困ったような苦笑いで翔吾さんが見るもんだから恥ずかしい。でも、うれしくて。
 ずっとひとりだったから寂しくて、ひさしぶりにこうして翔吾さんの優しさに触れられてしあわせで、泣きそうになるのを慌ててこらえた。

 食べさせてもらったお粥はおいしくて、土鍋半分くらいひとりで食べちゃってた。
 今、目の前で残りを翔吾さんが食べている。風邪がうつらないといいけど。
 
 食べたあと手早く片づけを終えた翔吾さんは、歯を磨いたりなんだりしてすぐに同じベッドに入り込んできた。窓際の壁掛け時計を見ると、まだ二十時半前。
 

「翔吾さん、もう寝るの?」

「うん、もう寝る。雪乃ももう眠いだろ? 風邪薬飲むと眠くなるから」


 ベッドの右側に横になった翔吾さんが少し身を起こして、再びわたしの額に口づけを落とした。
 その感触がうれしくて、でも恥ずかしくて。
 ふわっと香る翔吾さんの匂いが懐かしくて、また涙が出そうになる。寝室の電気が消され、窓から見える月の光だけが唯一の照明になった。


「雪乃、何もしないから抱きしめてもいい?」


 少しだけ上半身を起こしたままの翔吾さんがわたしを優しい眼差しで見つめながらそう囁いた。
 ――抱きしめて、ほしい。
 その言葉を伝えようとしたけど、恥ずかしくて意気地のないわたしはただ目を伏せて小さくうなずいてみせた。


 右の肩の下から差し込まれる翔吾さんの腕。
 近づいた分だけさらに香る懐かしい大好きな翔吾さんの匂い。
 暖かくて厚い胸に顔をうずめると、歓喜に胸が打ち震えた。涙が滲むのがわかって目をぎゅっと閉じる。


「あったかい……」


 頭に翔吾さんの暖かい吐息がかかる。それも暖かいけど、翔吾さんの胸はもっと暖かくて心地いい。
 こんなにも欲していた温もりを、自ら遠ざけて失って本当にバカだったと思う。
 
 父のこと、翔吾さんのお姉さんのこと……いろいろ考えた。

 やっぱり許せるほどわたしは心が広くないし、できた人間でもない。母のことを考えたら未だにこうなってはいけない気もする。

 でも、どうしても翔吾さんを諦められなかった。

 おじいちゃんのおかげで素直になれた。
 おじいちゃんがいなかったらわたし、今でもずっと翔吾さんを拒絶し続けていたはず。
 
 そして母と、叔母夫婦のおかげで……。


「雪乃」

 
 大好きなバリトンの声が聞こえて少し上を向くと、満足そうに微笑んだ翔吾さんがわたしを見ていた。
 この声で呼ばれるの好き。わたしもつい笑いかけてしまう。


「俺、頑張るから。雪乃だけには絶対ひもじい思いをさせたりしない」

「え?」

「雪乃が傍にいてくれればそれだけで……頑張れるから。見守っていて……」


 そのまま吸い込まれるように翔吾さんは眠りに落ちていった。
 すうっと抜けた力。かすかな寝息がわたしの髪を少しだけ揺らす。よっぽど疲れていたんだろう。

 わたしもいつの間にか微睡み、深い眠りに落ちていた。







 翌朝。
 
 翔吾さんの腕に抱かれたまま目を覚ました。ひさしぶりに熟睡したって感じがした。
 カーテンの隙間から射す日の光が眩しい。目覚めのよい朝だった。


「おはよう」


 目を細めて微笑む翔吾さんがわたしを見つめてる。
 まるで暖かい陽だまりに抱かれているみたいに心地よくて、その胸に顔をすり寄せてもう一度目を閉じてしまった。

 わたしも翔吾さんが傍にいてくれればそれだけでいい。





 その日は翔吾さんの家から出社した。
 翔吾さんはわたしの身体の調子をずっと心配してたけど、大丈夫と諭し続けてしぶしぶ出社の許可をもらえた。


 会社について制服に着替え、まだ時間があることを確認してからフロアの非常階段で電話をかける。
 すぐに通話に変わった。朝なのに出るのが早い。


『雪乃か? 昨夜は帰ってこなかったのか』


 すぐに不機嫌な声が耳に入って来た。
 いつも怒ったような口調だけど、これが普通なのはわかっている。


「うん。わたし、おじいちゃんのおかげで大切なものを失わずにすんだの。ありがとう。頑張るから」

『んん? そうか。まあ、過去と他人は変えられないが……自分と未来は変えられるはずだからのぅ』


 ほっほっほ、とおじいちゃんが受話器越しに笑うのが聞こえた。
 わたしの大好きな笑い方。


『で、具体的にどうするつもりなんだ?』


 具体的な方法まで聞かれるとは……。
 だけどおじいちゃんに宣言しておいた方が、自分を奮い立てられるような気がした。



**



 オフィスに行って係長に昨日のお詫びをすると、目も合わさず軽くうなずかれただけだった。
 昨日の早退の連絡を入れたのは翔吾さんだ。あれこれ詮索されるよりはいい。

 珍しく机の上も中も荒らされていなくて、無傷だった。こんなの配属された日以外なかった。
 席に座るとなんだか横や後ろの席の子たちがひそひそ話している声が聞こえたけど、実際何を言ってるかはわからない。
 机の上の準備を始めてから、高木さんに昨日の謝罪にいこうと思っていた。だけど――


「風間さん、悪いけど今日の午前中はこっちやってくれる? 時間かかってもいいから」


 目の前の席の高木さんがすっと座ってわたしに笑いかけた。
 いつもより席につくのが早くてびっくりしてしまう。いつもは始業のチャイム寸前なのに。時計を確認するとまだ八時四十分だった。

 高木さんに差し出されたのは四月上期の秀瑛出版の集計伝票。
 え? この一社の入力するだけ? いつもなら一気に五十くらいの伝票渡されて『午前中に!』って言われるのに……。

 逆に不安になり、恐る恐る高木さんを見ると満面の笑み。どうなってるの?


「体調大丈夫? 無理しないでね。無理ならこっちでフォローするから」


 え? なんでなんで?
 いつもより全然少ない仕事量でフォローするとか? しかも体調大丈夫? って……?
 こんな穏やかな表情の高木さん見たことない。今までと全く別人のような感じ。

 何か裏がありそうですごく怖いんだけど、どう対応していいかわからない。
 だけど無視してまた機嫌を損ねさせるのも本意じゃないし、曖昧に笑顔を作ってうなずくとまた笑顔を返される。

 なんだか怖い。とりあえず仕事を早く終わらせよう。


 二十分くらいでそれを終わらせ、高木さんに渡すと『じゃ、つぎはこっち』とまた別の出版社のものを渡される。しかもまた一社分。
 なんでこんなにいつもと態度が違うの? まわりの人たちも怪訝な表情でわたしたちを見ているし。

 高木さんの態度はまるで手のひらを何度も返したかのようだ。何度も返したら元に戻っちゃうかな? と心の中でどうでもいいツッコミまでしてしまうくらい。
 わたしの後ろの席の子たちがひそひそ話してるのがちょっと聞こえた。


「風間さん、昨日休んでただけだよね? なんで高木さんあの態度? 怖いんですけど……」

「だよね、とばっちり来ないといいね」


 自分もそう思うからきっとまわりも同じなんだろうな……。





 結局、その日の午前は高木さんから任された仕事をゆっくりこなして終えた。
 高木さんはずっとにこやかで本当に怖い。

 
 とりあえず、昼休みに入った今、何か言われても困るので逃げるようにオフィスを離れることにした。
 事務管理課の社員はほとんど社員食堂に行っている。自分はこの課の誰かと一緒に食べたことはないので行かない。

 それか各々何か買ってきて、友達同士で席で食べたり休憩室で食べたりしている。
 このフロアでひとりで食べるようなスペースはない。自席もまわりに他の社員がいるから食べづらい。

 だからいつも、非常階段の踊り場にある手すりに腰を置き、寄りかかって食べている。ここは職員が滅多に通らないから目立たないの。
 たまに掃除の人が通るから気まずいんだけどね。


 いつものポジションに行く前にトイレに寄ろうと思って近づくと、中から声が聞こえてきた。
 昨日トイレに入ってたら上から水をかけられた場所。あまり近寄りたくないけど、このフロアの女子トイレはここしかない。

 人がいない時を狙って入るようにしているし、いる時は別のフロアへ移動するようにしている。
 人がいるからやめようと思って引き返そうとした時。


「風間さんに親切にしておいたほうがいいって」


 トイレから会話の中にわたしの名前が出てきて、つい入口で足を止めてしまった。
 しかもその声はいつもわたしを怒鳴り散らす高木さんのものだった。


「確かにあの子営業部から異動してきているしね……知り合いであることは間違いないよね」

「そりゃただの顔見知りだって道で会えば話くらいするでしょう? 私、まだ去年の新入社員の写真が出た社内報持ってるー」

「ダントツイケメンだったもんねー雨宮翔吾くん。目、つけてる子多いでしょう」


 ……ごくり、と喉元を唾が通り過ぎた。
 その音が妙に大きいような気がして、聞こえてしまうんじゃないかとドキドキしてしまった。

 急に優しくされた理由は翔吾さんだったんだ。
 

「あの子に取り入っておけば紹介くらいしてくれるでしょ? いつもお世話になってる先輩ってさ」

「今まで散々いびり倒してたくせに」


 サンダルの音が鳴らないよう静かにその場から去る。
 今朝、翔吾さんと出社したから一緒にいたのを見られたのかもしれない。
 手を繋いだりしていなくてよかった。翔吾さんは繋ぎたがってたけど……。

 真実を知られた時が怖い……いつまでバレずにいられるんだろう。


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Date:2013/05/11
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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