空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第81夜 事件

 
 その日はあわただしかった。

 早退させた雪乃と駅で別れた後、そのまま社外で三浦さんと合流。
 昼休み直前に帰社し、十五階の秘書課へ向かう。
 
 重役とのアポイントをとってもらうにはまず秘書課の受付に行って、その旨を伝えなければならない。

 午前中のうちに真奈美にメールをして湯田専務の予定を訊くと、お昼休みなら何の予定も無いと教えてくれた。ただそれはアポにはなっていない。湯田専務の了承を得ていないから。


 秘書課の入口を開けると、ふんわりと花のいい香りがした。
 受付のカウンターに百合の花が生けてある大きな花瓶が置いてある。その香りだろう。ちょうどそこには真奈美が座っていた。


「本当に来たの? これから奥様が来られる予定なんだけど」

「いや、それなら好都合だ。直接雨宮が来たと専務に伝えてくれ」


 しぶしぶ重役室の方に向かっていく真奈美の背中を祈るような気持ちで見つめることしかできなかった。

 待ち時間がいやに長く感じる。秘書課の中で待つのも憚られ、廊下で待つことにした。
 俺の気持ちは決まっている。もう何も恐れることは無い。真正面からぶつかる覚悟を決めた。

 湯田夫人にも自分の思いをちゃんと説明をできる絶好の機会だ。

 今、一番恐れていることは、俺の前から雪乃がいなくなること。それしかないのだから。



 

 湯田専務の許可が出て、俺はひとりで専務室に入った。
 湯田専務は自席ではなく、接客用のソファの上座に座っていた。
 促されるまま湯田専務の左斜め前のソファに座ると、すぐに専務室の扉がノックされて真奈美がお茶を運んで来た。
 
 真奈美が退出した後、湯田専務の目つきが鋭くなったような気がして肝が冷えた。


「何か急用があったのだろう? 手短に頼むよ。これから妻と食事に出る予定なんだ」

「はい、すぐに済ませるつもりです」


 出されたお茶を勢いよく飲み、口の中が軽くやけどした。ただすごく喉が渇いていたのでそれは潤った。
 静かに湯飲みをテーブルの上に戻し、徐に立ちあがって座っていたソファの横に立ち位置をずらす。
 眉間にぐっとシワを寄せた湯田専務を目の前にし、ごくっと唾を飲み干す。そして一気に最敬礼の姿勢を取った。


「すみません。晴花さんとの縁談はなかったことにしてください」


 専務室に沈黙の重い空気が流れたのがわかる。
 何か言葉をもらうまでその体勢でいるべきなんだろう。そう思って頭を下げ続けた。


「雨宮くん、君は今、何を言ったかわかっているのか?」


 いつもよりさらに低く、腹の底まで響くような湯田専務の怒りを孕んだ声が俺に対して投げつけられた。
 

「重々承知しております」

「だったらなぜ――」

「どうしても彼女を諦められないんです!」


 勢いに押されたくなくて、腹の奥から声をせり上げた。
 そのすぐ後、専務室の扉がノックされる音が室内に響く。
 
 一瞬の間が緊張を増長させる。

 この来室が俺にとって吉と出るか凶と出るか。ついそんなことを考えてしまう。


「何だ!?」


 湯田専務の怒りを孕んだ声が扉の方に向けられた。
 扉の向こうから入ってきたのは真奈美だった。神妙な顔つきで俺を一瞥し、すぐに湯田専務に向き直る。


「専務、奥様がお着きになられました」


 ――湯田夫人の到着。
 その報告に湯田専務の表情がふと緩む。しめた、と思った。


「ああ、そうか。わかった。今行く。雨宮くん、今の話は聞かなかったことにしておく」


 思いもよらない返答に耳を疑う。
 聞かなかったことにしておく、そう聞こえた。一番最悪の返事じゃないか。
 

「――専務!」

「どうしてもと言うのであれば、明日の昼休み、風間雪乃をここに連れて来い! 私から話をつける」

「彼女は関係ないです! それに――」


 ギッと湯田専務の強い眼差しが俺に向けられた。
 それだけで言葉を遮られてしまう。
 

「絶対に彼女と別れるつもりはありません! 奥様にも話を――」


 それでもひるまず訴えかけるように吐き出した俺の言葉は専務室の扉に遮られた。
 大きな音を立てて目の前で閉められ、取り付くしまもない。
 だけどこれで諦めたら雪乃との未来が閉ざされる。そう思ったらいても立ってもいられず、扉を思いきり開けていた。


「専務!」


 開け放った扉の向こうに、紺色の和装姿の夫人と共に重役室の扉へ向かう湯田専務の後姿が見えた。その傍らには真奈美の姿もある。
 怒りを露わにした湯田専務が振り返るのと、穏やかな表情の夫人が振り返るのがほぼ同時だった。


「あら、雨宮さん来てたの? よかったら一緒に食事でもいかが?」

「いえ、それよりも……」

「話の続きは明日だ! そのくらい弁えろ!」


 それ以上引き止めることは出来なかった。
 心配そうな夫人がこっちを振り返ったが、湯田専務に背を押されて歩みを止める様子もなかった。
 去って行く湯田夫妻の背中を見送りながら、悔しさで痛いほど自分の手を握りしめていることに気づいた。

 こんな風に話を打ち切られ、自分のふがいなさに腹が立つ。
 だけど、明日もまた来よう。ダメなら明後日も……。

 いつの間にか目の前に真奈美が立っていた。

 
「翔吾、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。明日も来る」

「出世より風間さんを選ぶんだ」

「……当たり前だ」


 俺を見上げて真奈美が揶揄するようにニッと笑いかけてきた。
 その表情は以前より心なしか優しい雰囲気になったような気がする。子どもができたからだろうか?


「風間さんに会うならお願いがあるんだけど、いい?」


 しばらく秘書室の前で待たされ、真奈美から受け取ったのは一通の封筒だった。
 しっかり封を糊付けされ、見れないようになっている。


「早めに彼女に渡してね」


 そう言い残して、真奈美は颯爽と秘書室へ戻って行った。
 その後姿は相変わらずモデルのように美しかった。
 






 その日、職場では辛かったけど外回りから直帰することができてうれしかった。
 家の鍵を開けると、玄関に見覚えのある靴。雪乃がいる。
 俺の家にいるようにダメもとで言って鍵を渡したけど、守っていてくれたことがうれしくて胸がグッと掴まれるようだった。


「雪乃! ただいま」


 つい上機嫌になり大きい声を上げると、俺の水色の縞模様のパジャマを着た雪乃が眠そうに目をこすりながら寝室からひょっこり出てきた。
 その頬は紅潮していて、目はとろんとしている。そして足取りもややふらついているように見えた。


「おい、熱あるんじゃないのか?」

「え……あ、どうだろ……」


 ふわふわしているその身体を抱きとめると、やっぱり少し体温が高い気がした。
 柔らかい雪乃の髪がふわりと舞い、俺の胸にぽすんと顔をうずめる。それだけで俺は心から満たされた。だけど辛そうな雪乃を見て庇護心が高まる。
 右の後頭部のパッカリ割れた部分を見てホッとしながらその頭を撫でた。


「わざわざ無理して出てこなくてよかったのに……」

「だって翔吾さんが呼んだから。ごめんなさい、お風呂は沸いてるけど……ごはんはまだ……」

「バカ。そんなの気にするな」


 軽い雪乃の身体をすくうように抱き上げると、ひゃっと小さな驚きの声が聞こえた。
 俺の首元に掴まるように抱きついてきた雪乃から俺の大好きな香りがふわっとする。それだけで俺の下半身が元気になってしまう。
 それを悟られないようにするのがせいいっぱいで、まともに雪乃の顔が見られない。
 うれしくて、でもなんとなく恥ずかしくて。きっと雪乃も同じ気持ちでいてくれるような気がしたらさらに気持ちが高まる。

 そっとベッドに雪乃を横たえ、布団をかけてやると潤んだ目で俺を見上げた。
 頭を撫でながら前髪をかきあげて、その額に口づけを落すとぎゅっと目を閉じて身体をすくめる。
 雪乃の反応だ。それだけで本当にしあわせな気持ちになれた。


「そうだ、真奈美から手紙を預かってるんだ。もし何か嫌なことが書いてあったら絶対に隠さないで俺に教えて」


 ジャケットのポケットから真奈美の手紙を出して、雪乃に渡すと不思議そうな顔でそれを開封して読み始めた。
 その顔は少し強張っていたが、雪乃はうなずきながらその手紙を読んでいる。


「翔吾さん、お風呂入って来て」


 急にそう言われ、俺は首を傾げるしかなかった。


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Date:2013/05/07
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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