空色なキモチ

□ 重圧な愛 □

重圧な愛 6

「どういうことだ? 説明しろ」


 亮平くんの背中が見えなくなり、十七時を告げるチャイムが遠くから聞こえてきた。
 彼が歩いて行った道のはるか向こうに夕陽が見えて、まぶしいくらいわたし達を照らしている。

 ここは夕陽の通り道だったんだ。今まで気がつかなかった。

 なんとなくそんなことを考えながら亮平くんが落としていった爆弾を思って、つい口元に笑みを零してしまう。
 うれしいわけじゃない。どうしていいかわからない、途方にくれた笑みだ。


「何がおかしい?」


 少し苛立ったような様子の航平が鋭い目でわたしを睨む。
 それは少し恨みがましい眼差しだった。喉元を鷲掴みされた感覚がして一瞬息苦しさを覚える。
 だけどわたしは小さく首を振って目を逸らした。


「話すことなんて、何もない」

「ごまかすな。兄貴とグルになって何隠してるんだ。言えよ」


 強く引かれる腕が痛いような、熱いような感じがする。
 離してほしかったけど言えなかった。航平に逆らう気なんてあの時から毛頭ない。



 そのまま航平の家に引きずり込まれた。
 家にはおじさんもおばさんもいないことはわかってる。二人ともお仕事だから、この家にはいつも誰もいない。家の中はシーンと静まり返っていた。
 
 あの事件から一度もあがっていなかった航平の家。
 胸の奥がずんと重くなったあと、急に全身が冷えたようになって震えてしまう。


 あの日から航平はわたしを家にあげなかった。
 穢れた女だからそうしないんだろうと思っていた。何で急に家に入れるのかわからない。ただの気まぐれなのかもしれないけど、平常心ではいられない。


 過去がフラッシュバックしてきそうな気がした。
 ドクンドクンと激しい鼓動が警笛を鳴らしているようだった。
 いやだ、あがりたくないという思いが身体をこわばらせてゆく。

 躊躇うわたしを余所に、航平は腕を強く引き続ける。靴を脱ぐ余裕も与えられず、土足であがりこみそうになるのを踏ん張って堪えたらそのまま玄関マットに膝をつく形になってしまった。


 もうやめて――
 そんな思いで見上げると、座りこんでしまったわたしに航平の冷たい視線が向けられていた。ぐいっと強い力で強引に立ち上がらされる。慌てて靴を脱ぐと、再び腕を引かれて階段を上がらされた。
 

 航平の部屋は亮平くんの部屋と造りが似ている。置いてあるものもほぼ同じだ。
 あの時の記憶がが甦る。それだけでわたしの全身の震えがさらに酷くなった。


 違う、あの時と今は違う。


 目の前にいるのは航平で、見ず知らずの男達じゃない。わたしのよく知る航平。
 その表情はとても強張っていて、目は血走ったように赤くなっている。だけどそこには熱がこもっているように見えた。


 航平の部屋の閉ざされた扉に背中を押し当てられ、見つめられる。
 その目に見られるのが怖くて俯くと、顔を覗き込まれるようにされて急に距離が縮まるのを感じた。


「……!!」


 気づいた時にはわたしの唇は航平のそれに塞がれていた。
 そのまま強引に上を向かされた途端、優しく塞がれていただけの口づけが噛み付くようなものに変化した。

 何がなんだかわからなくて、どうにも抗えなかった。


「ンっ……」


 何度も角度を変えながら探るような口づけを繰り返される。
 聞こえるのはわたしの喉の奥でくぐもる、行き場のない声。

 軽く息苦しさを覚え、もがくように航平の腕をぎゅっと掴む。
 その思いが通じたのか航平の舌がわたしの唇を解放し、その途端にペロリと舐めた。まるで当たり前のことだ、と言わんばかりの隙のなさ。
 それに驚いてぎゅっと目を閉じて身をすくめると、小さく開いてしまった唇の間から暖かな舌が滑り込んできた。あっと思った時にはすでに舌をくるんと絡め取られていた。


 なんでキスされるのかわからなかった。
 今までわたしを犯し、身体を貪るだけだった航平は、キスだけは一度もしなかった。それなのに。


 唇を舐められ、昔に似たようなことがあったのを心の片隅で思い出していた。
 これはいつのこと? 既視感っていうのかな? よくわからない。頭が回らない。

 口内を思うがままに蹂躙され、ボーっとしてしまい、呼吸を忘れていたようだ。
 まともな息継ぎさえさせてもらえず、涙が溢れそうだった。ただ、苦しい。
 息苦しさのあまり、航平の胸を叩いた。それでもやめてもらえず、そのまま膝から崩れ落ちそうになるのを航平の両腕が支えてくれた。 

 わたしの腰に回された航平の両腕に掴まってその顔を見上げると、切なそうな目が何かを訴えかけているようだった。

 悲しそうな、だけどどこか満たされたようなその視線に吸い込まれそうになる。
 目を逸らしたかった。だけど顔を固定されているわけでもないのに、それは不可能で。近づいてくる航平の顔を見つめ返すことしかできない。


 視線を絡めたまま、鼻頭を数回擦りつけるように合わされ、二匹の猫のことを思った。
 猫同士が鼻を合わせるのはのは親愛の挨拶だって――

 昔、航平が得意げに話していたことを思い出して恥ずかしくなった。絡んでいた視線をどうしても外せず、なんとか瞼を伏せる。

 しばらくそうした後、再び深い口づけ。

 ぎゅっと航平の腕を掴む手に力がこもってしまう。
 熱をもった唇に求められ、わたしはされるがままになっていた。
 
 そう、わたしはただの奴隷だから、ここにわたしの意思は必要ない。
 ただ目を閉じて受け入れていればいい……そう思った時、気持ちが通じたのか航平の唇が離れた。


 そして――


「おまえ、キス下手な」


 唇同士がくっつきそうな距離でくくっと小さく笑いをかみ殺す航平の態度にカッと顔が熱くなる。
 恥ずかしくて、悲しかった。俯いて唇を噛みしめると、額がコツンと当てられた。


「ガキの頃の方がよっぽどうまかった」

「――え? んんっ?」

 
 再び塞がれる唇。だけど今度は何度も音を立てて吸い付かれるだけ。
 自然に唇が開くと、満足そうに航平が笑う。その表情は昔のような優しい笑顔だった。

 
 ガキの頃? どういう意味?
 さっきの既視感と関係があるのかもしれない。


 息があがり、心臓のドキドキに押しつぶされそうな自分がいた。
 それに気づいてくれたのか飽きたのか航平の唇が離れ、その胸に抱かれた。ようやく息がつけると思ったのに、抱きしめられてまた胸が高鳴る。
 こんな風に抱き寄せられるのも初めてだった。
 いつもは乱暴に……行為のためだけに抱えられ、すぐに突かれて揺すられるだけだったから。


 航平のブレザーから振動が伝わってきた。
 小さく舌打ちをした航平がわたしの身体から右手だけを離し、ポケットからスマホを取り出して耳にあてがう。左腕はしっかりとわたしの腰をにまわされたままだった。


「……ああ……いや、え? まだ……」


 無造作にしめられた紺のネクタイの結び目が目に入る。顔を上げてみると、航平のシャープな顎のラインと少し険しい表情。

 会話を続ける航平の眉間に深い皺が刻み込まれたのを見逃さなかった。
 誰と話しているのかはわからない。だけど確実に航平の機嫌を損ねる内容だってことは伝わってきた。

 わたしは軽く身を捩りながら目の前の胸を押し、航平の左腕から逃れようと試みるけど、逆にきつく抱き込まれて顔をその胸に押し当てる羽目になってしまった。
 航平の上腕に手を置いて軽く押すけど、何の抵抗にもならない。


「なんだよ……それ!」


 いきなり怒声を上げる航平の身体が震え、わたしはその声で驚いてしまった。
 顔を見上げると、航平の目が充血したように真っ赤になっている。そしてわなわなと唇が震えて……。


「こ……」


 航平、と名を呼ぼうとしたその時、ぼとりと音を立ててスマホが絨毯の上に落ちた。
 空になった右手がわたしの後頭部に回され、苦しいくらいの強い力でその胸に抱かれる。航平の顔がわたしの右肩に寄せられた。

 航平が震えている。
 柔らかい髪とかすかな吐息を感じる。それはまるで泣いているように思えた。


「ごめんな……麻衣。俺の声、聞こえる?」


 掠れたような震えた声と少しだけかさついた航平の唇の感触が耳をくすぐる。
 小さくうなずくと、航平もうなずいた。


「俺の匂い、わかる?」

「え?」

「俺を見て。俺だけを……俺の声を聞いて、俺の……ごめん……麻衣……俺が悪かった……」


 支離滅裂な航平の発する言葉の意味がわからなかった。
 航平の唇はわたしの耳を塞ぎ、その呼吸が徐々に荒くなっていくのがわかる。小刻みに震える身体が何かを物語りたそうだけど――


「航平?」

「麻衣、ごめん。ごめん……麻衣。俺……おまえのこと……俺のせいでおまえ……兄貴に……」


 ――わかった。

 今の電話は亮平くんで、本当のことを告げられたんだって。
 言わないって約束したのに……だから、わたし……亮平くんに……。


「俺のせいだってなんで言わなかった? なんで俺を責めなかった? おまえ何も悪くないのに……麻衣、麻衣……教えて」

「離して」

「麻衣、教えて。俺が嫌い?」


 嫌いなわけ、ない。
 航平は何を捨てても守りたかった存在。

 だけど航平はすべてを知ってしまった。

 もう、守れない。
 もう、守るべきものは何もない。わたしの役割は終わった。


 だからわたしは――


「うん」


 そう答えていた。



「そっか」


 寂しげな声で航平がつぶやく。抱きしめる力が少しだけ緩み、額同士がくっつけられた。
 そこからじんわりと温もりが伝わってくる。上目遣いで航平を見ると、閉じた瞼が震えていた。
 形のいい引き締まった唇も震えている。それがしばらくして、小さく開く。


「それでも構わない。許さなくても構わない。ずっと離すつもりはない」


 その言葉に愕然とした。
 どうしてそうなるのかわけがわからなかった。
 冗談かと思ったのに航平の表情に全くの淀みがなくて、しかも少しうれしそうで……。

 すうっと航平の指の腹がわたしの頬をなぞる。その感覚に身震いしてしまう。
 頬に全神経が集中したかのようにぞくぞくした。


「おまえは一生、俺だけのものだ」
 

 つぶやくようにそう言う航平は、どこか苦しそうで、切なげだった。


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Date:2013/05/01
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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