「翔吾さん、いつになったらお見合いしたこと話していいの? 営業部の人たちの目線が怖い」
昼休みの食堂で晴花が唇を尖らせ、俺の左隣でぼやいた。
カウンター席の隅を陣取って食事を取っていたのに、目ざとく見つけて隣をキープされてしまったのだ。
昼休みくらいひとりでゆっくりしたかったのに。
「一生話さないでくれ。頼むから」
「ええーっ。どうして? 結婚したらバレるのに」
「声、大きいんじゃないか? それにここは食事をするところだぞ」
晴花の左隣に三浦さんが座る。
それとほぼ同時に不機嫌そうな表情で、やや乱暴にカウンターテーブルへカレーをのせたトレーを置いた。ガシャン! とトレーの上のスプーンが音を立て、驚いた晴花がそっちを見る。
ここで何も食べていないのは晴花だけだ。三浦さんはそれを指摘したのだろう。
「だってさっき食べたもの……もう食べられません」
「だったら食堂にいる必要ないだろ? 昼時で混んでるんだから弁えろよ」
カレーを食べながら三浦さんが晴花を見ずに言う。
かなり険しい表情をしているように見えた。三浦さんにしては珍しい。
三浦さんは基本男女問わず親切だ。だけど晴花にはことごとく冷たい態度で接する。
ただ晴花はそれ以上の肝っ玉の持ち主だった。そんな三浦さんの態度も暖簾に腕押し状態で、全く気にしていない。
専務の娘だろうが全く対応を変えない、そんな三浦さんはカッコいい。まわりの上司よりもずっと男らしい。
「わかりましたぁ。翔吾さん、今日の帰り映画観に行きましょ?」
「今日は外回りが終わらないから無理」
「もうっ!」
ぷくっと膨れた晴花が背中を向けて去って行く。
つい俺は大きなため息をついてしまった。
「見合い、どうだったんだ?」
「……どうもこうも、俺の意思なんてなしですよ」
「それでいいのかよ?まだ、何もオレに話す気はないのか?」
怒りを含んだような目で睨まれ、俺は目を眇めて笑いを堪えた。
もう笑うしかない、そんな気すらしていたのだ。
目の前のオムライスがすでに冷えている。ここの食堂の味、好きだったのに最近なにを食べても味気ないと感じてしまう。
「今日、帰り飲みに行こうぜ。クマさんのところ」
「……いえ」
「時間あるなら少しつき合えよ」
いつの間にか隣に座っていた三浦さんが俺の背中を強く叩いた。
その衝撃が強くてしばらく背中がジンジンしていたのだった。
**
「らっしゃーい! お、雨ちゃん久しいね」
カウンターでクマさんが髭をさすりながらこっちに笑顔を向けた。
その笑みを見て、ホッとしてこっちもつい苦笑いを作ってしまう。
「久しいって、先週の始めに来たじゃない」
……雪乃と、と言おうとして口ごもる。
「そうだっけ? まあまあ座ってよ。今日もお座敷はいっぱいだからカウンターで我慢して」
カウンター席も空きは少ない。
いつもは端を狙うのだが、今日はあいていなかったため入ってすぐの二席に三浦さんと並んで座った。
何も言わずにビールが出てくる。
「そうだ、雨ちゃん見合いはどうだったの?」
「――――え?」
ニコニコと微笑むクマさんの顔を見てから三浦さんの顔を見ると、眉間にシワを寄せて小さく首を振った。
なんでそのことをクマさんが……?
「オレ言ってねえって」
「じゃあ」
「あ、やべ」
いつも話す時、目を逸らさないクマさんが急に厨房の方を向いた。
「クマさん、なんでそのこと……」
「あーなんでかなー? 風の噂ってやつ? まー気にしないで!」
大きい口を開いてガハハとおかしくもないのに笑うクマさん。明らかにおかしい。
いつもこんなど下手なごまかし方はしない。口が滑っても開き直るタイプだ。
それなのに今日は頬を引きつらせて苦笑いを見せたりする。
「クマさん……俺の風の噂なんてこの店に流れてこないでしょ?」
「オレ言ってないよね? クマさん。オレの無実ちゃんと証明してよ」
「三ちゃんからは訊いてない。本当に……」
だんだんクマさんの表情が引きつっていく。
たらーっとこめかみから汗が一筋流れていくのが見えた。
「わかったよ! 言うよ! 言えばいいんだろ?」
腹を決めたようなクマさんが鼻息を荒くして俺の前に立ちはだかった。
「雪乃ちゃんから訊いた」
思いがけない返答に、一瞬眩暈がした。
なぜ……雪乃が? その疑問が浮かび、勢い余って立ち上がってしまった。
お通しの小鉢の上に置いてあった割り箸がカウンターに落ちる。
「なぜ? 雪乃は知らないはず――」
なんで雪乃が俺の見合いの話を知っているんだ? 誰かが雪乃に言った? まさか……。
クマさんが眉を下げて大きなため息を漏らし、俺を鋭い目で睨み上げると重い口を開いた。
「雪乃ちゃんは知ってるよ。雨ちゃん、あの日電話だって席外しただろ? 外寒いと思って雪乃ちゃんがコートを持って行ったんだ」
「あの日って……」
先週の月曜、雪乃とこの店に来た。その時のことなら……。
「目に涙をためてすぐに戻って来た。持っていったコートを持ったまま……痛々しくて見てられなかった」
雪乃は知っていた。
俺と湯田晴花が見合いしたことを……そしてその日程も。
それなのにあの日曜、俺を見送った。
あの涙の意味は……。
「雪乃ちゃんは、自ら身を引いたんだ。雨ちゃんの幸せを願って」
「いや……そうじゃない」
「なんで雨ちゃんがそう言い切れる? 雪乃ちゃんもそうだけど自分で決めつけすぎじゃないか?」
「クマさんにはわかんないよ! 俺たちのこと知りもしないくせに!」
一気にまわりの視線を浴びて、我に返る。
なにひとりで興奮してるんだ……軽く頭を下げて座った途端、自然に大きなため息が出てしまった。
あの時の電話を聞かれてたのか。
「雨ちゃんひとりで傷ついてるみたいな顔してる……悪いけどボクは雪乃ちゃんの味方だよ?」
「いいよ……別に」
「好きじゃなかったらその相手が見合いしようが結婚しようが泣かねえだろうが、普通よ」
右隣の三浦さんがボソッとつぶやいた。
「風間ちゃん、なんでもひとりで抱えるのな……頼れる人いないのか」
「ボク、結構相談乗ってるよ。メル友だし」
「へえ、そうだったんだ。じゃ、そのメル友に証人になってもらおうかな? オレ、本気で風間ちゃんオトしにいくわ」
挑発的な目で三浦さんが俺を見た。
それにカッとなり、鋭い目で睨みつけた。だけど今の俺に三浦さんを止める資格なんてない。
「来て早々申し訳ないですけど、俺帰ります」
スーツの胸ポケットから長財布を出して札を抜いた時、くっと三浦さんの小さな含み笑いを聞いた。
「逃げるんだ。弱ぇな。オレに風間ちゃんを取られるのが怖いんだ」
「なっ!」
「まあ、別にいいけどね。おまえに風間ちゃんを任せたのは失敗だったってずっと思ってたから。やっとオレにチャンスがまわって来たと思って頑張るわ」
にやっと不敵な笑みを浮かべる三浦さんが、心の底から憎かった。
三浦さんに対してこんな感情を抱いたのは初めてだった。
バン! と千円札をカウンター席に置くと、再びまわりの注目を浴びたのがわかった。
そのまま何も言わずクマさんの店をあとにした。
だってしょうがないじゃないか。
雪乃の仕事を奪えるわけがない。今、新しい部署で頑張ってる彼女のことを考えたら……。
俺が幸せにしてやれない分、雪乃には好きな仕事をしてもらいたい。
これ以上雪乃の人生をめちゃくちゃになんかできないんだから。
俺と出逢わなければ雪乃は幸せだったのかもしれない。
最初から三浦さんとつき合って、もしかしたらもうすでに結婚して幸せな生活を送っていたのかも――
あの時、雪乃に出逢わなければ……。
俺が晴花と結婚することで、雪乃が幸せになれるのなら――
→ NEXT → BACK
Information
Trackback:0
Comment:0
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学