空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6夜

 
 入力画面を見てふと気づいた。


「ああーっ! 一日ずれてるしっ!」


 単純な入力ミス。
 先月の上旬から一日ずつ入力する日を間違えていた、と。
 結局最初からやり直しって……。


「もうもう! わたしのバカ!」


 背もたれに背中を預け、両手で髪をかき乱す。
 パカリと開いた右のつむじはやっぱり地肌が丸出しになっている。
 毛先はあっちだのこっちだの向いてるし、もうどうにもならない自分の髪の毛。

 まるで自分の心の中と一緒。


「坊主にしちゃおうかな……」

「ぷっ」

「――!?」


 振り返ると、雨宮翔吾が扉口に立って笑いを堪えていた。


「風間さん、出家でもするの? 坊主って……髪は女の命じゃないの?」


 少しずつこっちに近づいてくる雨宮翔吾を思いきり睨みつけて拒絶する。
 でもこの人には何も通じていないのか、わざわざわたしの右隣の二番のパソコンの椅子に座ってきた。
 
 なんで邪魔するの? もう仕事時間終わってるのにまだわたしに雑用を頼む気?
 わたしにだって仕事があるのに! 今日中にこの伝票三種類入力しておきたいのに!
 苛立つ気持ちが抑えきれない。今、あからさまにいやな顔していると思う。

 だけど目の前の雨宮翔吾は悪びれない。わたしがどんな顔をしてようと関係ない。
 いつも通りのポーカーフェイス。


「はい」


 目の前に大きな手のひらが差し出された。
 なに? この何かくれ? 的な手の差し出し方。
 何もない……あ、ポケットの中に。

 ベストのポケットに入っていた飴玉をひとつその手に乗せる。


「……なにこれ?」

「飴、ですが?」

「いや、俺別に飴がほしいなんて言ってないけど?」

「それ以外お渡しできるものはありません」


 伝票を片手にテンキーを打ち始める。
 これ以上この人のペースに巻き込まれたくない。


「伝票のファイルひとつこっちへ」

「は?」

「手伝うから」


 ヴーン! と音を立てて雨宮翔吾の前のパソコンが起動し始めた。
 意味がわからなくて、横目で見るとニッと笑っている。
 わたしは少しだけ首を傾げて自分のパソコンの画面に向き直った。


「結構です。お疲れ様でした」

「風間さんってそれ口癖だよね。結構ですってさ」

「はあ、そうですか?」

「何が“結構”なのかよくわからないけどさ、伝票こっちへ」

「だから――」


 キーボードとテーブルの小さな隙間に自分の手を乗せて大きくため息をつく。
 もう邪魔しないで。
 そう言おうとした、のに。

 大きな手がいきなりわたしの左頬を包む。
 あっと思った瞬間、強引に雨宮翔吾の方へ顔を向かされた。


「人と話をする時は、相手の目を見てって習わなかった?」

 
 ギシリ、と胸の奥が軋む。
 左頬に感じる雨宮翔吾の手の温もりや真剣な眼差し、整った表情にめまいがしそうだった。
 
 
 ――――こんなの、いらない。


 その手を振り払って、パソコンに向き直る。
 心臓がドクドク言うのがうるさくて、止まってほしいくらいに思ってしまった。
 
 止まったら死を意味するよ! 落ち着け! わたし。


「昔のことなんか覚えてません。早急にお引取りを」

「お引取りって……あ。失礼」


 雨宮翔吾がスーツのジャケットから携帯電話を取り出した。
 小さな声で話し始める。


「あ、斉木さいきさん? お疲れ様です。今からですか?」


 ちょうどよかった。呼び出しがかかったようだ。

 斉木さんは同じ営業部で、わたしと同期だけど向こうは大卒だから二歳年上。
 女好きで癖が悪く美人ばかり相手にしている。かっこいいのかもしれないけど軽薄そうで嫌いなタイプだ。

 ようやく自分のペースで仕事ができる。一刻も早く立ち去ってほしい。


「あー、せっかくですが、俺仕事残ってるんでまたの機会に……」


 ――――ええっ?

 何断ってるの? あなたにとって斉木さんは先輩でしょうが!
 何の仕事が残ってるっていうの? だったらこんなところで油売ってる場合じゃないじゃないの。


「いやあ、俺なんかいなくても女性陣はよろこんで参加しますってー。ええ、ちょっと急ぎなもんで、じゃあ」


 ははあ……。
 斉木さんがこの人を呼ぶから飲み会しようってどこかの部署の女性社員を誘ったって訳か。
 それにノッてやらないんだー。先輩孝行してやればいいのに。

 しん、と静まりかえったPC室にわたしの打ち込み音だけが響く。


「伝票ひとつ、下さい」

「……ご自身のお仕事は?」

「俺の?」

「お仕事残っているんでしょう?」

「いや、俺は別に……? それを打ち込めば終わりでしょ?」


 左端に置いておいた伝票のファイルを指差して雨宮翔吾が得意げに微笑んだ。
 意味わかんないし! そもそもこれはわたしの仕事だし。


「飲み会断りたいからって人をダシに使うのやめてもらえませんか?」

「別に断りたかったわけじゃないけど」

 
 しれっと言い放って再びこっちに手を向けてきた。
 

「じゃあ今からでも行けばいいかと?」

「いやだよ。めんどくさい」


 結局めんどくさいんじゃないか!


「ふたりでやったほうが早く終わるでしょ? ここでごねてても進まないから、ほら」


 目の前で上下する雨宮翔吾の手のひらを見つめて思いきり伝票を乗せてやった。




 カチャカチャとお互いが奏でるタイプ音が混じりあう。
 まるで不協和音……なんだか居心地悪い。


「風間さんってさ、下の名前なんていうの?」


 突如聞かれたその質問。
 眉間を親指と人差し指でつまんで左右に首をに振る。目が疲れた時によくやる。
 今疲れているのは目だけじゃない、この雨宮翔吾への対応もだった。


「教える理由がありません」

「教えない理由もないでしょう?」

「聞かれる意味がわかりません」

「頑なに隠す意味もないでしょう?」


 淡々とわたしの返答にさらに切り替えしてくる雨宮翔吾。うざっ!
 ……隠してなんかない。でも教える必要もない。だけどしつこい!


「風間、何さん?」

「……雪乃」

「……ゆきの?」


 結局根負けして教えてしまった。あーあ。
 怪訝な顔で雨宮翔吾がわたしを見つめてる。
 だから言いたくなかったのに。どうせ似合わない名前なんだから。


「雪乃さん、かあ」


 雨宮翔吾は急に顔を綻ばせ、自分の座っている椅子の背もたれに寄りかかって伸びをした。
 なに? 今の顔?
 うれしそうな恥ずかしそうなそんな表情に見えたのは気のせい?

 
「雪乃さん」


 自分のパソコンに向き直った途端、名前で呼ばれてビックリしてしまう。
 思わず身体が反応してしまったことを心から恥じた。
 男の人に下の名前で呼ばれるなんて初めてだったから……。


「早く終わらせてメシ食いに行きません?」


 わたし、さっき大嫌いって言ったのに?
 この人の中には全くその言葉は残っていないのかしら?
 ああ、わたしなんかの“大嫌い”はイケメンの心の傷になったりはしないか……。どうでもいいもんね。


「行きません」

「あーまたフラれた。正直傷つくなー」

「……」

「ねえ、雪乃さん」

「下の名前で呼ばないでください」

「なんで? 呼ぶために訊いたのに?」


 いや……名前で呼ばれるのなんて真っ平ゴメンだ。
 なんで彼氏でもない、ただの同僚に名前で呼ばれないといけないの?


「今まで通り、風間さんでお願いします」

「いやだ」

「――――!?」


 雨宮翔吾はパソコンの机に頬杖をついてわたしのほうを勝ち誇った表情で見つめていた。 


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Date:2013/01/26
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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